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並行書簡-40

 久しぶりに完徹した。賢さんと会う前日だ。江ノ島の賢さんおすすめのレストランで、賢さんにご馳走になる予定だった。自分は賢さんと会う前に、体調を崩そうとする癖があるのだろう。

【引用はじめ】

賢さんの家で食事をする予定のあるときは、なぜか「不調気味」で行くことになる自分がいる。今回のように寝不足だったり、風邪気味だったり。そして、ご飯を食べて元気になるところまでがセットだ。この日も、ご飯、お味噌汁、塩麹の漬物に、おかわりは卵かけご飯をいただき、いつも通り、疲れと眠気が和らいでいた。

「ご飯食べるとだいたい眠くなるのに、賢さんのご飯は眠くならないよねぇ」

ぼくがそういうと、漫画家が自分の漫画がアニメ化された映画を友だちと一緒に観に行った後の感想が「漫画が原作らしいよ」だったときのトーンで、

「なにを食わしてると思ってんだよ!」

みたいなことを言われて、笑った(これこそ、もっと違う言い方だった気もする)。ぼくはなにを食わされているんだろう?

【引用おわり】

 夢のような(本当に夢のような!)ランチを頂いたあと、駐車場へ向かう途中だった。「なにを食わしてると思ってんだよ!」とぼくは書いたが、賢さんの記憶では、「どんだけゴミみたいな飯食ってんだよ!」みたいな落とす言い方だったそうだ。賢さんは歩きながら後ろ姿でそう教えてくれた。賢さんの記憶の方が正しそうだった。

 記憶はいつも作り出されている。作り出された記憶に、ぼくらの信念は隠れている。

【引用はじめ】

 雄馬が、まだ寝ている。私は今朝8時に起きて、今日の夜中の2時頃に来ていた、短歌のLINEに、返信した。「わかった。わかった。わかったから、“並行”しなさい。」私はそう書くべきだったのか? いや、せっかく、短歌を送ってくれたのだ。そんな言い方は、するものじゃないだろう。私は、そう思い、私の方こそ、“眠る”ことにしたのだろう。それで私は、この執筆を通して、“起きる”ことにしたのかもしれない。私は、私を通って何が出てくるのかを、見たい。知りたい。体験したい。だから、雄馬、早く、“並行”しろーーそんなところだろう。

【引用おわり

 今日、起きたのは12時過ぎだった。昨晩、江ノ島から北越谷まで電車で移動した。家に到着した頃には、日をまたいでいた。(何か書かなければ)という想いはあったものの、風呂からあがったらもう眠気が限界で、短歌を詠むのがやっとだった。それを賢さんにLINEで送って、寝床についた。

【引用はじめ】

 短歌も、短歌以外のやりとりも、そして「やりとり」とは一般的には認識されない何もかもが、実のところでは、“並行”でもあり、“並行”でなくもある。常に、全てが、“並行”、すなわち、同時存在している。私が書いたから次は雄馬、雄馬が書いたら私……そういう暗黙の決まり事のようなもので私は私を締め付けて、私は“眠っていた”ところがあると思う。

【引用おわり】

 神保町のさぼうる2。いつだったか、「ナポリタン食べたいです」との要望に編集者さんが提案してくれたお店だった。そのときは満席か何かで入れなかった。神保町駅に着く直前にそのお店を思い出した。

「ここに行きたかったので、ここに向かってます」

 会う約束をしていた賢さんとの共通の友人に、さぼうる2のお店情報とともにLINEを送る。「また高級店か!」と返事がきた。以前に奢ってもらった東京の喫茶店や大阪でのランチが高かったことからの発言だ。「奢りましょう😋」と返信して、お店に向かう。地下鉄の駅から出てすぐのところにお店はあった。近くだったから、傘をささずに小雨の中をゆっくり歩いた。

【引用はじめ】

 夕飯は、昼と同じ店で、三人で食べた。おいしかったぁ。すごいねぇ、おいしいねぇ、本当に、ビックリだねぇーーまさに“舌鼓”を打ち、太鼓でも叩きたい気持ちだった。走り出したくなるような、でも、そこから一歩も動きたくないような、そんな料理だった。

【引用おわり】

 ランチを頂いた同じ日にディナーにも訪れる。そんなことは普通はしない。なんか、恥ずかしいからだ。大学院生時代、百万遍にある吉野家(ぼくの母親くらいの年齢のおばさまが炊くご飯が美味しかった)で昼食と夕食を食べていたのを除けば、そんな「恥ずかしい」ことをしたのは、人生で2度しかない。大阪と江ノ島だ。

「高かったですわぁ」

このセリフは、完徹した夜、つまり賢さんに会う前日に、友人がバーのカウンターでぼくに言ったものだ(喫茶店さぼうる2でお茶をした友人と同一人物だ)。人生に2度しかない「おかわりレストラン」をした大阪でのランチ。それをご馳走してくれたのは、彼だった。そのときのメンツは、彼、賢さん、ぼく。お店は賢さんのチョイスだった。素晴らしいお店で、素晴らしいランチだった。

