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【小説】さよなら川辺川 ⑮

「何をするかではなくて、どうやってやるかが大事じゃろう」

おおばあちゃんが言った。確かにそうだ。街のジオラマづくりを海人と大樹と鮎美で始めたが、それぞれの手法は異なる。同じ部活動で同じことをしようとしても、それぞれプラスティックで紙でしぜんそのもので表現しようとしているのだ。それがそれぞれの個性なのだが、お互いがそれを認め合うというのは難しい。こと、鮎美のように圧倒的に技術が足りないものからすれば、協力作業から時に抜けてしまいたくなる。

「おおばあちゃんみたいに何でもできないもん。こうやって支柱ひとつ立てきらん」

鮎美が緑の棒を四苦八苦して地面に差し込むと、つうっと頬に汗が伝った。数日以内に台風が来ると言うので、今日はおおばあちゃんと鮎美と大樹で大樹の畑に対策を施していた。他の大人たちは家屋の対策中である。

「そら、ばあちゃんとあゆみなあ、生きてきた年数の違おうもん。同じようにできたら、ばあちゃんの立場がなかたいね。ばってんな。同じ作物を育てるにしたって、あーだこーだすっけん楽しかっちゃろう。なーもせんでもただ生えてくっもんと思われたら、みんなの苦労の報われんちゃあ思うわんね」

「めちゃくちゃ苦労して育ててるのに野菜なんか安い値段で売られて割に合わないもんね」

「そぎゃん苦労はしとらんと。当たり前のことたいね。昔は自分とこで育てんとなんも食べられんかっただけたい。防空壕の中でな、籠にサツマイモばいっぱい入れて逃げ込んだらみんなに笑われたばってん、そんサツマイモのおかげでみんな生き延びたとよ」

「おおばあちゃん、その話もう100万回聞いたよ」

鮎美が苦笑して横目で見ると、おおばあちゃんのりつ子は支柱を立て終えて暴風対策のネットを広げるところだった。そこに庭の鉢植えを温室に片付けていた大樹が合流し、ネットを貼ると、蒸し暑さで服がべとべとして気持ち悪くなった。すぐにでも着替えたいが、窓辺でじっと猫のマロンが人間たちの作業を見ていた。どうせこの後シャワーを浴びるならもっと汗をかいて外作業を終わらせてしまいたいと思い、鮎美は草むしりを申し出て、ついでに”ジオラマに使う材料を庭で採取する”ことになった。コケとシダとマツヨイグサと杉の葉を少し取ってきたら、大樹はご機嫌で鮎美たちに車庫にしまってあるジオラマを見せてくれた。

「あら、小さなお庭たい。変わった盆栽たいねえ」

「おおばあちゃん、これは町のジオラマよ。人間や車が乗ってるでしょ」

鮎美は吹き出しながら、自然で作られたジオラマの中の小さなソフトビニールの人形の一つを指さした。つい笑ってしまったのは、鮎美が常々思っていたことをりつ子が言ってくれたからだった。大樹も大樹の父の光太朗も誇らしげに畳何枚分もの巨大ジオラマに鮎美が取ってきた植物をああだこうだと言いながら飾り始めたが、井戸水を引いて流れる仕様と言い、りつ子の言う通り、それは本当に小さな庭にしか見えなかった。ある程度形になるまで見せられないと言っていたので、それを海人と一緒に魅せられた時二人ともとても感動し、海人など「さすが大樹は頭いいよなあ。真似できないよ」と言っていたものの、最近は大樹のジオラマの話をせず、鮎美も海人のジオラマの方だけ頼まれた小さなものを作るようになっていた。

だって、大樹のジオラマは完成が見えず、下手に手伝えるものではない。っ自然物を使っているので、草木が枯れるとまた貼りなおさなくてはならない。本物の土に生えた小さな樹々は日々大樹と光太朗がハサミで手を入れているらしい。まだ思っている形にならないというポンプの繋がったダムははまっている落水板を抜くとわっと水が流れ出して水路からあふれ出てじわじわと苔の植えられた地面に染み込んでいく。

小型のダムみたいなものを作って、ダムが水をせき止めて水害を防ぐ効果があるのか実験してみたいなと言ったのは、鮎美だった。しかし、その時実行してみることは全然考えてもみなかった。元々後先考えずに思い付きでものを言う性格である。真面目な大樹はそれをまともにとって、いつも感心してくれるけれど、小学生からの付き合いの長い友達は鮎美のそういう発言を夢見がちな性格からくるものともっと緩い目で見てくれている。まさか本当に作ってみるとは思わなかったので、ミニチュアダムもどきのジオラマを見せられるたびに大樹のダムや水害に対する興味の深さもっといえばこの町に対する愛着をまざまざと思い知らされる気がして、鮎美は大樹を尊敬するとともに自分自身の不甲斐なさに暗い気持ちにもなった。

