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我が家の庭の風景 part.129「今、空は晴れているか」

 不穏な空が続くが、雨が降らない。どのくらいの雲の量であれば晴れているのか、子供の頃学校の授業で習ったはずなのに、全く知識として身についていない。今空に浮かんでいるどの雲が雨を降らすのだろうか。雨が降らなくても雷が鳴る事はある。
 野良生活を経験した猫は、全く雷を怖がらない。少なくとも私が関わってきた10頭の猫たちはそうである。
 山の天気は変わりやすいと言う。里山も同じだろうか。春は雷が季節の訪れを告げる。秋もまた雷が季節の訪れを告げる。台風が来なくても雷は鳴る。近いところに落ちる。実家では何度か雷で冷暖房器が壊れている。
 猫たちは、雷の怖さを知らないのだろうか。いや、私と同様に雷のことを気にしていては生活できないだけではないか。一方で、自身の場合は震度1でもあたふたする猫がいるのだから、危機意識は猫によっても千差万別である。あるいは、天が割れることより、地上が割れることの方が、天変地異そのものだと知っているのかもしれない。

 天変地異とは、その影響の大きさを表すものでは無いのだ。雷でも、地震でも同様に奪われる命はある。その規模の大きさは、段階が両者ともある。しかし、雷はこの世の中の様相を一変させる事は無い。雷で奪われた命で社会を変えることができるだろうか。地震は社会を変える。台風はどうだろうか。地震ほどの影響は無いにしても、雷以上に社会は対策を強化していくことができるのであろうか。

 災害の対策の強化が、社会や文化の進歩を表す側面であるのなら、社会は決して退化しないだろう。命がないがしろにされてはならないだろう。

 災害の対策ができる国は、戦争の対策もできるだろうか。無論のこと、どちらも命が大規模に奪われるものであるのならば、命を大切にする国家はそれに備えるかもしれない。ましてや、命を守るための備えのためにかえって、誰かの命を失わせることなどしないだろう。

 こうして世界は平和になっていく。現代を表すときに戦争ばかりが全てではない。特筆すべき社会的な進歩も素晴らしい。文化も芸術も多く生まれているのだ。悪い側面ばかりではなく、その人類の素晴らしい行いにも注目できるようになりたい。

 その余裕があれば、雷もなんのその。猫たちのように、肝を据えてガリガリの体を抱えていても、プライドを失わずに果てていけると思う。

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