 ランチのあとにパートナーと合流し、夕飯どうする? と相談していたときに、賢さんの提案で、ランチに行ったレストランにディナーでも行くことにした。お店の方は「おかわり」に驚いて笑っていたが、喜んでくれていたようだった。「おかわりレストラン」はやってみたら、何も恥ずかしいことではなかった。もちろん、ディナーも素晴らしかった。

「高かったですね」

ぼくは大阪でのあの素晴らしいランチが高かったとは思っていなかった。けれど、ぼくは「高かったですね」と返事して、ウィスキーを舐めた。「高かったですね」という答えはぼくにとって嘘だが、「ぼくは高いとは思いません」とあえて言うことは余計なことだ。では、彼への気遣いや、また奢ってほしいからなどの打算がぼくに「高かったですね」と言わせたかというと、それも違う。

 お金を出してくれた友人にはもちろん感謝しているが、その感謝はその料理を作ってくれたお店の人や、頂いた食事(パンが美味しく、何度もおかわりした)に感じるものと同じ程度の感謝だ。それは唯一無二の時空間をくれた全ての存在に対する、最大の感謝だ。最大であるがゆえに、お金を出した彼は飛び抜けない。彼もお店の人も食事も、どれも最大で、濃淡はない。その日の気候、お店の内装、お店にいた他のお客さん、そのお店まで自分を運んでくれた車などなど、最大の感謝はどこまでも広がっていく。最大の感謝は、無分別で、伝えようとしなくても、伝わってしまうものだ。最大の感謝が彼に伝わる(彼は人一倍伝わる人だ)のを知っているから、ぼくは「高かったですね」と嘘をつけた。いや、それはもう嘘ではなかった。彼の「高かったですわぁ」は、いまやあのランチの彩りだ。

【引用はじめ】

シャボン玉は、線ではない。いつだって球だ。光が当たれば七色に輝き、自由に飛び回る。たくさんのシャボン玉が、それぞれの大きさで輝き踊る、七色の世界だ。その世界でも、依然として大きいシャボン玉もあれば、小さいシャボン玉もある。けれど、「大きさ」はいまや彩りだ。大きさに良いも悪いもない。どちらもあるから、なお美しい。

【引用おわり】

 さぼうる2は喫茶のみの利用ができないらしかった。「喫茶のみですか? 食事されますか?」と聞かれて、「食事します」と咄嗟に答えていた。ナポリタンを食べよう。友人は昼食を食べてからくると思ったけど、そのときはそのときだ。The 喫茶店な店内の一番奥に着席し、ナポリタン大を注文した。

「もっと高級な店に行きましょう」

友人からの返信だ。ぼくが奢るとわかっての冗談だ。「もう遅い」と返信したりしていると、あっという間にナポリタンがやってきた。

さぼうる2のナポリタン

「The ナポリタン」なナポリタンの写真を撮って、友人に送りつけ、食べ始めてほどなく、彼はやってきた。

【引用はじめ】

 夕飯は、昼と同じ店で、三人で食べた。おいしかったぁ。すごいねぇ、おいしいねぇ、本当に、ビックリだねぇーーまさに“舌鼓”を打ち、太鼓でも叩きたい気持ちだった。走り出したくなるような、でも、そこから一歩も動きたくないような、そんな料理だった。

【引用おわり】

 江ノ島の「おかわりレストラン」は、賢さんの家から歩いていくことになった。歩いて1時間くらい、とのことだったが、もうちょっとかかったかもしれない。後半の方は少し早歩きだった。賢さんは、お店に着く頃には「脚の根本が痛い」と、自身の運動不足を笑っていた。

 レストランに向かう道中、左手には海と空が広がっていた。曇り空で暗かったが、ほとんど満月の月が隠されながらも海と空を照らしていた。

 ときおり、夜の海が真昼の海のように輝いた。真っ白にきらめいていた。夜の空が澄んでいた。まだ季節をしらない空のように、青。ぼくは賢さんの背中に向かって「見てよ!立ち止まって、見てよ!」と叫ぶのを我慢するのに、歩きながら踊るしかなかった。

 記憶はいつも作り出されている。作り出された記憶に、ぼくの信念は隠れている。

【引用はじめ】

 雄馬が、起きていた。「既読」が付き、目がハートになっていた。私は雄馬の短歌に「お見事」と言ってその後ろに親指を立てた絵文字を付けた。「頼む。早く“並行”してくれ。オレは、“並行”したいがあまり、もう、気が狂いそうだ。死んでしまいそうだ。さすがにそれは、お前も、困るだろ?」

