見出し画像

人生を転がした1枚のCDと本とイラスト

1枚のCDが、ひとつのイラストが、1冊の本が、人生を転がした。

高校入学前の春休み、友だちをつくりたくて買ったCDがアジカンだった。
高校生になれば、音楽の話ができないと周りについていけない。友だちをつくれないだろう。音楽を聴く習慣もなければ、好きなアーティストもいなかったぼくは、不安でいっぱいだった。

中学のサッカー部の部室で、流行に敏感な何人かが音楽の話をしていたのを覚えていた。すこし湿った薄暗い部室の隅で、スパイクの紐を結びながら、心のメモに留めたのが「アジカン」だった。『リライト』という曲があるらしいことと、ひとりにとっては「結構よかった」アルバムであり、他方で「ちょっと微妙」なアルバムであることもわかった。
話を聞きながら、超有名でメジャーではない感じ(当時)が、「わかっている」感があり、好きなバンドであると話しやすい気がした。
これだ、このバンドを好きになろう。

ぼくは、TSUTAYAでアジカンのCDを見つけ、1枚のCDアルバムを購入した。あと何枚かは、レンタルした。
MDにコピーして何度も聞いた。
雷に打たれたような衝撃はなかった。正直、よくわからなかった。
ギターとドラム、ベースで作られた曲、ボーカルの歌っているような叫んでいるような声に、「これが流行の敏感な彼らが話題にする音楽なんだ」と、理解しようと聞いていた。

聞いているうちに、だんだんとリズムがわかるようになった。それぞれの楽器の音が聞こえるようになり、口ずさめるようになった。歌詞もギターのフレーズもだんだんと頭の中に残るようになった。
曲のリズムと音に慣れ、言葉のリズムにも慣れたころ、なにか理解できたような瞬間があった。ああ、なんていい曲なんだ!

嬉しかった。
好きなバンド、好きな曲ができた。それに、音楽が好きだと思えたことそのものが嬉しかった。

期待していたとおり、高校では「アジカン好きだよ」ということで、新しく出会った人と話すきっかけをつくることができた。
ますますアジカンを好きになっていった。

***

CDを集めていくうちに、CDジャケットのイラストが気になってきた。シンプルだけど複雑で、線がきれいで、描かれる女性の表情や身体の動きに、なにか今にも話し出すような、感情や物語を感じた。
アジカンの新曲はもちろんだが、CDジャケットはどんなイラストなのかと楽しみになった。CDが出るたびに、部屋にあるカラーボックスにどう飾ろうか、どう並べようか、そんな風にドキドキしながらCDを買った。
イラストレーターが、中村佑介さんだということを知り、インターネットで調べては、ほかの作品を見回っていた。

高校の図書室である本が目に入った。『夜は短し歩けよ乙女』だ。表紙が中村佑介さんのイラストだったから、いろんな本が並ぶ中に光って見えた。
どこかにフラフラ歩いていきそうな女性と、その後を追うさえない男。バックにはバスのような、古い洋風のマンションのような建物があり、可愛く惹かれるイラストだった。
ただ、読書習慣がなく、サッカー部の練習と受験勉強で忙しくしていたから、その時は結局読むことはなかった。

***

その後、大学に合格し、大阪で一人暮らしがはじまった。
その本と再会したのは、ちょうど一人暮らしに慣れ始めたころだった。
お盆に帰省する際、ふらっと立ち寄った梅田の紀伊國屋書店の、レジ近くの文芸の棚に平積みされているのが目に入ったのだ。
内容がどんなものであるか、作家がだれであるか、そんなことは気にせず、この再会は何かのご縁だろうと、とうとうその本を購入した。

田舎に向かう高速バスの車中で、ぼくは京都の街を探検した。探検が進むにつれて、大阪の大学に進学したことを後悔した。激しく後悔した。京都にあこがれた。春も夏も秋も冬も、こんなに楽しいのかと知った。外堀を埋め続け、本質的な行動を起こさない主人公に自分を重ね、否定した。でも、そうありたいとも思った。
本の世界はこんなにも楽しいものだと、初めて知った。

