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東と西の薬草園 ⑥-1「峠道の貸庭」の開業準備

カッとなりそうな時はお茶を飲む。 

「紅茶のお代わりはいかがですか?」

相手の意見に反対する代わりにお茶をすすめる。この町で生まれ育っていても、遥には町について発言する町民権がない。相手の名前は知らなくても、町内での力関係は顔を合わせてすぐに把握しなければならない。
そんな町の在り方が嫌だった。

「貸し別荘はペット可にしましょう。野良猫を0にしたいので、不妊手術は毎月10匹までうちで引きうけます。ふるさと納税の使途にしてはどうでしょうか。返礼品は果実町のフルーツフレーバーティーと"峠道の貸し庭"の薬草茶もありかなと」

香の提案に役所の山津はすぐにうんうんと頷いた。

「災害復旧に農協の力を貸してほしいんです。畑と同じように花壇の手入れもしたいですよね。ボランティア希望の方には、植林や花壇の手入れを手伝ってもらっても良い気がします。移住してもらわなくても、第二の住まいとして新規就農や道つくりなど田舎暮らしを体験してもらうのもありかなと」

「良いアイデアですね!」

農業普及委員長の上村はカエルの提案に膝を打って賛同した。

ー全部、遥が文書で町役場と農協に提案したことだ。何度連絡しても返事が保留だったので、直接会う日を取り付けて移住組の香とカエルを引き連れて来たら、文書にしていた数々の提案はあっさりと通り、誰も反対する者はいなかった。

だったら、今まで返事を引き延ばしていたのはなんだったのか。

「いやあ、それにしてもオシャレなログハウスですね。飾っているのはドライフラワーにフルーツですか。やはり、都会の人はセンスがいいですね」

「ここは私が借りてるんですよ。実家は果実町にありますけど。中つの山脈(やまなみ)です」

「山脈?」

「ああ、源三さんの孫たいな。こっちに帰ってきとったとたい」

名乗っても山津はピンと来なかったようたまが、上村は思い至ったようだ。なにせ山脈は全国に一軒しかない。昔の地主で農地解放からは会社員となった消えゆく一族である。兄弟は町を出て、帰ってきた遥は未婚だから、少なくとも遥の死後は果実町から山脈家は消える。父方の祖父の源三は遥が生まれる前どころか、父が中学生の頃に亡くなった。
上村は70代で生きていたら祖父より二回り若そうだが、顔見知りであったようでしきりに懐かしがった。

対して、山津は山脈家に関する昔話には興味がないようだ。
香やカエルに町の暮らしはどうかとばかり話しかけていた。

無理もない。果実町にフルーツフレーバーティー事業という多大な恩恵をもたらした富居一族の令嬢の香と造園家として名を馳せた井中野人の孫の蛙と比べ、遥は果実町で生まれただけの一般人だ。
学歴だけは二人と大して変わらないのになと変なプライドが擡げてきたが、大学を出てからは転職を繰り返してフラフラしていたから、信用ならない風来坊と見られても仕方ないと思い直す。

ここで、「どうして二人の話は聞いて、私が話そうとしたら無視したんですか」と子どものように癇癪を起こしても自分が損するだけだ。

「要は農業指導と同じように花壇造りを指導するということでしょう。婦人会じゃなかった、緑の手組合?でしたっけ?そちらにの方が農業訓練に参加して、ガーデン指導を行うということですね」

「はい、そうです。組合長は、こちらの井中蛙さんです。ハーブを使った料理も趣味なので、会報誌にレシピだって提供できますよ!」

「カエルと呼んでください。いや、まだ、料理教室に通い始めたばかりなので、それほどでは。ただ教室に男性がいないので、農業指導は男性がたくさんいそうで肩身が狭くなくてすみそうです」

カエルは先々週から農業訓練に参加している。3ヶ月の予定だが、なかなか楽しいようだ。勤めている不動産会社は桜が咲く頃に退職予定。今はパート勤務で「峠道の貸し庭」と名のついた富居家の山のレンタルガーデンで今夏にマルシェを開く予定のレストランの料理人の店で週末働くという多忙な日々を送っていた。そのレストランが軌道に乗れば、カエルは晴れてレストランの経営を引き継ぎ一国一城の主になれる。
今は夢がいっぱいで、忙しさも気にならないようだ。会社を辞めたいと1ヶ月前まで悩んでいたのが嘘のようだ。

香の方は、山津と上村が帰るとどっと疲れが出たようだ。台所で遅い昼ごはんを作る遥とカエルを見送って、一端同じ敷地内の山上家の自分の部屋に帰った。

料理する場所はいつもの如く、食材豊富な富居家の屋敷の広い台所だ。
冬に乾燥させた茶葉を仕分けすると言うので、役所の人間との話し合いの間、ただ黙って。そこに座っていただけの野人は2人が料理をする間も黙って作業に没頭していた。

