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【小説】木馬を操る猿

リリー日記 1.お茶会

今日から、日記をつけることにした。
この日記は誰にも読めない。なぜなら、日本語で書いているからだ。
この日記を証拠に、私を罰することをできる人は誰もいない。
私の秘密のノート。
まず、第一日目のきょう。何があったか。
私が何をしたか。書いておこう。
皇太后さまのお茶会をめちゃくちゃにした。
皇太后さま、あの人は最悪だ。もう絶対にかかわりたくない。
なぜならー。

サルエモンテ公爵家のリリーは最近変わり者だと評判だ。
なんでも、数か月前に熱病に浮かされてから人が変わってしまったらしい。
しかし、本当に熱病がきっかけだったのかと疑う人も多い。
未来の王妃候補とされる少女だ。家門の教育が厳しすぎて自暴自棄になってしまったのではないかというのが大方の見方だ。

「リリー、王宮の木にのぼって果物を盗むのはやめなさいと何度言ったらわかるの!」

母のビオラはここ数か月、末娘のリリーの教育にかかりきりだ。上の娘二人が嫁いで、昨年長男も嫁をとり、これからは領地でのんびり暮らそうと思っていたのにとんだ見込み違いだった。一番手のかからないと思っていた末娘にこんなふうに悩まされることなど想像もしていなかったのだ。

「皇太后さまがいいっておっしゃったのよ」

樹上から元気に返事をしてリリーは木から降りてきた。

「皇太后さまにそんなお願いをしてはいけません」

叱りながら娘についた木の葉を払ってやる。娘の教育は乳母に任せきりの貴族の多い中、ビオラは手づから娘たちに教育を施すことにこだわる方だった。それが間違いだったと思いたくはないが、悪びれず澄んだアイスブルーの瞳で見上げてくる娘を見下ろしていると自信が揺らぐ。

「痛っ」

猿に髪を引っ張られるに至っては、そのたびに自信が喪失すると言ってもいい。

「お願いだから、その猿を王宮で連れ歩くのはやめなさい。みっともないでしょう」

「だって、皇太后さまからいただいた猿なのよ。ね、ノボル」

リリーが声をかけると、キュルルルと背中で嬉しそうに鳴いたのは、異国から連れてこられた茶色い猿。まごうかたなきニホンザルである。

「皇太后さまもねえ。困ったものだわ。見慣れれば可愛いと言えなくもないけど、娘に猿をくださるなんて」

子ども四人を手づから育てたビオラも貴族の女性としては相当変わっている方だろう。リリーと顔を合わせるたびに猿を連れ歩くなと口を酸っぱくしていうのだが、その手は自然と猿の頭をなでている。そうすると、機嫌をよくしたノボルはリリーからビオラの背中へ移るのだ。この国に来てから生まれたので、ノボルはまだ生後半年くらいしかならない。母に甘えたい盛りだ。異国までの旅が体に負担だったのか、母猿はノボルを生んですぐに死んでしまった。

「とっても素敵なプレゼントよ。さあ、行きましょう。皇太后さまをお待たせしてはいけないわ」

数か月前、皇太后の居室に私的に呼ばれたとき、リリーはノボルに一目ぼれした。ビオラは皇太后のいまは亡き従妹の娘である。従妹と仲の良かった皇太后ローズマリーはリリーのことを溺愛しており、ノボルも快く譲った。その喜びのあまり、リリーは興奮して知恵熱を出し、それから人が変わってしまったというのが世間の一部の味方だ。それまでは、母の陰に隠れているだけだった大人しい13歳の少女が、猿を背中に背負って王宮を闊歩するようになったのだから、人が変わったと思われても仕方ない。

その母のビオラが猿を背負って歩いていても、世間から奇異の目で見られないのは、他の娘二人を他国の王妃と公爵家に嫁がせ、慈善活動にも熱心な淑女の鏡だと認められているからだ。

(娘にかこつけて猿を可愛がっている貴族の奥様の方がずっと変わってると思うんだけどな)

