マルタ島での1ヶ月半の生活を振り返る

お久しぶりです。カセユマです。
卒論がひと段落し、卒業までラストスパート。やろうと思ってできていなかったことを毎日全力で消化しています。(大半はカフェ巡り)

さて、前回の記事では「マルタ島でのインターンを通して感じたこと」について書きました。今回は、マルタ島で暮らすなかで印象に残ったことを記しておきたいと考えています。

ざっくりまとめると、良いことばかりではありませんでした。期待していたことの大半は裏切られました。

これからこの詳細についてお話ししていきますね。

①多くの人と議論が交わせると思い込んでいた

ヨーロッパの人々は、そこまで英語ができないのだ。

マルタで過ごすあいだ、私はオランダ人、ポルトガル人、ロシア人、ブルガリア人などと知り合った。全員日常会話レベルの英語は問題無いが(それだけでもに日本人のレベルよりかははるかに高い)ビジネスや歴史についての意見が交換できるほどではないのだ。

生活に関する最低限度の会話しかできない日々は、苦痛であった。その分、週末に訪れたイスタンブールのホステルで相部屋だったアメリカ人と1日議論できた時間が楽しくてしょうがなかった。

②ヨーロッパならではの社会的分断

ヨーロッパにはアメリカとは別種の、そして根深い、社会的な分断構造があることを思い知らされた。

まず宗教的分断。私が関わった多くのヨーロッパ人は、イスラム教徒を忌み嫌っていた。テロや移民問題も絡んでいるのだろう。

次にジプシーに対する侮蔑。マルタの旅行代理店で働いていると、客が去った後に、「あの客の名前的に絶対ジプシーだった。あいつは信用ならないよ。どうせパスポートも偽物だよ。」などといった会話を社員たちが交わしているのが耳に入った。

そして黒人差別。人種差別はアメリカ特有のものだというイメージが強い。しかしヨーロッパでもアメリカとは様相の違う差別が存在した。特に印象に残っている出来事がある。

ロシア人の社員に、「今度チェコに旅行するんだ」と伝えた。するとその社員はキラキラの笑顔で「チェコは最高よ。特にプラハは黒人が一人もいないのよ!」と教えてくれた。私はどう反応すれば良いのかわからなかった。

アメリカではプライベートな場ともなれば人種差別的な発言も垣間見えるが、大声で、公の場で、そのような言動をとることは慎むべきだという暗黙の了解がある。会社のオフィスで屈託もない笑顔でこのような差別的発言ができる環境に私は戸惑いを隠せなかった。

最後にアジア人に対する差別。これも、アメリカとはまた違う分断を感じた。アメリカでは、アングロサクソン系のアメリカ人たちは「アジア人」との共存に慣れていると感じる。「自分たちとは違うが、同等で、話の通じる存在」だと認識されているのだと思う。

しかしヨーロッパ人は「アジア人の扱い方・アジア人との接し方」がわからず戸惑っているように感じた。職場では日本は忍者と侍の国で、旅行するときはカメラをぶら下げている、という30年以上昔のステレオタイプを確認された。若者たちで集まった場合には、「このアジア人には話しかけて良いのだろうか」と思われているような疎外感を感じた。

アメリカには2世、3世のようなアジア系移民が大勢いる。そんなアメリカでは、アジア人は当然英語は通じるし、「こういう生活をしていて、こういう価値観なんだろう」という時代に即したステレオタイプが存在する。(Asian Stereotypesとかで検索するとわかる。普通に共感できる。)身近で日常的な存在だと認識されているのだと思う。しかしアジア人の割合の少ないヨーロッパでは、普段接するアジア人が少ない分、「異種」「接し方がわからない」という気持ちを持たれてしまうのだろうな、と考えた。

③家事にかかるコスト

マルタでは生活の全てを自分で回さなくてはいけなかった。おまけに、お金がなかった。

トイレットペーパーにもお金がかかること、洗濯の時は天気を気にしないといけないこと、料理の献立を考える精神的・思考的コスト。実家暮らしの私にとってこれは初めての経験で、大変だった。

結論は「丁寧な暮らしにはお金がかかること」そして「将来は家事にさけるだけの時間または家事をアウトソーシングできるだけのお金がある人生を送りたい」だ。

④豊かな時間

東京での生活は刺激にあふれている。毎日何かしらの予定があり、人と会い、タスクを消化する。マルタでの私はそのような全ての交流から放たれていた。

大量の自由な、自分のためだけの時間を、私は自己研鑽に費やした。興味のおもむくままに調べ物をし、学び、自分の今までの人生を見つめ直した。

週1で友人と電話越しに議論を交わす時間を設けたことも相まって、この時期の私はver1.0からver2.0にアップデートできたように感じている。実際イスタンブールでのディスカッションで、それまでは自らの意見をつたきれなかったような話題でもそれなりの考察が披露できたことは、非常に大きな達成感があった。

まとめ

以上が仕事以外の場で私が感じていたことの記録である。新しい世界を知り自らを刷新した。有意義な経験だと感じている。少し遅くなったが、まとめることができてよかった。

毎日がつまらないと思っている人は「外」へ飛び出してみるべきだ。

『世界は思っているより、ずっと広い』

大好きな作家の言葉だ。

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