【引用おわり】

「賢さん、〇〇さん(友人の名前)のこと、週1で思い出してるそうですよ」

彼は、ぼくのナポリタンを食べながら、うれしいのか、おどけているのか、絶妙に分からない表情で言う。

「それ、恋じゃないですか」

「ぼくも、週1くらい思い出すかな」

「恋ですね」

「うーん、週1くらいなら恋じゃないですね、病的じゃないから」

友人からナポリタンを取り返して、食べる。昨晩のパスタのことが思い起こされた。賢さんとのディナーだ。ジェノベーゼのパスタが、ナチュラルワインとよく合った。

「昨日は賢さんにご馳走になったんですよ、江ノ島のレストランで」

「へー、いいですね」

「ランチもディナーも、最高に美味しかったですよ」

「お金持ちですね」

「帰り際に、お金ももらいました」

「いくらもらったんですか」

「10万円」

「わー!天使みたいな人もいるもんなんですね」

「そのお金で今日は奢りますね」

「まわってますね〜」

腕まくりをして慎重にナポリタンを食べる。それでもやはり、ベージュのスウェットにナポリタンは「危険」だ。脱いでカバンの上に置いた。そこで思い出して、「忘れないうちに」と友人に本を渡した。

 OSHOの『存在の詩』。まだ読み終えていなかったが、昨晩、江ノ島から帰ってきて、お風呂の中で渡そうと思った。

 数週間前、パートナーが2度読んだその本を、ぼくもそろそろと思い電車の中で読み始めたのだけれど、本編の始まる前に掲載されているOSHOの笑顔の写真を見て、胸がいっぱいになり、読み進めることができなかった。「おかえり」と言われたようだった。

 その写真のページに、ぼくの短歌を書いたポストカードを挟んで渡した。昨晩、賢さんへの短歌を詠んだのと同時にできた短歌だ。

 ときおり、夜の海が昼の海のように輝いた。真っ白にきらめいていた。夜の空が澄んでいた。まだ季節をしらない空のように、青。ぼくは賢さんの背中に向かって「見てよ!立ち止まって、見てよ!」と叫ぶのを我慢するのに、歩きながら踊るしかなかった。

【引用はじめ】

 雄馬は昨日、四人で昼食を取りながら、こう言った。「賢さんは、反対の山から登ってきた。」

 違うだろうか。とにかく、雄馬からすると、私は、陵にいるらしい。多くの人が、海にいて、世界は全て海であると思っているらしい。私は、もともと陸の出身で、なにやら、みんなが海にいるから、私も海に入ってみようかな、と思い、実際に、入ってみたとのことだ。そうしたら、苦しかった。なんじゃぁ、こりゃ。私は、とんでもないことだと思い、陸に戻った。そして、現在に至るーーとまぁ、このようなことらしい。私は、なんとなく、わかる。なんとなくわかるが、雄馬に言われるまでは、考えたこともなかった。

 私は、海にいる人たちは、海にいることが正しいことなんだと思い込まされているだけで、本当の、本当に本当の本心では、海にいたくないんじゃないかな、という可能性を、うっすらと、感じている。

 雄馬は、彼らは、海にいることを、自分の望みだと思っているんだよ、と、わりとこう、あっさりと、言う。それで私は、驚いて、言う。「なんで、どうやって、そういうの、わかるの!? だって、雄馬さん、海が世界の全てだと思ってるタイプの人に、なったことないでしょ!? それなのに、なんで、どうやって、わかんの!?」である。

 私は、話の流れを無視して、今、少し、わかってしまったかもしれないことがある。死についてである。

 もしかして、海が世界の全てだと思っている人たちは、海から上がることを、死ぬことだと思っているのではないか。そうだとすると、私は、彼らの「死生観」(鉤括弧を付けた私の気持ちはどんなものだろう、と私も想像を楽しみたいが、今は執筆中なので、後にしよう。)に従えば、死んで、そのまま死にっ放しで、「現在に至る」人だ。私は、死人だ。

【引用おわり】

 空なんだよ、賢さん。ぼくらがいるのは、海でも陸でもなく、こちらでもあちらでもなく、空なんだよ。だから、海にも陸にも、いれるんだよ。好きなところに、好きなだけいれるんだよ。海にいようが、陸にいようが、どちらも勘違いなんだよ。自分はいないんだ。空なんだよ。

【引用はじめ】

 生きている人間が内部に多かれ少なかれ何かを抱えているのは、私にとっては当たり前のことであり、それ自体は何とも思わない。「人間」と言わずにわざわざ「生きている人間」と言ったのは、内部に何もなくなったら魂だけの存在になってしまい、仏になってしまうからだ。仏になることを「お空に飛んで行く」とも言うが、(内部に)何もないという意味での〈空〉と、飛んで行く先のお〈空〉に同じ字が使われているのは、偶然ではないだろう。もしそうなら、「生きている人間」が内部に何も抱えていないというのは、定義上ありえないということになる。

【引用おわり】

 空に気づくには、立ち止まるしか、ないみたい。

【引用始め】

 今、午前十一時四十一分だが、雄馬へのメッセージは、いまだ、「既読」になっていない。目を覚ませ、雄馬。オレは、起きたぞ。いつまで寝てるつもりだ。お前がもし、本当にシャボン玉なら、オレは、お前を、叩き割ってやりたい。

 もう少し、続けよう。その前に、腹が減ったので、何か食べる。

【引用終わり】

 今、午前の6時半を少し過ぎたところだ。ぼくは寝るよ。最大の感謝、ようするに愛をもって。

 明日のぼくも、よろしく頼むね。


むりすんなよ