そこから、すこしずつ本を読むようになった。
そのあとに出会った衝撃だった本が『フェルマーの最終定理』だった。

こんなに数学の世界をおもしろく描けるのかと驚いた。
この本での感動が、いつか伝える仕事をしたい、本の仕事をしたいと思うようになったきっかけなのかもしれない。

***

大学在学中、中村佑介さんは大阪に在住で、難波のあるお店でポストカードを売っていることを突き止めた。ぼくは、心斎橋や難波に遊びに行くたびにそのお店に通い、毎回2~3枚ほどのポストカードを買って帰っていた。

あるとき、ポストカードを購入しようとレジに持っていくと、お店の女性の方が「中村佑介さん、今度画集を出すらしいよ」と教えてくれた。
すぐに調べた。いつ出るのか。どんな画集なのか。画集なんて買ったことがなかったけど、いいものに違いない。何度もいろんなイラストを見れるなんて最高じゃあないか。

その後も、足しげくお店に通い、インターネットで最新情報を取得する日々を続けていた。ある日、ニュースが飛び込んできた。画集の発売と紀伊國屋書店でのサイン会のお知らせだ。絶対に行こう。このイラストを描いている人に会ってみたい。

ただ問題があった。ちょうどお盆のど真ん中で帰省しているタイミングだった。悩みながら田舎に帰省し、その前日まで迷っていた。

翌日も田舎で予定があったから、ただ一瞬会うために日帰りで行く必要があるだろうか。しかもその費用も結構掛かるぞ…。でも行きたかった。あってみたかった。話してみたかった。

いつのまにか、アジカンもあこがれになり、中村佑介もあこがれの存在だった。その人に会いたかった。

ぼくは時刻表を調べに調べ、地元からたしか4時か5時台に大阪に向かう急行電車があることを突き止め、それに乗って日帰りで大阪に行くことに決め、大阪に向かった。

朝一に紀伊國屋書店についた。そこから、サイン会の案内を見つけ、列に並んだ。近づいてくるあこがれの存在に心臓がバクバクしていた。

ついにきた。画集の表紙をめくったところに、シャーっと「いつもみていた横顔」が目の前で生み出されていた。この曲線、この目、この髪の毛…すごい。ぼくより前の人たちは何かしら話しているようだったが、ぼくは緊張しすぎて、無言で絵を描いているところを見ていた。話す内容はすごく考えていたんだけど、どれも陳腐に思えて、言葉が出てこなかった。

サインには名前を書いてくれるということで、ぼくはメモを差し出した。
勇気をもって話そうと思った。口から出た言葉は、自分でも予想外の言葉だった。

「あ、「ゆうま」って中村さんと同じ「佑」の漢字なんです」

無意識に、彼とのつながりを主張したかったのだろう。

「そうなんやー」と言いながら、彼はサインの「佑」に当たるところに丸を付けてくれた。宝物になった。

画像1

その日から、ぼくはもっと中村佑介さんのことが好きになり、その後、難波のトークイベントやサイン会など、何度も会いに行くようになった。

話を聞いていくうちに、彼の考え方や仕事観にとても心を動かされた。大学生のときの自分は、こんな大人になりたいと思った。
今でもこれからもあこがれの存在であり、星であり、目指したい大人の一人だ。

***

CDと出会い、イラストに出会い、本に出会い、あこがれの人にも合うことができた。その転がった先で、偶然にも本に関わる仕事をするようになった。本に関わる仕事をするようになって、またいろんな人との出会いがあった。福井の田舎で買ったたった1枚のCDから、こんな東京の大都会で仕事をするようになるだなんて、そのCDを買った時は思いもよらなかっただろうな。




読んでいただき、ありがとうございます!とっても嬉しいです。 いただいたサポートは、読書と映画に使いたいと思います。