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【連載小説】日本の花嫁Ⅰやがて社長 ⑧水掛け論

「花田由美が殺害したかもしれない。そういうなら、人探しも悪くはないがな。それか、お前の元婚約者。いや、結婚詐欺師か。どっちか引っ張れるって言うならな。しかし、そうじゃないなら、人探しより殺人事件の捜査が優先だろ。違うか?」

「違いますね。人探しが優先です。行方不明者がどこかに拉致監禁されていたらどうしますか。まだ生きている可能性のある人が優先じゃないですか。詐欺師を野放しにしたら、また詐欺を働くかもしれないじゃないですか」

「そんなこと言ったら、殺人犯を野放しにしたら新たな殺人が起こるかもしれないだろ!殺人犯を野放しにすることでどれだけの人が不安でいると思っている!」

「野放しにはなりませんよ。そっちは捜査する人員がいる。でも行方不明者の捜索は俺しかやる人間がいない。分業でしょ?」

「警察にそんなに人材が余ってると思ってるのか!黙って従え。俺も忙しいんだよ。警察辞めたいのか」

「いつだって、辞めていいですよ。でも、それは行方不明者を見つけてからです。じゃ、明日は休みます。週休2日制は警察にも必要ですよね。本当なら行方不明者探しは経費で落としてほしいですけどね」

里田の捨て台詞に、益田大樹警部は血管が切れそうになったが引き止める言葉が見つからず地団太を踏んだ。仕事ができそうだが積極的に自ら動くような人物ではないとの事前の評だったが、明後日な方向に意欲的な人物だったようだ。出世とか手当とかそれを目当てにする人間は言うことを聞かせやすい。そうでなくとも、正義感が強ければ殺人事件の捜査には乗ってくるだろうと思っていた。

それが、まさかの行方不明の女探し。
なまじ田舎に戻したために同僚から結婚詐欺で全財産盗まれたのだろうと県警は彼に同情的だった。剣道大会で優勝。旧帝国大学卒業の文武両道で田舎勤めなど必要のない男なのだ。腕が立っても臆病という人間もいるが、特殊訓練でそうではないことは立証されている。
本庁は彼をとても買っているのだが、本人にその自覚はないようだ。
下手に説得して業務につかせると本当に警察を辞めてしまうかもしれない。

同じ高校と大学を卒業したというだけで、お守役をおおせつかった益田は不幸だった。

「お前ならあいつの気持ちがわかるだろう?」

署長にはそう言われたが、全くわからない。里田は自ら望んで出世を拒んでいるが、益田は左遷されたようなものだ。自身は能力がなかったのだと思っている。それか要領が悪すぎた。

「俺よりかたくななやつの説得の仕方なんて知らねえよ」

里田が去った会議室。節電要請で冷たい机に益田はゆっくりと突っ伏した。

花田江子の娘由美が消えてから、4か月が過ぎていた。
晩秋になり、天神通りにも木枯らしが吹くような錯覚に陥った。
由美が以前勤めていた学習塾での聞き込みが空振りに終わり、さむさが堪えた里田は通りがかった店でコートを購入した。

「なんでもいいなら、もっと安いやつ買えばいいのに。この変なら店はいっぱいあるだろ」

「急いでいるから、それなりの値段のところで買うんじゃないか。ものがいいのは折り紙つきなんだから」

「金がないやつがすることかなあ。俺ならの有名なところでなるべく安く買うけどな。どのみち今日は休暇だから、ゆっくり選べばよかったのに」

「あ、この辺じゃないか」

黒田の言う通り、自分が気に入るやつをなるべく安く買えばよかったかもしれない。しかし、里田は気が焦っていた。江子は3日と空けず警察署に通い詰めている。県警のお守で担当が変わり、江子を見かけても何も言葉をかけてやれないのがつらかった。

県警の捜査に協力しろと言われて、休日出勤させられそうになった。振り替えで休みはもらえるが、問題はそんなところじゃない。なし崩しで県警か本庁に所属させられそうな気がした。都会は水が合わないというほどではないが、出世競争は肌に合わない。自分には高い志がない。組織を良くしようという気概もない。自分より学歴の高い人間は警察には数多いるのだし、嫌がっている自分に期待をかけないでもらいたい。

しかし、せっかく強引にもぎ取った、いや、もともとあった休日も成果なしだ。
以前勤めていた塾は全国展開とはいかないまでも福岡県では何番目に大手のところだった。赤坂に本社があり、東京と見間違えるような洒落たビルだったが、しつけのよさそうな子供たちが通っている割に社員の部屋は手狭であちこち積みあがった問題用紙が雪崩を起こしそうだった。感染症の流行するこのご時世接客業はますます人出が足りないらしく、直接かかわっていたという教室長には何度もスマホに連絡が入った。