リリーは、世間の評価に納得がいっていない。
リリーがノボルを可愛がるのには正当な理由がある。
それは、前世を思い出す縁だからだ。異国、おそらく、日本から連れてこられたニホンザルのノボル。
ノボルと出会った日の翌日、熱を出して寝込んだのは興奮による知恵熱ではなかった。前世の記憶を思い出したあの苦しみは思い出したくもないものだった・・・。

「皇太后さま。本日はお招きいただき、ありがとうございます」

「待ちかねましたよ。また面白いものを見つけたので、リリーが喜ぶと思って用意したのです」

王宮の東の庭園の大きな東屋(あずまや)で本日催される茶会は、皇太后の乳母の誕生日だからという理由にもならないただのお遊びだったが、高位貴族のほとんどの夫人が娘を伴って参加している。サルエモンテ公爵と並ぶもうひとつの名門、クマザルツ公爵家のダリアも娘のマグノリアを連れて参加していたが、少し遅れて現れたビオラとリリーを両隣に座らせたことから、きっとリリーたちと違って直接声をかけられていないに違いない。

近い席には座っているが、皇太后と近しい大人たちではなく、同じお年頃の令嬢と仲良く談笑しているマグノリアの姿がリリーには眩しく映る。これはこの物語の流れ上仕方のないことだ・・・と、現実を受け入れることは今のリリーにはできない。

前世の名前は桜田桃子。理不尽に怒る普通の女で、普通に天寿を全うして死んだと思う。死んだときの記憶は曖昧で、語るほど充実した人生ではなかったけれど、よく本を読んでいたのは覚えている。そして、これは桃子が整然読んでいた小説の世界なのだ。転生というやつをしたらしい。

「まあ、皇太后さま、とてもかわいらしい木馬ですわね。でも、スカートで何かにまたがるのは恥ずかしいとさきほど母に叱られたばかりですの。だから、わたくしの代わりに、この猿のノボルが使わせていただきますわ」

ローズマリーが侍女に持ってこさせた木馬は到底13歳の少女の玩具としては相応しくない。皇太后がいくらリリーを孫のように思っていたとしても、木馬はあまりに子ども扱いしすぎである。

「そうね。リリーには少し小さいようですわ。でも、ノボルにはピッタリ!ありがとうございます」

娘の背中から猿を下ろして、木馬に乗った猿を可愛い可愛いと愛でている様は流石にシュールだ。しかし、貴婦人の鏡と言われるビオラと貴族社会の女性の中で最高権力者である皇太后に苦言を呈する者は誰もいない。

ひきつった笑顔で「可愛いですわねー」とみな口をそろえている。
離れた席に座っている貴婦人たちは、同じテーブルに居合わせなくてよかったと思っているに違いない。しかし、その少し離れた場所にいる人たちの幸せすら皇太后は壊そうとするのだ。

「そのお茶、とっても美味しそうですわね。うちのノボルにも分けてくださらない?」

リリーは立ち上がると、先ほどから顔を伏せている年かさの女性の目の前のカップを持ち上げてグビッと飲み干そうとした・・・けれども、あまりの苦さにグフッと少しだけ口から洩れた。

(これ、センブリ茶じゃないの?!)

前世の知識でリリーは知っている。胃にはセンブリ腸にはゲンノショウコ。センブリは体にいいけれど、千回振り出しても苦いというバツゲームに使われるほどまずい薬草茶だ。友だちと面白半分にお店で買って飲んでみたのはいつだったか。

リリーはお茶を飲み干すと、公爵家の令嬢が仁王立ちで茶を飲む姿を呆気に取られて見ていた給仕からティーポットを取り上げた。注ぎ口を直接ノボルの口に含ませる。

「あ、それは!」

先ほど顔を伏せていた女性が青い顔をして止めようとしたが、それをビオラが目で制した。娘がカップから直接飲んで見せたので、毒じゃないのはわかっている。ただの苦いお茶だろう。心からノボルを可愛がっているリリーが猿に毒見をさせるわけがない。
育ち盛りのノボルは味の好みなどもまだほとんどなく、特に美味しそうにもしなかったがリリーに促されるままポットのセンブリ茶を飲み干してしまった。

