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【小説】 さよなら川辺川 ⑬

大好きだったブロック工場がなくなった。鮎美はそのことが少なからずショックだった。急に自転車のペダルが重く感じた。

大樹に誘われて気軽に海人の家についていくことにしてしまったが、海人の家は思いの他遠かった。鮎美たちの家と海人の家は学校から端と端に位置しているので、鮎美たちの家から海人の家までは10キロも離れていた。大樹が自転車の籠に入れたリュックの中で猫のマロンがニャーニャー鳴くのを聞くたびに、母の言う通り車で送ってもらえばよかっと鮎美は後悔した。

途中坂道もたくさんあり、汗を流したその長い道中の間に鮎美は弟の山王からブロック工場が無くなったことを聞いたのだ。いわゆるセメントを作っている工場だったのだが、たくさんコンクリートブロックが置かれていたので、鮎美たちの住む部落の子どもたちは伝統的にブロック工場と呼んでいた。そこで働く社長さんだか従業員さんはとても親切で特別学校が遠く徒歩通学をしている小学生が通りかかると給湯器などから冷たい水や夏は麦茶を飲ませてくれた。学校に持っていく水筒の水など帰りの時には残っていることなどほとんどないから、自分からお水くださいとは言えなかったものの、通りがかる子供たちの後ろに便乗して鮎美も昨年まで水を飲ませてもらっていた。そのブロック工場がなくなってどこかの建設会社が買い取ったらしいが、いつでも子どもたちに開かれていた入り口は固く鉄サビた門で閉ざされてしまっていた。何より象徴的だったのが、通りを挟んで向かい側の敷地にあった大きな椎の木が切り倒されてなくなってしまったことだった。登下校の時間はいつも薄暗く自転車で素早く通り抜けてしまうだけだから、鮎美はちっとも気づいていなかった。その椎の木には鍬形がたくさんいて、特に少年たちはヒラタクワガタがいないかなと探しながらコクワガタやノコギリクワガタを見つけてもがっかりしたような言葉を言いながら毎年の夏の登下校の際にその木に立ち寄っては三々五々に語り合って楽しんでいた。

その憩いの場がなくなった。会社なのだから、移転したりつぶれたり、そんなことはもちろんあるのだが、ばっさり伐られた椎の木がもうあの大きさに成長することがないことを思えば、何だか鮎美の鼓動は漕いだペダルの数以外の理由でも速くなっていくようだった。

海人の家は田舎の家の例にもれず平屋の一軒家でひろびろとしていた。おまけに数年前に改築したというだけあって真新しかった。母親の趣味らしく、庭にはたくさんの花が植えられ、秋晴れの空によく映えていた。薔薇のアーチやなんとなく洋風的な外観といい、どこか大樹の家の庭に似ているように鮎美には感じられた。

マロンは海人の家につくなり庭を探索したがったが、猫に悪い植物がたくさんあるので、鮎美は必死に追いかけて止めた。大樹や男の子たちは気にしていなかったが、足の踏み場もない海人の部屋を見て、猫をいれちゃだめよと海人の母の陽子が止めてくれたのにはほっとした。陽子は小学校の時の鮎美の担任の先生だったことがある。学校外で先生に会うのは何だか新鮮で、学校で見ていた時より陽子はリラックスして笑顔が晴れやかなように見えた。

改築の時に残したという築100年を過ぎた古びた仏間の奥の物置小屋にはノスタルジーな世界が広がっていた。天井下にはいくつものモノクロの機関車の写真が飾られ、床には海人が作ったというジオラマの世界が広がっていた。

「ネットで見たんだ。ジオラマと一緒に猫の写真を撮るんだよ。ちょうどゴジラみたいに猫が巨大怪獣みたいに見えるんだ。ずっとやってみたかったけど、お母さんが猫を飼わせてくれないから」

海人は心底不満そうに言った。海人の家は両親が教師で忙しいからとてもペットの面倒を見る時間がないということらしかった。しかし、ペットを飼ってもらえなくても、たくさん買い与えられたジオラマの数を見れば海人がお小遣いには不自由していないことが見て取れた。