「え、この間死んだ半田くんの件ですよね。花田さんがいた頃は教室も違うし、半田くんとかかわりはなかったと思いますが」

「えーと。半田くんとはどういう人でしたか」

「ほかの警察の人にも話しましたが、自殺するほど悩んでいそうではなかったですよ。うちは、ノルマが厳しいので職員はいつかないですが、半田くんはパートですし、人気があるので社員並みに授業には出てもらっていたとはいえ、授業だけですからね。よくよく考えたら、うちのビルから落ちたから自殺というのは短絡的なんじゃないかと思います。煙草を吸いに行って、足を踏み外したってことはないんですかね」

「さあ、どうでしょうね。半田さんは花田さんと入れ替わりでこちらの教室に来たんですか」

「そういえばそんなタイミングですね。半田くんは理系で、いろいろ授業を受け持っていましたけど、国語だけはなかったな。うちは職員は教科ごとの集まりの会議とかありましてね。テストを自作するんで、テストの担当を決めたりするんですよ」

授業まで時間がないと言いながら、教室長の田山竜太郎は多弁だった。授業は大丈夫なのかと思ったが、警察を名乗った手前、自殺者が出たという話を遮る気にはなれなかった。

「正直辞める人間が多くて、だれがだれだかって感じなんですよ。国語の講師をしてもらってましたが、国語は特に定着しなくて。需要はあるんですが、成績が上がったとかいう実感の少ない教科ですからね。実際は授業の面白さとか納得感が重要なんですよね。テストのポイントってのは、実際受験するまで実感が出ないですから。とはいえ、会社は成績とそれ以上にアンケートで評価します。花田さんもきつかったと思いますが、私もこっちに移る前はあの教室が一番大変だと思ってましたね」

「上司が評価すればよかったんじゃないですか。上司の評価の報告はなかったんですか」

「いや、それは・・・」

「人手不足で休みをあげてなかったんですか。それで花田さんは思い詰めて辞めたと」

「いや、、、入ったばかりの人間を評価するのは難しいんですよ。新しく教室長が必要で入塾者の数はそっちに振り分けないといけなかったんですよ。すると、どうしてもね・・・」

下っ端の人間の気持ちは下っ端にはわかる。里田は望んで出世の道を断ってきたが、それでも順調に出世している人間からやっかまれていろいろと仕事を押し付けられたり、あらぬ噂をたてられたこともある。だから、県警所属が嫌で、地元に戻ったのだ。
別に県警にもいたくない、昇任試験も受けずにいたいと思っていたわけでもないのだ。だが、周りと合わなくてもういいやと思った。

上司の評価が高くて辞めることはほとんどないだろう。里田も署長とよばれる人間と合わなくて、これは評価されるために頑張るのは無駄だなと感じたのだ。そもそも誰かに評価されるために仕事をするもんじゃない。

自分が相手が辞める原因の一つをつくっておいて、会社の環境のせいにするのはいかがなものか。

「花田さんとは赤坂じゃなくて、別の教室で一緒だったんですね。半田さんも。それで、半田さんは自殺したのは、ここですか」

「そうですね。半田くんは自分が引き抜いたというか、前のところでも評判が良かったので、こっちの教室にもついてきてもらったんですよ。まあ、半田くんも以前はミスもありまして、それをカバーしてあげていたので、よく使ってあげていたというか。でも、半田くんを花田さんが殺したなんてあるんですか」

「そうですか。わかりました。花田さんは別件でお話を伺いにきただけですよ。でも、その調子では辞めてから連絡はなかったようですね」

「ええ、連絡はありませんよ。うちにいたのも3年ちょっとで。まあ、塾の仕事は続けていないでしょう」

続けていたのだ。自分で塾を開こうとしていて、先の見通しはなかったそうだが、失踪する理由はなかった。むしろ前向きで、以前の会社の愚痴を言うことはあっても、辞めるよう仕向けられて、恨んでいる様子は母親から見てなかったのだ。

そう、きっと、辞めるように仕向けられたのだろう。目の前で上司だった男を見れば、色白でいかにも仕事に忙殺されてやせ細って人のよさそうな顔をしているが、目はギラギラと何かを憎んでいる。

