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『デッドプール&ウルヴァリン』は、21世紀FOXからディズニーへのメッセージ

ということで、今回は2024年最大の話題作。
『デッドプール&ウルヴァリン』を見てきましたので、この感想を語っていきたいと思います。

『デッドプール&ウルヴァリン』について

基本データ・あらすじ

基本データ

  • 監督 ショーン・レヴィ

  • 脚本 レット・リース/ポール・ワーニック/ライアン・レイノルズ

  • 原作  ファビアン・ニシーザ/ロブ・ライフェルド『デッドプール』

  • 出演者 ライアン・レイノルズ/ヒュー・ジャックマン
    エマ・コリン/モリーナ・バッカリン

あらすじ

マーベルコミック原作の異色ヒーローアクション「デッドプール」のシリーズ第3弾。

ライアン・レイノルズ演じる型破りで無責任なヒーロー、デッドプールに加え、同じくマーベルコミック原作の「X-MEN」シリーズで活躍した、ヒュー・ジャックマン扮するウルヴァリンがスクリーンにカムバックし、2大ヒーローの共演が実現した。

不治の病の治療のために受けた人体実験で、自らの容姿と引き換えに不死身の肉体を手に入れた元傭兵のウェイド・ウィルソンは、日本刀と拳銃を武器に過激でアクロバティックな戦闘スタイルのデッドプールとして戦いを続けてきた。
戦う理由はあくまで超個人的なものだったが、そんな彼が世界の命運をかけた壮大なミッションに挑むことになってしまう。
この予測不可能なミッションを成功させるため、デッドプールはウルヴァリンに助けを求める。
獣のような闘争本能と人間としての優しい心の間で葛藤しながらも、すべてを切り裂く鋼鉄の爪を武器に戦ってきたウルヴァリンは、とある理由で、いまは戦いから遠ざかっていたが……。

忘れ去られた者のアベンジ!

心配無用で安堵した

『デッドプール』のシリーズの特徴とはそもそも「第三の壁」を乗り越えてくる作品であるということが、最大の特徴だった。
簡単に言えば主人公ウェイドが「自分が映画の登場人物である」ことを自覚しており、それに関する文句や今の気持ちを観客にぶつけてきたりするのだ。

しかもそれは、ただ単純に映画内で起きていることを我々に語りかける以上に、現実にある問題だったりメタなことを語りかけてくる。

今回はシリーズも三作品目となるが、過去二作品はシリーズの制作が「20世紀フォックス」が主導しており、いわゆる「ディズニー」「マーベル・スタジオ」の作る「MCU」とは別の「マーベル映画」として制作されていた。
そのことから、過去作では「ディズニー」「マーベル・スタジオ」に対しての揶揄だったり、イジリを見せるなどしていた。

この第三の壁やメタ構造的なセリフの応酬が、ストーリーテリングの中で、過剰なまでに語られ、それが独自の面白さとしての魅力となっていた。

しかし今作は「20世紀フォックス」が「ディズニー」に買収され、初めて「マーベル・スタジオ」主導、つまりMCUの一つとして制作されることになった。

そこでこのメタ構造への指摘や第三の壁を超えるなどの手法や、やや「グロテスク」な描写や、下ネタの応酬など、「ディズニー」が関わる作品としてどこまで色を残して作品ができるのか?
様々な点で「本当に大丈夫か?」という心配が世界でなされていた。

まずトータルの結論になるのだが、「その心配は不要」
いつものノリは残っている、「ディズニー資本」になったことで出来るフザケの幅が広がっていて、メタ構造的なネタの使い方も「なるほど」と膝を打つ「うまさ」が際立っていた。

最低のウルヴァリンとの出会い

今作は「X-MEN」シリーズでウルヴァリンを演じた「ヒュー・ジャックマン」が久々にマーベル作品に復帰するというのも話題だった。

ここもファン心理としては嬉しい反面「うーん」という複雑な心持ちであった。
というのも、ウルヴァリンとしての物語は2017年『ローガン』という作品で綺麗に幕を閉じており、この後に彼がどういう手段であれ復活するなど許されない程の傑作だったからだ。

その複雑な心境も、映画が始まれば『ローガン』時間軸のウルヴァリンはやはり死んでおり、MCUがここ最近世界観を広げるために利用している「マルチバース」要素を使い、別次元のウルヴァリンを探すということになるが、まぁ『ローガン』で死んだウルヴァリンの遺体をデッドプールが使ってアクションするなど、冷静に考えれば「何やってんだ!」と言いたくはなるが、まぁここは大目に見たり。

