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【小説】さよなら川辺川 ⑨

家族が亡くなったら数日忙しいのかと鮎美は思っていた。しかし、祖母が亡くなった大樹は毎日ボランティア活動に顔を出した。家にいてもすることがないと大樹はぼやいていたが、実は鮎美も毎日退屈だった。昼間は知り合いの人の家の土砂の片づけを手伝ったり、小学生に勉強を教えたりとすることもあったが、本当のところは、避難所に行くよりも、小学生なら山王と裕二、その友達を集めて勉強を教えた方が早いなと思っていた。同じ学年や同じクラスの子なら、学校から出されている課題も同じだ。全員まとめて同じ問題を解説できるが、学年やクラスがばらばらだとたった3人だけでも一人の子を教えている間は、他の二人の質問には答えられない。だから、学校って学年やクラス分けがあるんだなと、鮎美は数日ほどで妙に納得した。

鮎美は1週間でボランティアが嫌になった。大樹などは母親や学校の教師の目が厳しく思うように土砂の撤去作業や避難所での手伝いなどができなくて悔しそうであったが、鮎美は大人の目をかいくぐってまでボランティア活動をしようとする大樹をどこか別の世界の人間のように見ていた。小学生に勉強を教えると言ってもみんなすぐに答えを教えてもらいたがるし、遊びたがるし、宿題を出そうとすれば嫌がる。ボランティアの時に集まった物資をいろいろともらうのも嫌だった。

新型コロナという疫病が流行している最中、除菌シートや歯ブラシやうがい薬などがたくさん届く。避難所だけでなく、今はLINEでグループを作ったり、ツイッターなどのSNSで物資の提供を呼び掛けたりもできる。実際のところ、災害時は人の善意に付け込んで「ご飯ください~」とネットでつぶやけば、全然災害で困ってない人にも無償でものが集まってしまうのかもしれない。それだけでなく、せっかくもらったものを、「もう歯ブラシとかはいらないよねえ」とか「除菌シートとか売るほどある」とかいるいらないの話を聞いたりしたりするのが鮎美は気持ちが悪く感じていた。

鮎美たちの住む地域は昔から困っているひとは必ず助けるという村のつながりの強い場所だ。戦後しばらく経っての大昔には、亡くなったホームレスの人のねぐらを掘って片づけたら、小銭がたんと出てきたという例がいくつもあったという。それだけ喜捨の精神が根付いているからには、他人様からの施しのありがたさもわかっていそうなものだが、あっちを見てもこっちを見てもSNSには募金のお願いにあふれていて、見るのにうんざりする。もしかして、壊してしまうかもしれない建物の泥をどうしてここまでして汗水流して撤去するのかと思えば、鮎美は作業しながらいらいらして、そんな自分にも嫌気がさすのだった。

「だいちゃん、鮭のおにぎりおいしそうだね」

美空の問いかけに、大樹は首を竦めた。ボランティア期間、女子に混じって行動することの多かった大樹は、鮎美や美空以外の女子とも急速に仲よくなり、だいちゃんとみんなから呼ばれるようになった。それでも、弁当を女子に囲まれて食べるのは少し居心地悪そうにしていた。

7月の終わり、久々に学校に行ってみると、大樹は弁当を持ってきていた。正確にはこれまでも弁当や栄養食を持ってくることもあったが、そういう時には保健室で食べていたのだ。しかし、そうと知っているのは、鮎美だけなので、美空や葉月など物珍しそうに大樹の食事を見ていた。

「だいちゃんは、他人よりちょっとお腹が弱いんだよね。だから、いろいろ食べられないから、弁当を持ってきたんでしょ」

大樹のクローン病という持病については、鮎美も大樹から直接いろいろ聞いていた。詳しい病気の内容は説明するのが面倒だという大樹の気持ちはある程度分かっていたので、大樹について聞かれたらこう答えようと以前から回答を考えていた。

海苔をまかず胡麻もついておらず高菜もまいてないシンプルなおにぎりは、鮎美の目から見てもなんだかコンビニのあの白いおにぎりみたいで綺麗でおいしそうだった。

本来なら、前をむいて一人ずつ席で給食を食べるのが通常だが、今日は学校の清掃だったので、特別給食だ。鮎美たち、体育館周り清掃組は支給されたおにぎりやら豚汁をみんなで持ち寄って少し離れて横並びに食べていた。それでも、いつものみんなの咀嚼音まで聞こえるような静けさはなくて、本当は駄目なんだろうけれど、先生の目を盗んで会話して食べられるのが何だか楽しかった。

掃除の後は、テストの結果をもらってみんな帰宅だ。災害のどさくさがあったせいでみんな勉強できなかったのか、鮎美はこれまでになく良い成績で先生に聞いたら学年で3番だった。鮎美がこっそり教えてもらったところによると大樹は1番だった。けれども、二人ともちっとものうれしくはなくて、その話は一緒に自転車を押して帰りながらすぐに終わってしまった。