猿がお茶を喉に飲み下すたびにキシキシと揺れる木馬。

「皇太后さまのお茶は格別美味しかったようですわ。できれば、お菓子もノボルのおやつにいただきたいものです」

何事もなかったように席についたリリーの隣でビオラが一人口を開いた。
熱を出して以来、リリーの奇行を聞き及んでいた人たちもこれは聞きしに勝ると固唾をのんで見守る。

すると、ニコリと皇太后は笑みを浮かべた。

(敵もさるものね)

皇太后の豪胆さにリリーは内心舌を巻いた。

「満足してもらえたなら、うれしいわ。だけど、何でも喜んでくれるからかえって何を差し上げたらいいのか、分からないの。身分はもうこれ以上もないものだし。それとも、何か望みがあるかしら」

「滅相もありません。皇太后さまとこうしてお話できるだけで、光栄ですわ」

リリーがほほ笑んで答えると、皇太后の扇子を持つ手に力が入ったようだった。茹だるような暑さで、茶会をするにはふさわしくない猛暑。しかもお茶もホットで。大きな扇子で王宮の使用人たちにどんなに人力で風を送ってもらっても、それでしのげる暑さではない。
ピシと音を立てて皇太后が扇子を閉じた。
着飾った女性たちの肌の上の玉の汗がヒヤリとしたものに変わる。

「要望を言ってくれないと、会う口実に困ってしまうわね。でも、そう言ってくれるなら、すぐにまた会いにきてくれるわね」

皇太后はリリーにまっすぐ視線を向けたが、それを遮るようにビオラが身を乗り出した。これ以上、娘と皇太后に会話をさせるのは危険だと判断したのだ。

「ええ、お呼びとあらばいつでも」

「じゃあ、今日はこれで失礼するわ。その木馬は差し上げるわね。猿と一緒に肌身離さず持ち歩いてね」

「御意にございます」

ビオラが笑顔で応じたのとは裏腹に、皇太后はすっと真顔になり、パッと扇子を開いて立ち去った。

するとその場に残された人たちはやっと肩の力を抜き、三々五々集まって、従者たちが帰りの支度をする間にそれぞれに話を始めた。

リリーがお茶を取り上げた女性はすぐに寄ってきて、今度お礼をさせてほしいと熱心に語った。

「助かりましたわ。あんなもの、どうやって飲み込んだらいいのかと思っておりましたの。きっと皇太后の甥御様とうちの娘の縁談を断ったからだわ」

「というと、だれなの?」

リリーが無邪気を装って母に問いかけると、「エッチェル男爵よ」とビオラはその耳にささやいた。しかし、聞いても誰かわからない。とりあえず、皇太后が目の前の夫人にいやがらせをする理由があったということだと理解した。

「婚約者のいる娘に縁談を持ちかけるなんて非常識だわ。それにうちは侯爵家よ。娘が望むならまだしも、なぜ男爵家なんぞに言われるがまま娘をっしださなくてはならないっていうのよ」

リリーが名も知らぬ侯爵夫人は先ほどのお茶の件が憤懣やるかたないらしく、その後リリーたちが馬車に乗り込むまでついてきて愚痴っていた。あげくの果てに、
「そういえば、うちの息子も同じ年ごろなのよ」
とリリーと息子の縁談までほのめかしてきたものだから、「まだ結婚は考えていません」ときっぱりとお断りした。お茶の誘いも断った。
縁談を断って皇太后に睨まれたのに、格上の公爵家に縁談を持ちかけるなんてどういう神経なのかとリリーには理解不能だ。
「もうあの方とはお会いしたくないわ」
馬車の中で怒って母に告げると、「好きにしなさい」とビオラも叱りはしなかった。それよりも、懸念すべきは、娘の奇行の噂にさらに尾ひれがつくことだ。猿を木馬に乗せて連れ歩くのは、物理的にも困難で、見た目も悪い。しかし、皇太后に言われたからには従わないわけにはいかないのだ。