「一人っ子だからさ。おもちゃとかほしいものはじいちゃんたちからとかいくらでも買ってもらえたんだ。甘やかされちゃってさ」

「まあ、そんなもんだよな。俺も一人っ子だから何でも買ってもらえるよ」

海人の言葉に大樹は軽く同意し、山王はそんな二人を不思議そうに見ながらもすぐに3人でマロンを置いてどうやって写真を撮るか話始めた。鮎美は、この間の授業で担任の山上先生がみんなに兄弟が何人か聞いた時のことを思い出していた。その時にも、海人は「俺は一人っ子だから協調性ないんだ」というようなことを真顔をで言っていた。しかし、そんな風に言う海人は、好きではないという剣道部は辞めさせてもらえず、学習塾と習い事のピアノが忙しくて夏休みの間はこうして遊びにくる約束もとりつけられなかったのだ。鮎美たちの家は好きなだけほしいものを買ってもらえるということはないが、勉強に関して厳しく言われたこともない。厳しさは各家庭でそれぞれである。鮎美は、大樹や海人が自分より甘やかされて育っているとは決して思わなかった。大樹の家に遊びに来た時は例によって鮎美も一緒に勉強して、その日はの大樹の家に山王と一緒に泊まったのだが、友達の家に泊まるどころか遊びに来たことも初めてだと言っていた。鮎美も友達など少ない方だが、それにしても小学生の時は毎週のように友達の家を行き来していたものである。大樹は部活でも夏休みから副部長を任されるほど周囲の信頼が厚く、クラスでもいつも誰かとつるんでいるから、もっと社交的な性格だと鮎美は思い込んでいた。大樹もこっちに引っ越す前はネットの友人とオンラインでしかゲームをしたことがないと話していた。環境的に似通ったところのある二人だが、いかにも大樹と親しくなりたそうな海人に比べて、大樹の方が少し一線を引いているように鮎美は感じていた。なぜなら当初から昼休みに誘われても大樹は海人たちと遊ばず、剣道部と兼部している部員たちとも新聞部であまり世間話をしようとしないかった。部活には美空や海人など勉強を苦にしないメンバーが多いので、周りの部員が勉強を教えてほしいと言ってくることもあるが、今に至るまで大樹は海人たちに任せてさっさと帰っている。そして、夏休み終わりから鮎美と山王との勉強会が何となく復活した。それこそこの間の中間テストは、海人が部活でみんなで勉強しようと誘ったのだが、大樹は体調が悪いと言って断ったのだ。それなのに、夜は結局鮎美と山王と勉強したのだからよくわからない。鮎美も友達付き合いというものがよくわかっているわけではない。しかし、何となくおおおばあちゃんが来る前から大樹が何となく鮎美に不満を抱いて時折イライラしているのは感じていた。もっと気の合いそうな海人みたいな人間と仲良くすればいいのにと思うのに、大樹の行動がよくわからなかった。おおおばあちゃんに相談したら、鮎美といる方が楽なのだろうと言われたが、それでもわかるようなわからないような気分だった。

海人のジオラマは素晴らしかった。鮎美も最初は夢中になって携帯で写真を撮っていたが、後から山王にスマホを渡したのですることが無くなった。マロンも最初はあっちこっち置き場所を変えられて嫌がっていたが、そのうち眠くなってしまいされるがままになったので、マロンを抱っこする役目もなくなった。

「ちょっと町の様子に似せてるんだ。グーグルマップとか衛星写真で地図見てさ。テストが全部この辺の地理のことだったらいいのになって思うよ」

「それなら海人がいつも100点だな」

要望通りに大樹が海人の名前を呼び捨てにすると、海人は嬉しそうに破顔一笑した。普段学校で見たことのないような子供らしく可愛らしい笑顔だった。

「せっかく町の姿で作っているなら、部の新聞の写真に使えそうだね」

鮎美が何気なく言うと、海人はしばらく考える顔をした。

「・・・それなら、もうちょっとちゃんと作りたいな。特に川とかいい加減だし」

「違うの?」

「形も既存のやつだし、支流の数も知らないし。豪雨前後で川の様子も違うだろ」

衛星写真とジオラマを比べて見せられた鮎美にはそっくりに思えたが、海人にはこだわりがあるらしかった。支流の数と言われれば、今年の夏の豪雨があるまで市内の支流の名前など鮎美も知りもしなかった。ジオラマ作りについては特に山王が手伝うと言って大乗り気だった。毎日でも来たいと言ったが、何せ家が遠く、海人も習い事が忙しい。どうするのかと思ったが、鮎美は3人の話を聞いているのに疲れて、マロンを連れて先に帰ることにしたのでその場で結論は聞けなかった。鮎美だけなら軽トラックの後ろに自転車を三台乗せられる。大樹と山王は後で槻木家が迎えに来ることになった。

