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いつから自分に自信がついたか

「自分に自信がありそう」とよく言われる。しかし、中学生の頃、私の自尊心の低さは異常だった

今の自分に到るまでには、2段階の変化があったと感じている。今日はその変化を振り返る。

①アメリカでの学び

当時はアメリカにいた。アメリカ人の子供たちは自分が大好きで、いつも自分が一番だと考えていた。そんな中で自信のない私は肩身が狭くてしょうがなかった。

国語の授業で詩を書く課題があった。他の生徒が自信満々に自分の作品を発表するなか、私はあまりに恥ずかしくて、手で自分の作品を覆ってずっと俯いていた。現地校は制服がなかったのだが、自分のファッションにも自信が持てず、毎日変な汗をかいていた。自分の体つきも嫌いで、体育の着替えの時間が苦痛だった。

それくらい自分に自信のなかった私だったが、学校に馴染み少し周りを見渡せるようになって、あることに気づいた。

「・・・・この人たち、別に私よりすごいわけじゃなくない?」

アメリカ人たちが胸を張って発表する作品は別に私の作品と大差ない出来だということ。私のファッションなんて誰も気にしていないということ。私より痩せている人も太っている人も堂々としているということ。

みんな根拠のない自信を持っているだけで、中身はわたしと変わらないのだ、ということに気づいた。それ以降は気が楽になって、自分が思っていること、自分の好きなものを主張できるようになった。

アメリカでの学びは、「意見の質なんて気にせずに、意見を主張すれば良い」ということだ。

②日本での学び

アメリカから帰国した。中学二年生だった。

漫画やドラマによって日本のイメージが型作られていた私は、日本では自己主張は罪だと思っていた。

日本で自分の意見を主張する=いじめられるという被害妄想をしていた。

結果、他の人と違う意見を持っていても、自分を殺して相手に合わせるようにしていた。選挙の票数のためにいい子ぶってみたり。クラスの「ワル」のテンションについていけないなと思いながらヘラヘラ笑っているような子だった。

転機は高1の時に訪れた。

高1のクラスに恵まれなかったのである。「ワル」たちの「勢力」が強くて、「優等生キャラ」だった私は「面白くない」側に入れられてしまったのだ。

今までのクラスではもう少し注目された存在だっただけに、自分の立場にイラついていた私は、今までは絶対言わなかった鋭い発言も言うようになった。

ある日クラスの「ワル」の子が私に質問した。

「なんでうちってバカなのかな?ギャハハ!」

私は真顔で答えた。「授業中寝てるからだよ。」

今までだったら、「え、〇〇ちゃん、全然バカなんかじゃないよ〜!」などと返しただろう私にとって、これはかなりハラハラな返答だった。

しかし、予想外の返事がきた。

「ギャハハ、受ける、やっぱそうだよね〜」

私はびっくりした。彼女は全然怒らなかった。なんなら受け入れてくれた。
私が思っているより、ここは暖かいコミュニティだったことを知った。

それ以降は、かなり生きやすくなった。この日以降「解放」した自分の「キャラ」は今も健在だ。大学でも、この「カセユマ」のキャラとして自分を受け入れてもらえている気がしている。

日本での学びは「主張を受け入れてもらえる環境は居心地が良い」ということだ。

③自信を持つためには

自分の経験を踏まえて思っていることがある。

私は「自信がある人」(=自己肯定感が強い人)には2つの条件があると考えている。

それは自分の主張があることと、それを発信する勇気があることだと思う。

そして、発信する勇気を持つために欠かせないものがある。それが、自分の主張に耳を貸してくれる環境があることだ。

私はアメリカで主張を持つ姿勢を学び、日本で発信する勇気を得た。これらが揃ったから、「自信のある」カセユマになれたのだろう。

私は自分に自信が無いと思っている人々に伝えたい。自分の意見を周りに伝えてみてごらん。自分の好きな人たちは、自分が思っているよりずっと暖かく、その意見を受け止めてくれるから。



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