向いてないから辞めたんだ。フォローしなかった自分は悪くない。田山の目はそう言っていた。この教室で飛び降りがあったことなど知らなかったが、半田が何も悩んでいなかったなんて嘘ではないかと思った。大抵の人間には何かしら悩みがあるものだ。しかし、自分の管轄ごとでないのに、半田の件をあまり突っ込むのも憚られた。恐らく、半田と由美にかかわりがなかったのは本当だ。

田山教室長の話が途切れると、あとは半田と由美の仕事ぶりなどもう一度型どおりのことを聞いて、空き教室の扉を開けた。話が長くなり、午前中も過ぎて、喫茶店で待たせている黒田のことが気になった。何の成果もない、余計な首を突っ込むことになった話を切り上げて教室を出る時、ふっと扉の外に人がいるのに気付いた。

扉の隣の窓から覗いている白い男の顔。ぎょっとしたが、反射的に扉を開いていた。しかし、扉から出ようとしてドンと腹に衝撃を感じだ。

見下ろせば、1mない目線の先に色白の少年が倒れていた。

「大丈夫」

剣道で鍛えた体幹。少年を弾き飛ばしてしまった。つばぜり合いで場外に相手を突き飛ばした時のように瞬時に手を出して少年を引き起こした。

「すみません。ありがとうございます」

折り目正しく挨拶をした少年は、愛想よくにこっと笑った。愛嬌のある両笑窪。しかし、少年はころっと表情を変えて、つかまれた手を放さずにぎゅっと里田の手を握り返して強引に近くのトイレの中に引っ張っていった。

「よかった。誰もいなそうだ」

「おい。なんだよ。君は」

「すみません。警察の人ですよね。半田先生のことを調べてる」

「盗み聞きとは感心しないな」

少年を叱りながら、里田は気もそぞろだった。窓から覗いていた男の顔が気になっている。里田と同じくらい身長がありそうな成人の男だったから、肩ぐらいしかない少年とは別人だ」

「隣にいた人と二人で聞いてたのか」

「いや、あの先生?通りがかりに覗いてただけですよ。それより警察のひとなら、聞いてほしいことがあるんです。いなくなった先生を探してほしいんです」

「人探しか・・・」

「興梠っていう名字の先生なんですけど。ある日、突然授業に来なくなったんです」

「辞めたんじゃないの?」

「宿題の質問、次回答えるって言ってたのに?それにゲームのアイテムをくれる約束してて・・・」

少年がそこまで言ったときに、チャイムが鳴った。塾も学校とおなじチャイムが鳴るんだなと子供の頃塾に行ったことがない里田は何となくその発見に感動した。

「やばい。授業が始まるんで、行きますね。これ僕のゲームのIDです。警察の人?刑事さんでいいのかな。刑事さん、ゲームのチャットで話しましょう。それが無理なら、電話ください。うちに。僕、携帯持ってないんで」

「え、今聞いちゃダメなのか。どんな人を探すかわからないと、探せないよ」

「僕、中学受験するから勉強忙しいんです。授業受けないと、大変なことになるんですよ。親に連絡行くから。一人先生が自殺して、突然先生が来なくなる・・・確かに辞める先生はいるけど、蟋蟀先生はおかしいんです。だから、調べてくださいね。絶対、連絡ください」

少年は言いたいことを言って、授業に走っていった。
紙には確かに少年の名前とか住所とかゲームのIDとか事細かに書いてあった。メールのアドレスも持っていた。
恐らく話を聞いて書いたんじゃなく、以前からメモ帳か何かに書いていて、それを渡したんじゃないかと鉛筆の擦れ具合から推測できた。
中学受験ということは小学6年生か。待たせている黒田のところに行くのにゆっくり歩きながらスマホで調べたら、中学受験というのは大体1月上旬ごろにあるのがわかった。受験まで2か月ほどというのであれば焦るのもわからなくはない。いや、私立中学など区域になかった里田からすればそんなに小さい頃から勉強に焦る意味は実感としてはよくわからないのだけれども。

「遅かったな。まあ、急ぐわけじゃないけど。コーヒー2杯目まで飲んで小説まで読んだから、もうお前は喫茶店で飲まないでくれな。積もる話は今日以外で。尻が痛いから」

待たされても黒田が怒っていなかったことにほっとしながら、急き立てられて、日本で一番有名なアメリカのコーヒーチェーン店を出た。実は里田はそこのコーヒーを飲んだことがなかったから後ろ髪をひかれながら。