仕方ないので別次元のウルヴァリン探しが小ネタだらけで終始爆笑に包まれたりしましたので、もうこれは認めざるを得ない。
ていうか、こんなしょうもないネタができるのは「マルチバース」の良さなのかもしれないが。

ただそこで見つけてきたウルヴァリンが「このマルチバース世界で最もダメな男」であるというところにこそ、今回の泣きどころがあったりもする。

というのも、デッドプールから見た他のヒーローは全て、「世界のために戦える」という自己犠牲も厭わない存在で。
デッドプール本人自身は、そこにコンプレックスを抱いている。
要は自分は正統派ではないという点だ。

おそらくそれは「彼が戦う」のは自分のためであり、他者のために行動していないことに自覚的で、自分のための行動が結果他者のためになっているに過ぎないと考えているからだ。
ちなみにその行動があまりにも身勝手なところが多いため、赤の他人からは「ヒーロー」と認められてもいないのだ。

そういう意味では「死んでしまったウルヴァリン」は自己犠牲を厭わず、特に『ローガン』ラストでは未来に希望を繋ぐために彼は死を厭わず戦う。
その意味でウェイドにとってはウルヴァリンはまさに理想の存在とも言える。

ただしマルチバースで出会った彼は、「最低のウルヴァリン」だと言われている。
というのも、彼自身が他者のために「X-MEN」としてメンバーには参加することなく、孤立主義を志したせいで、ミュータントが虐殺。
それに怒り彼も復讐に燃えてしまうという。
そのため世界から最も煙たがれた男になっているのだ。

そんなある意味で世界から認められない「男たち」がタッグを組み、世界を消滅から救うというのが、今回のメインのストーリーになるわけだ。

必要ないものは切り捨てるヴィラン

今回のヴィランはドラマ『ロキ』でも登場した組織TVAだ。
その中でパラドックスは「不要なものを切り捨てる」という思考を持つ強硬派だ。

彼が必要ないと判断された時間軸は破壊されるし、人々は「虚無空間」に追放される。

これはまさに「20世紀フォックス」が作り上げてきた「マーベル作品」と同じだと言える。

この作品の驚くべきところは「ブレイド」「ファンタスティク・フォー」など今「MCU」こそが「マーベルのすべて」と思われているこの時代、忘れ去られて埃被ったヒーローだということだ。

彼らは「MCU」以前の存在であり、制作会社も違うことから、ある意味で「MCU」本流からはこれまでは完全に別物として扱われ、存在なきにも同然と見られていた。

「ディズニー」が「ブレイド」「ファンタスティックス・フォー」の映像化権利を取得したことで、彼らを別キャストで再登場させたり、MCU基準で作り直すことは決まっており、ある意味でそれ以前の彼らは「不要」とも言われているも同然だ。

これはまさに不要な「歴史」は消してしまおうというヴィランの思想と似ている。
そんなパラドックスは「デッドプール」の時間軸すらも消そうとする。

この思考も「デッドプール」をMCUが引き継ぐといった宣言をした際に、「そもそもこれまでのデップーの良さを引き継げるのか?」
「脱臭した状態にされるのでは?」
「そもそも本当に制作されるのか?」
などなど、現実にディズニーによってデップーが消されてしまう危機感もあったわけで、まさにこのヴィランとデッドプールの関係や、忘れられた遺物のヒーローたちが、まさにメタ的な視点で語られるのだ。

これ以上ない「マルチバース」設定

そんな消されそうなヒーロー、最低なウルヴァリン、記憶から消えあたヒーロー。
彼らが送り込まれた空間「虚無空間」
ここに「20世紀フォックス」のロゴが廃墟となっていたりする演出もメタ構造として思い切りがすごいし、なぜか世界観が『マッド・マックス 怒りのデスロード』的で、「フュリオサ」の名前まで出てくる始末。
カサンドラ一味の改造車、その運転方法までが「怒りのデスロード」しているのは笑ってしまった。

そんな虚無空間を支配するカサンドラ。
彼女は虚無空間に追放された後、逆に世界を「虚無」にしてやろうと考えている。

だが、そんな彼女に虚無に飛ばされた忘れ去られたヒーローは抵抗を続けている。
そしてデッドプール、ウルヴァリンもその戦いに巻き込まれていく。

ここで描かれるのは、忘れ去られたヒーローもまた、誰かのために体を張れるということだ。
まぁものすごくしょうもない方法で殺されるジョニー・ストームなど、不謹慎ギャグを忘れないのはこのシリーズのキモなわけだが。