侯爵夫人はお茶のあまりのまずさに毒かもしれないと思いながら、皇太后から出されたお茶を吐き出すこともできずに苦悶していた。リリーが奇行を演じている隙に吐き出せて、感謝に堪えない様子だった。毒かもしれないと考えたら恐ろしいが、これまで数々受けたリリーに対する嫌がらせに比べたら可愛いものだと思える。
以前のリリーは皇太后に怯えつつも、そのお召しも断ることもできないただ気の弱い娘だった。二人の姉にはそんないやがらせはなく普通に可愛がられていたので、問題は、皇太子とリリーの歳が近いことにあるのだろう。
年ごろの高位貴族の少女はたくさんおり、外国から妃を迎えることも検討されているのに、皇太后はなぜかリリーを目の敵にしている。

先の戦争の負傷兵を直接見舞い、慰安金を出し、教会への寄進にも熱心な皇太后は、だが、国民の人気が高いとは言えない。一方で、施しを理由に重税を課し、常に新しいものを好み、贅沢に目がないからだ。その二面性を民は恐れている。ある者は、聖女のようだといい、ある者は闇の皇帝だと恐れる。

一体、なぜ、皇太后ローズマリーはリリーを嫌うのか。リリーはなぜ皇太后に突然反抗的になったのか。憂い顔で木馬をどうするか考えている母の隣で、リリーだけがその答えを知っていた。
だって、リリーは物語の序盤で皇太后に毒殺される身分が高いだけのモブキャラだから。

皇太后はクマザルツ公爵家のダリアの娘マグノリアを皇太子の嫁にしたいのだ。そのためにライバルとなるリリーが邪魔なだけ。リリーが皇太子の嫁を辞退しても、皇太后が気に入らない側妃アマリリスの子の第二王子の嫁に来られても困るから、リリーの令嬢としての評判を完膚なきまでにつぶそうとしている。
サルエモンテ公爵家からすれば、リリーの嫁ぎ先はこのギッレ国の王族だけに限ってみていないから、かえってリリーがいじめられる理由に疑心暗鬼になっている。皇太后の気まぐれなら、まさか殺されるとまで思っていないのだ。

しかし、リリーはローズマリーがとことんやると知っている。リリーが毒殺された後、その容疑をかけられた伯爵令息のベルゲンと皇太子妃候補のマグノリアが真相を暴いて、皇太后を追放して、その褒美として二人の結婚が許されるという結末だ。途中皇太子とのマグノリアをめぐっての恋のさや当てでなんやかやあった気がするが、物語のドロドロしたところを楽しんでいたので、そんな甘酸っぱいところの詳細は忘れてしまった。

「お母さま、私、皇太子さまと結婚なんてしませんからね。そんなくらいなら教会にやってください」

「心配しなくても、皇太后さまからこんなに嫌われているんですもの、したくてもいますぐ結婚も婚約もできないわよ。でも、大丈夫よ。そんなに焦らなくても、まだまだ家にいてちょうだい」

異国に嫁いだ娘たちは容易に実家に帰って来られない。隣国とはいえ、結婚式に会ったきりになっていたから、末娘の結婚はできるだけ遅らせたいとビオラは心に決めていた。しかし、実際にはそんな悠長に構えていたら、リリーは皇太后に殺されてしまうのだ。

(時間がないわ。いっそ教会に家出してしまおうかしら)

物語の死体役なんて御免被る。家出先候補を考えるリリーの隣で、母のビオラはどうやって木馬を娘に持ち歩かせたらいいんだろうとかみ合わないことばかり考えていた。

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1話で終わるつもりでふざけて書き始めたら、全く終わりませんでした。
世の中には転生ものの小説が流行っていますが、みんな端的に終わるよう工夫しているんでしょうね。
筆がのっているわけでもないのに、終わらなかったのは話が面白くならないからなのでしょう。

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