そして、通りが寒かったので、里田は黒のコートを買って、店でタグを切ってもらい、そのまま着て、黒田の目的の雑誌社に向かった。

たまたま赤坂という場所が重なって移動はすぐに済んだ。しかし、話がまた長くなって。帰りは移動の高速バスの最終便ギリギリになった。
まあ、話だけでなく、その後に二人でどうしてもと福岡のもつ鍋を食べて帰りたくなったからというのもある。酒も飲んで疲れていたせいか、酔いは回っていなかったが、腹が重かった。
明日、仕事に行きたくない。いや、署に行きたくないなと里田は思った。
そして、ぐるぐると出版社の編集長の言葉を思い出していた。
黒田の学校の同僚の叔父さんという薄い縁だ。
虎ノ門という珍しい苗字に加えて、正之助という時代がかった名前だから憶えやすい。虎ノ門正之助。

赤坂には似合わあい古びたビルだったが、そのビル全体会社の持ち物らしく、案外手広くやっている出版社のようだった。
虎ノ門は教育関連の雑誌や学術書を担当しているらしく、教育についての国の政策や塾の序列など詳しく掲載していると雑誌について説明されたが、里田は子供もいないしよくわからないので黙って聞き入っているふりをした。
黒田はさすがに学校の教師らしく熱心に聞き入っていて、これは自分には学校の英語の教師は務まらないかなと黒田は何となくがっかりした。今日は塾にも行ったが、ただ腹が立っただけで、何の興味も持てなかった。

そして、どういう話の経緯であったか、黒田が里田と二人同じ女に結婚詐欺にあったということまで話してしまった。
お茶とお菓子が出され、昼ご飯代わりにバリバリ食べて長いしすぎたのがよくなかったのだろうか。
塾と違っていつ生徒や講師が来るかという心配がないぐらい、出版社の応接室は隣室の音もせず静かで安心感があったが、それでも里田にとっては誰彼構わず聞かれたい話ではなかった。
しかし、翻って、黒田は騙された鬱憤が溜まっていて、誰かに相談せずにはいられない心境のようだ。

虎ノ門は雑誌編集者だけあって聞き上手の話し上手で、話して悪かったとも思わなかった。

「おれたち田舎育ちで純朴だったんですかね。だからカモにされて騙されてしまった。世の中を知らな過ぎたんでしょうか」

黒田はよほど騙されたことが堪えたのだろう。もしかしたら、二股をかけられて、里田の方を選ばれたのも矜持が傷ついたのかもしれない。結局里田も金づるだったが。警察官と教師。どっちが結婚相手にいいかわからないが、黒田から金をとり終わったので、里田に移っただけだったのかもしれない。
それにしても、田舎の狭い世間であるのに、二人も続けざまにだましたのは、その後に消えるつもりがあったからだろうか。
赤肘史奈がそれだけ度胸があったとも言えるが、二人ともあまりにも疑うことを知らなすぎた。

そんな二人を励ますように、虎ノ門は滔々と話した。

「騙された人が悪いんじゃないですよ。騙された人は今後気をつければよいのです。騙した人が悪いです。犯人が、巧妙だったのです。欠点のない嘘が大事なんじゃないです。学校で小論文でも言われますよね、反論を想定して書きなさいと。塾でもそう教えます。どんな批判や反対意見が来るか想像しやすい現実に論点があるようなところで嘘をつく、すると、嘘に対する反論も用意しやすいですよね。お二人は理屈っぽいところがありませんか。それでかえって相手の話の筋が通っていると話に乗せられたのかもしれませんね。これはたとえですが、塾とか私立の学校とかにも詐欺のようなことがあるとしますよね。何かまやかしのように生徒の成績をあげるとか、受験をどうにかするといって、金を巻き上げるとします。そうして、今、現在事実としてある問題を取り上げて見つかってない解決策をさも見つけたように言われてしまえば、信じたくもなるでしょう。今話題の霊感商法もそうでしょう。不治の病が治る。子供を更生できる。野良猫を減らせるもまた然りです。野良猫自身が幸せか不幸せか議論があるところ、野良猫にはこんな危険がありますと言っておいて、その解決策にはこれしかないと言い立てる。信じてしまいたくもなるでしょう。それは人間にも当てはまります。子供を育てるのは誰も初めてのことなのです。同じにんげんなどおらず、兄弟が全く同じ場面に出くわすわけではない。専門家と称する人などが問題点を指摘しても、それが真実であるかどうか、素人には判断ができない場合が多いです。専門家自身が意見を戦わせることがないなら、その専門家が正しいのだとまで事実を一つ一つ吟味してまではなかなか考えられません。
ましてや何かの専門家であっても、例えば詐欺事業の全体の専門家ではありません。今は野良猫の保護活動なども盛んですね。それで、よく私はこういう猫のことを例に申し上げるのです。獣医師さんであれば、猫の病気に詳しくても保護猫活動の専門家とは言えないでしょう。保護猫活動をしておられる方が、猫の病気の専門家では、必ずしもないように、経営にも詳しいとは言えないでしょう。保護猫活動を猫自身に不幸がない形で循環するようにビジネス化すると言われれば、猫の気持ちが完璧にわかる専門家などいないわけですから、納得せざるを得ないでしょう。もちろん、冷静に信じない人もいると思います。しかし、元に信じてしまう人を引き戻す力間では無かったわけで、社会にできるのは、日ごろの啓発活動と詐欺の被害者が減るような制度設計ですよね。政治の力は大切です。うん、話が脱線するが、私の悪い癖なのですが、騙された方は悪くない。いつだって、人は騙される立場になりうる社会だということが言いたいのです」