そういえば「MCU」の中で「アベンジャーズ」というのは最も人気のあるヒーロー集団なわけだが、元々「MCU」が制作していたヒーロー映画は「スパイダーマン」「X-MEN」「ファンタスティック・フォー」と違い、映像化権利を売り捌けなかった、売れ残り。
つまり、元々は彼らも「忘れ去られた側」だったことを思い出すと、今作できちんと過去のヒーローを描いていることには意味があるのだと言える。

というか、この「過去も忘れてない」という描写の数々、つまり我々が「ディズニー」が完全に「過去のマーベル」を無かったことにしようとしていると、そう思っていたし、事実新しくリブートに取り掛かっているところもあるが、その前に「彼らに日の目を浴びさせる」ことには感謝せざるを得ない気持ちにもなる。

『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』でも過去のシリーズとしては死んでしまった「スパイダーマン」を再び愛情を持って登場させたり、今作のように「忘れられたヒーロー」を呼び覚ましたり、はっきり言って、これ以上の「マルチバース」の上手い使い方はないとさえ思わされる。

そういう意味で、この映画が「マーベル」の歴史を包括しているとも言えるし、そしてこれ以上の味わいを残す映画を作ることが今後できるのか?

あまりにもこの構図がうますぎて、心配にもなってくるのだ。

王道の締めくくり

ある意味でデッドプールはこれまで悪ノリをしながらも、本質的には自己犠牲を顧みず「ヒーロー」をしていたわけだ。

今作では最後に今まで最低なウルヴァリンと呼ばれた男が、「マスク」を被り真の意味で「ウルヴァリン」となる。

なぜ彼だけが、どのマルチバースのウルヴァリンも着用していなかった「スーツ」を着ているのか?
この謎解きにも感動的な秘話が隠されている。

普通アメコミヒーロー映画はマスクをつけた存在が、そのマスクを外すことも多いのだが、今作は違う。
それをつけた上で、「真の意味でのヒーローとは?」ということに向き合っていく。

ふざけたヒーローであることを売りにしながら、このシリーズは必ず「ヒーローとは?」という命題に真正面からぶつかっていくのだ。

世界のために身を犠牲にしたトニー・スターク。
ウェイドはずっと「アベンジャーズ」のようになりたいと冒頭から語っていたが、あそこで迷わずに自分の身を犠牲にしようという思考になる時点で、すでにかっれはヒーロだ。
さらに、過去「一歩踏み出せなかった」ウルヴァリンもデッドプール
の手を取り、世界を破滅の危機から救う。
1人ではできなかったが、2人だったことで彼らは生存することができたのだ。

何よりもヒーロー映画らしいクライマックスに、きちんと今回も感動させられてしまったはいうまでもない。

まとめ

ということで、この作品に関しては「マルチバース」の使い方が非常にうまい、いやこれ以上の効果的な使い方があるのか?
という今後の「MCU」全体に対しての不安が募るほど、よくできた作品だった。

ある意味で「切り札」を切ってしまったという感じもある。

ただ、今後過去のMCU以外のマーベル作品を「リメイク」していく段階に入ったことで、もう一度そこに光を当てようとする視線は、過去作のファンに向けてもきちんとしたケジメであるかのようにも思える。

そういえば設定で「アンカーがいなくなった世界は消滅する」と言われていたが、この映画における「アンカーとは映画の主役」のことだ。

これはどのような映画であっても主役が死ねばシリーズは完結する。
つまりその映画世界に「続き」はなくなり、世界はそこで終わったも同然になるという意味だ。

ただMCUは様々な映画を繋ぎ合わせることで、例え主役が死のうとも、世界は変わらずに続くのだ。
そういう意味では、単体のヒーロー映画は完結しても、世界は完結しない。
これまでの映画的常識に抗おうとしているのかもしれない。

果たしてそれがエンタメとして正解かどうか、それを今後も見守っていくという意味でMCUの今後にも少し興味が出てきたとも言える。

ということで、何はともあれ、最近のマーベル作品では間違いなく一番の出来だと思うし、もしかしたら「マルチバースサーガ」でここまで「マルチバース」を活かした作品はないかも知れないし、ここがピークという可能性も全然あるので、ぜひ映画館で見てください!

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