「写真部を作ろうと思っているんだけど、あゆさんも入ってくれない?」

「写真部?」

鮎美が首をかしげると、大樹は自転車を止めて、豪雨による氾濫で壊れた橋梁の方を見た。川の水はまだ濁っていて、橋にあたる飛沫が日暮れ前の強い日差しできらきらと輝いている。

「うん。これからの町の姿を撮ったらどうかなって」

「すっごく良いと思う。だけど、カメラとかどうしたらいいかな。顧問の先生とか」

鮎美は大樹の言わんとするところがすぐにわかって、一も二もなく賛成した。けれども、すぐにカメラのことを思いついて不安になった。

「お父さんが、カメラが趣味なんだ。高校、大学と写真部だったって。だから、現像の仕方とか教えてもらえる。顧問は担任の先生に頼んだら良いって言ってくれたけど、3人以上部員が集まらないとダメだって」

「そっかあ」

鮎美は頷きながら、頭の中を目まぐるしく回転させていた。担任の先生が部員が必要だと言ったのは、きっとクラスでまだ少し浮いている大樹の交友関係が広がるように配慮してのことだろう。鮎美も友達は多くないけれど、ぜひ協力したい。ただ、大樹の父の機材を使うということであれば一眼レフとかきっと高価なカメラを使うつもりに違いない。鮎美は、また、旅館を畳もうと言っていた父の言葉を思い出していた。災害で鮎美のうちにも募金が集まったけれども、両親は建物が壊れた他の旅館にそのお金は全部回すと言っていた。鮎の養殖の被害だって相当だったのに、高級なカメラを買ってとは言い出しづらい。かといって、他人のカメラを使うことになったら、壊すのが怖くてまた部活動に積極的になれなそうだ。

「豪雨で家屋とか橋とか道路とかいろいろ壊れちゃっただろう。その写真を残しておきたいんだ。もちろん大人でそういう写真とっている人もいるけど、そこの橋もこれから修理されるし、土砂で崩れた山もこれから木が生えて再生いくと思う。そういう姿をずっと撮ったらどうかなって」

鮎美が考えている間、大樹も遠く川面を見ながら、物思いに耽っているようだった。どうしたら、良いだろう。大樹の考えはとても素晴らしいと思うし、共感できるのに・・・。

「ねえ、それならさ。写真部というより、災害研究部とか、わが町研究部とかにしたらどうかな?自分たちの写真だけじゃなくてさ、昔の写真とか、自分ちの周りはこんな被害にあったとか他人から集めて、以前と今と昔と比較して資料発表とかしたら、部活として認められそうじゃない?別に写真の提供だけなら、部に入ってもらう必要もないし、兼部もしてくれそうだし、先生も認めてくれそうだと思うな」

他人から写真を集めるのであれば、自分のカメラは必要ない。また、芸術写真でなく資料写真ならスマホで撮った写真でもよいだろう。きっとカメラを買わなくて済むという自分の都合で考えた提案だったが、鮎美の話を聞いた大樹は心底感心したように鮎美の顔を見返した。

「あゆさんって、本当にすごいよね。今日の弁当の時も僕はどうやって病気を説明して良いかわからなかったのに、すごく上手くこちらの言いたいことややりたいことを言葉にしてくれるんだ。だから、安心するんだよね」

そんな風に褒められると、鮎美は大樹のことを真っ直ぐ見られずに目を伏せた。

「―あゆさん、この里にダムって必要だと思う?」

一体、大樹は自分のことをどれだけ過大評価してくれているのだろうかと鮎美は困ってしまった。難しいことは分からない。自分の意見はあるけれど、それは知識のない浅はかなものだし、賢い大樹にそれを披露して押し付けたくはなかった。

「必要だと思う人も必要じゃないと思う人もいていいんじゃないかな。ただ、私はそれで災害が起こらなくなるとか魔法みたいな方法はないと思うけどね。地震や洪水が起こらない世界なんて想像できないでしょ」

言いながらしまったと思ったが、鮎美は自分の口を止められなかった。意見を言わないようにしようと思ったのに、「ダムなんかいらない」と言ったも同然だった。大樹の反応が気になったが、大樹はそれから帰るまで黙り込みんで何も話さなかった。

翌日、善は急げとばかりに鮎美は所属の剣道部の顧問に退部届を提出しにいった。元々休みがちだった部活である。辞めて何部に入るのかと先生に聞かれたので、「写真部を友達と作ります」と答えたら、「ほかにやりたいことができたなら仕方ないな」と先生に言われて嫌な気がした。本当のところは、コロナがあっても災害があっても朝練が必須で、土曜練習や練習試合をしたがる部活の在り方がずっと嫌だったのだ。大体、鮎美の実力も伴わなかったので、全国大会とかそういう大きな目標に夢も見られなかった。先生が他の部員に「やりたいことが他にできたそうだから、応援してやってくれ」と説明するのかと思えば嫌な気がしたが、その時は部活が辞められればそれでよいとしか思わなかった。まさか、他の部員まで剣道部を辞めるという騒動になるとは思いもしなかったのだ。

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