「わかるような気がしますが、虎ノ門さんは猫がお好きなんですか」

「いや、私の管轄外なんですが、うちの出版社で悪い保護猫ビジネスの特集をやりましてね。命のやり取りというのは人身売買につながるんじゃないかと読んでひどく説得力のある話だったので、ついこの話をしてしまうんですよ。いい特集なので、ぜひ読んでください」

「もらっていいんですか」

「ええ、自分で10冊も買って、人に配ってるんです。読んでほしいもので。特に出版前日にうちの雑誌を取りに来るほどのファンですからね。こっちの雑誌も何冊かあげますよ」

雑誌なんて重いのに、いらない本を何冊もお土産にもらって里田はげんなりしたが、黒田は嬉しそうだった。猫の話の方を開いてみたら、いきなり病気の見た目の猫の写真が大きく載っていて、すぐに閉じてしまった。かわいそうな話を聞くのは里田はあまり得意ではない。人間だけで十分だし、自分がどうにもできない手の届かない不幸な話を聞くのは嫌だった。
しかし、虎ノ門は自分でも福岡にある悪徳な保護猫ビジネスの会社を調べて特集の雑誌を持って行政に相談をして、そこを事業停止にしたというのだから、行動力がある。雑誌というのもいろいろあって、有名人の不倫を暴き立てるものばかりではないのだと学んだ。

「お前、なんだか大人しいな。落ち込んでるのか」
「いや、まあ、何の成果もなかったしな。何しに来たのかとは思っているけど、ただ疲れてぐったりしているだけだ」

きょうは人の話を聞き疲れた。高速バスが走りだし、夜になって福岡の街の灯りが通りすぎるのを眺めながら、里田は深くシートに身を沈めた。

休日だからか、乗っている客も多かったが、夜は里田のように疲れている客が多いのかしんと静かで車の走る音ばかり聞こえた。
高速バスが宮原のSAで停車してトイレ休憩に外に出ると、福岡の方が寒いと思っていたのに、熊本の夜はさらに寒く、里田はコートの襟を立てた。

トイレから戻ると、黒田が熱心にもらった雑誌を読んでいた。人の話をよく聞いて熱心に考えられる黒田は多分教師にも警察にも向いている。どちらも向いていなさそうな自分を顧みて、里田はふと黒田が羨ましくなった。結局社会に出れば、学歴なんて何ほどのものではないのだ。賞歴も。

「なんだ。やっぱりお前、暗くないか。そんな簡単に見つからないさ。お前も休日に前の職場に行ってみただけなんだろう」

前後に乗客がいるので、黒田は話をぼかした。落ち込んでいるつもりはないが、暗いといえばそうなんだろう。花田由美の手がかりは掴めずに、気になることが増えた。由美の前の勤め先でどんな話をしたのか、黒田が聞いてこないのは助かった。

少年に先生を探してほしいと言われた。家に帰ってもらった紙の内容を確かめ、少年に連絡するか考えなければならない。しかし、そのことを考えるのは別にいい。もっと心にかかってくるものを考えたくない。
教室で覗いていた男が死人の顔に見えた。まさかそんなはずがない。
先日取り押さえた女が持っていたトランクの中の死体の男。
その男の顔写真は警察で確認している。
教室の外にいた男の顔がそれに見えたのだ。
スーツを着て似た年齢の男が似た髪型をしていれば似ているように見えるのかもしれない。
しかし、どうしても気にかかる。
死んだ男が別人という可能性もあるのだろうか。
いや、そんなことは警察に戻って確かめればすぐわかるだろう。

いろんなことをその日は考えすぎていたのかもしれない。
翌日どうしても気になって署に確かめに行ったら、死んだ男はきちんと身元の特定が済んでいた。
一瞬だったから似て見えたのだろう。自分の思い込みが違って、里田はほっとした。


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