鮎美たちの部ではダムの見学に出かけて、ダムについてのパンフレットをもらってきた。しかし、鮎美や大樹が思っていたようにダムや治水について学ぶことができなかった。なぜなら、パンフレットの説明にはダムの良いところしか書いてなかったからだ。それをそのまま紹介しても、ダムで水害対策ができますよというダム推進の宣伝にしかならない。

「そら、なんかするとき悪いことなんか書かないでしょうが。こんなメリットがありますよって言わないと話が進まないもん」

母の道子はダムについてどうやって記事を書くか悩む鮎美にそう諭したが、だとしら物事を進めるときの議論の場というのはどこにあって、そのとき話し合ったメリットやデメリットの意見はどこに記録として残されていくのだろうかと鮎美は疑問に思った。何かするときに、説明する人が良いことしか言わなかったら、そもそもどこに問題があるかとか専門的知識のない人に気づく余地があるのだろうか。よしんば何か気づいたとしてもやはり詳しい知識がないので、結局言い負かされて思い付きでものを言ったと判断されて議事録にも意見として残してもらえなさそうである。

それこそジャーナリストにでもならなければ、ダム問題について書くのは難しいのかもしれない。そう思って鮎美はダムについて書くのを断念したが、大樹は諦めずにジオラマでの実験をいつか記事にする予定のようだ。でもジオラマでやったことが本当に鮎美たちの住む地域で雨が降った時の状況に当てはまるとは限らない。ダムからの放水の様子を再現したとしても、実際にはその時頭上からも雨が降り続いているはずである。今はダムが一つだが、7月に水害があってすぐ以前に中止になったダムをもう一つ作る話が決まった。ダムは将来的に二つになる。天候の状況や二つのダムの放水をどう再現するのか、大樹と光太朗は鮎美の目の前で真剣に、そして、どこか楽しそうに話し合っていた。

『大樹ほどじゃないけど、僕も今の町の様子をできるだけ再現して残したいと思っているんだ。そうしたら、今度水害が起きた時や新しいダムができた時に何がどう変わったか比べることができるかもしれないし』

この間期末テストが返ってきたときに、海人はそんなことを言っていた。海人は母親で小学校教師である広田先生と約束した学年5位以内にはなれなかったけれども、ジオラマ作りが自分にとってどれだけ大切か母親にプレゼンして今後も続けることを許してもらったらしい。成績を落とさない鮎美と海人のことをすごいと言っていたけれども、鮎美は前の2番から5番に落ち、大樹も3人に抜かれて4位だった。鮎美はなんとなく悔しくて家で泣いてしまったが、何にも気にしていない様子の海人や大樹の方がすごいと思った。ただ、机に向かって勉強するより大事なことを大樹たちは知っているという気がした。だから、大樹は数学で10点落としても全部ミスだから大丈夫と自信が持てるのだろう、鮎美は10点もミスしたらまた次もミスすると思って立ち直れない。事実、前回中間で漢字の覚え間違いを3つしていた社会の歴史のテストは、今度は5つの漢字間違いに増やしてしまった。他人からはいつも余裕があって飄々としているように見られる鮎美だが、本当はつまらないところで気にしいなのだ。

「おおばあちゃん、だいちゃんにもらった小さいナスはぬか漬けにするんでしょう」

「あゆみがそれが食べたかならそうしようかいね」

「食べる」

車庫においてあったキャンプ用の椅子に座ってりつ子はいつものようにゆったりとして水筒から水を飲んでいた。疲れるような畑仕事をした後でも、おおばあちゃんは少しもそれを感じさせない。けれども、おおばあちゃんの腰はその苦労の証のように深く曲がっている。

開け放たれた車庫の扉の先には、おおばあちゃんが整えた大樹の畑がある。台風がきてもきっと大丈夫そうな頼もしい姿をしていた。晩秋の風もだいぶ冷たくなったというのにまだ生っていた茄子の実は全部収穫してしまった。ミニトマトもおおばあちゃんが漬物にするというので、青い実も全部取って黄色くなっていた苗は倒してしまった。

おおばあちゃんのような人が余裕のある人と言うのだろう。何でも苦労を見せずにこなして見せるところは見習いたい。けれども、そんなおおばあちゃんや大樹を見ていると、鮎美はなんとなくイライラすることがある。弱みを見せない、努力しているところを見せないってそんなに大事なことだろうか。おおばあちゃんみたいに何でもできる人は尊敬するけれど、自分がそんな風になれるとは鮎美は思えないのだった。

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