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【小説】さよなら川辺川 ⑪

林家に来て5年になるキイロが、ペットサロンに連れていかれたのは生まれて初めてのことだった。穴掘りの好きなキイロは、雨の日の後に身体を真っ黒にすることも多いが、夏は庭の外水道でシャンプーをして洗い流すか、それが面倒臭ければ散歩がてら道沿いの川で泳がせて、泥を落とした。大樹によると猫のマロンの初めてのお風呂は暴れたりドライヤーで毛を乾かすのに時間がかかったりしたらしいが、秋田犬のキイロは毛が多い割にはバスタオルで拭いてドライヤーを全身に何となくかければ30分もしないうちにお風呂も終わっていつも毛も乾いていた。

流石に店では10分で終了ということはなかったけれど、いつもの番犬姿はどこへやら借りてきた猫のようにおとなしく洗われていて、わざわざ嵌めた噛みつき防止の轡がそぐわないように見えたくらいだった。

洗い終わった後もいつもの番犬姿はどこへやら、洗ってくれたトリマーさんに撫でられて嬉しそうだった。なんなら、いつも鮎美と散歩に行っているときよりも嬉しそうだったかもしれない。朝から散歩に連れて行ってから洗ってもらいにつれてってもらえばよかったとキイロが現れている間、鮎美は後悔していたが、何となく外面の良いキイロの態度が面白くなくて、一日くらい散歩に連れていかなくても良い気味だと思いなおした。洗ったら、明日まで汚れないように散歩には連れて行かないようにと母に言われていた。どのみち散歩などしなくても、明日にはキイロは少し遠出をしなければならない。よそに行くのだからと母の道子がわざわざキイロのトリミング代を奮発したのだ。豪雨災害の後、何度か避難所や仮設住居にボランティア犬の真似事で行った時には、そんな取り繕いはしなかったのに、今回はずいぶんと仰々しいなと鮎美は首をひねった。

翌日、マイクとスピーカーを腹に装着されたキイロは何だかほこらしげに見えた。いつもの3割増しに格好よく見えたのは、前日のトリミングのおかげだけでなく新調した首輪のおかげもあっただろう。出かける前に、「買っておいた新しい首輪を・・・」と道子が言い出した時には、どんだけ見栄っ張りなのかと鮎美は呆れた。

以前に山上先生が提案した老人施設での取材は、その日キイロを介して行われることになっていた。コロナ禍で感染対策が必要なので、施設で直接入所者と触れ合うのはよろしくないんじゃないかと思い、鮎美が提案したのだ。本当はマロンも連れてきたかったのだが、まだ子猫で落ち着きがないということで却下された。キイロは、外でいい加減に飼育されている割に躾だけはばっちりの利口な犬だった。それは見栄っ張りな林家の性格が理由で、血統書付きのキイロがやってきた時に、どうせなら、一端預けて躾をとすすめられて、数か月、ペットを教育してくれる機関に預けたのである。「可愛い子犬の期間を見逃した」「番犬にそこまでの優秀さを求めてなかった」と林家では常々不評であったが、それがやっと役に立って、キイロはガラス越しの鮎美たちに代わって、ゆったり椅子に座っている大人たちの間を指示の通りに(ところどころはしゃいで上手くいかなかったところもあるが)歩き回って取材をしてくれた。シット、スタンダップ、ウェイト、ライト、レフト、ゴー、お手、おかわり。およそ犬が躾で求められる大体のところができるキイロをガラスの向こうで歓迎してもらえたので、発案者の鮎美は心底ほっとした。

「地元の川での思い出を教えてください」

キイロがひとしきり愛でられた後、最初に質問したのは、海人だった。今日の進行役である。山上先生と合わせて4人のメンバーは最初美空が参加する予定だったが、塾があるというので代わりに海人がくることになった。質問の内容を昨日から考えてきたという海人のノートの表紙に『取材帖』ときれいな字で書かれていたことからもその張り切りぶりがわかる。

取材を受けてくれたのは、男女合わせて10名弱の80代以上の人で、「昔はね、家の近所の溝で洗濯していた」「鰻はよくとって食べていて、食べすぎて嫌いになった」「泳ぎは川で習った」「川獺をみたことがある」とか豊富な話題にことかかなかった。あまりにいろんな話があるので、途中でどこに焦点を絞って話を聞くことにするかということを山上先生と一緒に4人で話あった。

「川下りの話はどうかな。船で学校に登校していたとこ新鮮だし」

鮎美が言うと、二人はなるほどとうなずいてくれたが、鮎美は少し不安になった。鮎美が話す前に大樹が何か提案しようとしたのを遮ってしまったからだ。大樹も何を言おうとしてたか言ってほしいと再三促したが、「あゆさんのやつの方がいいから」と譲らなかったので提案は聞けず仕舞いだった。

川はその土地の人々にとっての生活の一部だというのは中学生の鮎美たちにとって新たな発見だった。川で木材も運べば、人間も運ぶ。「船ぐらいなあ。昔は自分で作ってたばってん」というお爺さんの話には素直に驚いた。玩具の模型ならともかく、船を自分で作るなんて鮎美たちは想像したこともない。だが、地元には都会の子供たちにログハウスを自分たちで建てる体験教室もあるというのを鮎美は思い出し、今生きている昔の人は生活に必要なものの大半を自分で作れる人も多いのかもしれないと気づいた。

