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我が家の庭の風景 part.77

今年は10年ぶりの猛暑だそうだ。10年前と言えば、会社と家の往復ばかりしていた頃だっただろう。一人暮らしのマンションに庭はなかった。
その頃どこに勤めて何の仕事をしていたかも覚えていない。暑かったとか寒かったとかどんな知り合いがいたとか、何も覚えていないのに、ろくな日々ではなかった感慨だけはある。

灼熱の太陽の下にいると、頭がぼーっとして悩むこともないようだ。体温が上がり、肌は灼かれ、ムシムシとした熱気に思考が奪われる。
草取りをするのは数分のことだ。
あまりに呆気なくもっとやっていたいが、気候が外にいることを許さない。

二十年前、私はまだ子どもだった。
学校のルールに従って忘れ物をしたら、家に取りに帰った。それがどんなに理不尽な要求かも考えもしなかった。
「単位をやらない」
と言われたら、従うほかないと考えていた。
家まで片道16キロメートル。2往復で60キロ以上ある。夏休みの補習だったのか。
特に成績不良ではなかった(化学だけは別)。
今思えば、なぜ夏休みの補習に宿題等あったのだろう。成績不良でもないのに、なぜ補習に行かなければならなかったのか。

数学の問題に夢中になって、夜だけでなく、朝早く起きて2回目を解いたのが悪かった。そのまま机の上に宿題を忘れて登校してしまった。

「家で2回解いたので、解けると思います。家に帰ってとってくる方が時間がかかるので、学校で解いてはダメですか」

そんな風に先生に訴えたが、認められなかった。今思えば、なぜばか正直に取りに帰ったのか。学校の近くの書店に寄って、ノートを買って、誰かに問題集を借りて、図書館ででも問題を解いて提出すればよかったのだ。

私はバカ正直に家に宿題を取りに帰って、その日の夜には熱を出した。とにかく暑い日だった。
自転車をこいで、家に帰ったときには日が暮れて、涼しい時間帯になっていた。しかし、夕暮れで視界が悪かったので、虫が体にたくさんまとわりついて、玄関先で髪の毛に蜘蛛が絡みついているのに気づいた。そのまま布団に倒れこむこともできずシャワーを浴びた。
もしかして補習ではなく夏期講習だっただろうか?その辺の名称の違いはよくわからない。

中学高校とオリオン座を目指して自転車を漕いで帰った。
朝やけの見えないくらい深い霧の中、時折すれ違う車は大型のトラックしかなかった。街灯のない道を田んぼの中に落っこちないように、まっすぐまっすぐ自転車をこいで、走り抜けた。
制服マジックだったのか。不審な人に話しかけられることも多かった。

しかし、夏は案外安全だった。
夏祭りに連れてってくれるような親ではなかったし、友達と待ち合わせて、人混みに行く性格でもなかった。
夏休み、クラスメイトと没交渉という事はなかっただろうが、誰と連絡をとって誰と遊んで宿題をしていたとか覚えていない。

新卒で働いた東京の新橋の街並みも全く覚えていない。駅の前にあった妙にに目立つ建物だけ記憶に残っている。夏の暑い日に渋谷に買い物に出かけた気がする。1人だったと思う。

たった数分の午前中の庭作業を終えて、家の中に戻ると陽炎の中に過去の記憶を見た。
人生はあまりに長い。そろそろ止まってもいい。
ふと窓から夏草を見ると、再び灼熱の庭に出てみたくなる。草木に水をやって、前庭に打ち水をする。その水もすぐに蒸発してなくなってしまう。草はすぐ生えてくる。水はすぐなくなる。父は花壇を踏み荒らす。
何もかも意味がないようだ。
しかし、何もかも記憶に残らないような暑い日。涼しい部屋の中がまるで天国のようで、ちょっとだけ庭に出た後はまるで生き返ったような、生き直したような気分になる。

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