「ジオラマかあ。かっこいいねえ。そういえば、広田さんところはおじいさんが機関車の運転手やったのよね。機関区長にまでなりなさったのよ」

車の中でマスクをつけた母の道子は上機嫌だった。珍しいお迎えだが、ちょうど買い物に出るついでだったようだ。海人のジオラマ、特に電車好きはお爺さんの血を引いたのだろうと道子に言われて、鮎美は海人の家の奥の物置に飾られていた煙を吐いて走っていた機関車の写真を思い出した。あの写真の乗り物は海人の祖父が運転していたものだったのだと思うと、他人事ながら少し誇らしい気がした。機関区長がどういう役職かは分からなかったが、道子の言い方からしてきっと偉い人だったのだろう。

「あらあ、広田さんちに行ったんね。あすこのじいさんな本当にビンタのよかったでなあ。孫さんもそら賢かろう。」

おおおばあちゃんは息子の広田先生のことはよく知らなくても、そのお父さんのことはよく知っていた。苦労人でたいそう立派な人物で、人にものを教えるのが好きだったようだ。

「頭は大ちゃんの方がいいんじゃない?よく知らないけど、ジオラマはすごかった。天才だよ。僕も作るんだ。いいんだよね?おおおばあちゃんも暇なら手伝って良いよ!」

「おおおばあちゃんは暇なわけないでしょ。自分で作りなさいよ」

興奮気味に海人の家での出来事を食卓で話す山王を鮎美は不機嫌に窘めた。ジオラマを山王たちが協力して作る話になったとき、鮎美は手伝うとはとうとう言い出せなかった。元々器用ではなく、同じ部活でありながらなんとなくこれまでも海人とは距離があったからだ。果たして自分が手伝うと言っていいものかどうか迷ってしまった。海人は、ジオラマが完成して部活の顧問の山上先生の写真の使用許可が出るまでは周りにジオラマの趣味のことを言わないでほしいと鮎美たちに頼んだ。

「別にヲタクと思われようがいいんだけどさ、こういうの人に見せて触られたくないんだよ」

他人に見せて触られたくないものをどうして鮎美たちに見せるのか。しかもその写真をネットにあげるのか。マロンが少し蹴飛ばして壊しても怒らないのなら、人間が壊しても寛容になれるのではないだろうか。鮎美にはわからない。本当は、海人は大樹だけを呼びたかったのではないだろうか。広田先生は「鮎美ちゃんがいれば安心ね」と言っていたけれど、海人はそのときなんだか嫌な顔をしていた。途中広田先生が、「4人で勉強でもしたら?」と言ったら黙っていたが、いなくなった後には「俺、親に勉強教えてもらったことないけどな」と何となく不服そうに言っていた。

せっかくなら海人と勉強して帰ってくればよかったと思うのだが、大樹は今日一緒に鮎美とおおおばあちゃんと山王と梨江さんと一緒に食事をしている。おおばあちゃんのりつ子が作った肉じゃがを気に入ったのかパクパク食べていて、お腹によくないんじゃないだろうかと心配になったが、母親の梨江は何も言わない。ご飯の後は、いつものごとく中間テストの復習をしようと決められてしまった。

わけがわからない。”美空と大樹が付き合っている”と葉月から鮎美が聞いたのは、三日前だ。大樹とあまり仲良くしない方がいいんじゃないかと言ってくれた葉月は親切だったと思う。しかし、両親たちの前であからさまに無視することもできず、今日もどうしていいかわからないまま結局海人の家までついて行ってしまった。どうすればいいのか。美空のことを大樹にはっきり聞いた方がいいのだろうか。それ以前にこの間まで明らかに大樹に無視されていたのだから、それを謝りもせずに以前通りになったことを問いただすべきなのだろうか。どちらをするのも面倒くさい、できれば何も聞かないでおきたいと鮎美は思ってしまう。

「あゆみちゃん、ごはんのすすんどらんけど美味しくなかね?」

「ううん。美味しいよ」

おおおばあちゃんの優しい気遣いに答える鮎美の声はどうしても沈んでいた。

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