取材は2時間と決められており、1時間過ぎたときから少し話疲れを感じていたものの、終わるときには1回では取材をしきれないなという感想も抱いた。施設の入所者の人も名残惜しげで、それぞれ「キイロちゃん、キイロちゃん」と犬の気を撫でていた。

「それにしても賢か犬ね。どこのうちの犬やろか」

「私のうちの犬なんです」

キイロが褒められるのは飼い主として誇らしかったので、鮎美はすぐさま答えた。

「ふうん。あんたさんな、どこの人ね」

「林です。木上で旅館をやっている林のうちです」

「あらあ、あそこの林さんな。繁さんのところやろう。お祖父さんな、よく知っとるよ」

自分で編んだという桃色のチョッキを着た花江というお婆さんは大げさなほど目を丸くして答えた。そのお婆さんはお祖父さんといったが、繁は鮎美の曽祖父だ。町議にもなった祖父が言うには足先ほどのちょっとだけ地元の名士だった人だが、40歳という若さで亡くなった。「ひいおじいちゃんです」と鮎美が訂正すると、「もうそぎゃんなっとね。月日の経つのは早かなあ」とお婆さんは感慨深げだった。二人の話が長くなりそうだったので、山上先生たちは先に帰った。どのみち、鮎美はキイロと一緒なので、父の勇が直接迎えに来る。よくよく話をしてみると、そのお婆さんは鮎美の父方の曽祖父を知っているだけでなく母方の曾祖母りつ子の女学校時代の同級生だった。今でも年に数回会うほどの仲良しだという。「女学校」と言われても良く分からなかったので聞いてみると、「昔の旧制中学校みたいなもの」と言われたが、何しろ戦時中くらいの昔の話の学校制度でよくわからない。それこそ、帰ってりつ子に詳しく聞いてみようと思った。りつ子も長生きで元気な方だと思っていたが、花江も施設に入所しているとは思えないほど話し方もしっかりしていた。何でも女学校を卒業してから、看護学校に通って看護師として従軍していたこともあったのだという。中国のハルピンで過ごしていたこともあるらしく、その頃のことも懐かしそうに話してくれた。「女学校」とか「従軍」とか「ハルピン」とかあまりに昔の世界の話すぎて、鮎美はほとんど理解が追い付かなかったが、それでもそれなりにメモを取ると聞きなれない文字の羅列が面白くもあった。

「お医者さんとねえ。結婚しようと約束したんだけど、昔は農家の方が良かっていう時代やったけんね。泣く泣く別れて、農家に嫁にいったとよ。山の奥でねえ。年取ったら住んどられんけん、息子たちには引っ越させたと。ばってん、わたしよりずっとりっちゃんな苦労しなったよ。農地解放でねえ、うちも貧乏やったばってん、元々嫁ぎ先は分家やろう。大して変わりはせんやったばってん、他にもみーんな貧乏になったとよ。本当に嫁に行く先は惜しいことをした。りっちゃんな、お嬢さんであたしの付き合われるような人じゃなかばってん、苦労もお互いして、どこか抜けとっところのあんなさっけん、まあ、付き合われたとたいな。長生きばしてもうあとは死ぬのを待つばっかりと思っておいたら、このあいだの大雨やろう。バケツをひっくり返したごとして、本当に恐ろしかったたいな。息子たちのみんな先にあの世に行ってしまって、これ以上悲しかことはなかと思っといたら、まあ、孫のなあ、あの大雨で死ぬたあ、思いもせんかった。これが”のさり”っちゅうもんやろばってん、本当にこぎゃん悲しかことのなかとよ」

花江の話はおおよそ、聞きたかった川の話とは関係のないものだと途中までは思っていたが、話の締めくくりには大雨で孫を亡くした話まで行きついた。涙を浮かべる花江に鮎美はどんな言葉をかけてよいのかもわからなかった。話があまりに遠い昔のことでまるで小説の中の世界のようだったが、ただ分かったのは、花江さんが相当苦労して生きてきたということだった。母方の曾祖母のりつ子についても、そんな話を聞いたことがあったが、改めて昔の話を聞いてみたと思った。もちろん、取材とは関係ない。花江が鏡越しでもよいとしきりに言うので、今度はりつ子を連れて会いに来るという約束をしてしまった。りつ子は耳が遠いので、電話では上手く話ができないのだ。

家に帰って施設でりつ子の友人に会ったという話をすると、道子は自分も会いたいと喜んでいた。苦労人で、和裁も洋裁も料理も詩吟も生け花もできて、上品で優しい祖母のことを道子はとても尊敬していて大好きなのだった。けれども、鮎美はいつも自分の仕立てた地味な暗い色を着ているりつ子を鮎美は母がいうほどお洒落には思えず、しわくちゃで腰が大きく曲がって畑でしわぶいてたまに痰を吐いている姿を思い出しても花江や母のいうような上品で知的な人と思ったこともない。ただ、祖母の方が物心ついた時にはどちらの家の方も亡くなっていたので、何でもできて長生きな祖母のりつ子のことは尊敬もしていたし、好きだった。りつ子は、母の叔母にあたる娘と二人暮らしだ。

「おばさんとおばあちゃんに会いに行こうね」

コロナ禍でずいぶんと遠慮していたので、久しぶりに祖母に会える口実ができて母は嬉しそうだった。そんな風に母の機嫌が良いと山王も鮎美もいつもより夕食の箸がすすんで、めったにないことに奪い合うようにしながら自ら進んで二人で早矢の離乳食を食べさせたのだった。

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