「香さん、本当にサンルームを作るつもりなのかな?」

「作るんじゃないかな。じいちゃんのデザインしたサンルーム見たことあるけど、かっこいいんだよね。あれは憧れるよ。ただ、老朽化もするだろうしね。レンタルガーデン利用者は無料にするとして、外からどうやって料金を徴収するかだよね。維持費もかかるし。会員証を作るっていう話になるのかなと思ってるけど。デザインなら湧水さんに頼めば良いもの作ってくれそうだよね」

「野沢さんから、それならカエルくんが頼んでくれない」

カエルと香と同じく移住組の野沢のことを考えると、遥は憂鬱になる。野沢今描いている漫画のモデルに遥を使っていて、会うたびに会話するたびに言動を観察されていることを感じるのだ。普通っぽい、冴えない、独り身の女といい感じがどうにも良いらしい。
確かに、少年、漫画、なんぞ、泣き虫の少年がだんだんと強くなっていく姿に感動を覚えたりをするが、30過ぎた泣き虫女がこれからどうやって強く生きていくというのか。
漫画の中のように、自分が誰かを導いていく姿など、遥には想像もできない。

「忙しいからちょっとやだな。ハルさんが直接頼んだほうが早いよ。漫画のモデルになるなんてうらやましい話だけどな」

「次回からは、蛙くんやはるかさんも出てくるらしいよ。もちろん、ヤマさんも。うれしい?」

「いやじゃないけど、ちょっと複雑かも」

「そうなんだよね。私も最近レンタルガーデンのブログの内容を何を書けばいいか迷ってて。というか、レンタルガーデンをどういう方向にしようか迷っているんだよね。どんどん話が、広がって人を雇う話になってるし。うまくいかなかったらどうするんだろうっても憂鬱になるし、今みたいに予約でいっぱいな状況も、自分がちゃんとできるか不安になる」

「大変だよね。レンタルガーデン事業の社長さんだもん」

「いやだよ、ただの別荘の管理人だもん。かえるくんが引き受けてくれたらよかったのに」

「だってさ。レンタルガーデン事業がはるさんの発想じゃないかだってさ。俺たちはそれに便乗させてもらってるんだから。それにやっぱり俺は料理をしたいんだよね。ハーブについて研究がしたいんだ。まだまだ勉強する時間も欲しい」

「みんな偉いよね。かおりさんは、将来に行く旅館を経営して引き継ぎたいと言っているし、そのために街の観光事業の活性化に対しても一生懸命考えている。山さんも酒造会社は継がないらしいけど、薬草茶とか害虫駆除剤とか一生懸命研究して作っているし。1番不勉強で怠惰な私がなんでこんな役割なんだろうと思うけど、結局私が1番暇だからってことなのか」

「はるさんもこれがやりたいって、自分で主張してみたら?そうしたら、自分がやりたいことに専念したらいいんじゃないかなあ。まぁそれでレンタル事業から釘引きますってなるとどうにもならなくなるから。それだけは絶対だめだけど」

内心でここずっと考えていたことを言い当てられて。はるかはドキリとして鶏肉を切る手が止まった。細切れにするのはやめて、乱暴に沸かした鍋のお湯に放り込む。

最近、ほとほと疲れている。連日レンタルガーデンで働いてもらうパートの人の面接が続き、それを一人でするのが負担だった。誰かに相談したいが、する人がいない。
みんな忙しいし、野人に愚痴をいうのも気が引けて、結果実家の母に長電話している。

「やりたいというか、これをするにはここを考えなきゃってことが次から次にら出てくる。野良猫の保護にしたって、病院に連れて行く人や餌をあげる人が常にいるし。貸し別荘もカードキーくらいで、だいじょうぶかなとか。会議する人間も足りてないよね。事務員の人も雇ってもらわなきゃ。

「雇ってもらうというか、遥さんが雇うんだけどね」

「募集した来人は来ると思う。パートなら。でも、それでいいのかなあ。それとも農協の全面協力で雇う人を丸投げするか。私には人事が向いてない。いや、仕事が向いてないんだと思う」

「一人で細々と始めてやった方が楽だったかもね。俺も話が大きくなって責任感じてる。でも、面白くもあるよ。優先事項決めてやってくしかないよね。今はレンタルガーデンの無料体験期間だから、プレゼンはこれで最後。ここを乗り切って本契約がいくつになるか。そのサポートがどこまで、できるかだよね。まだ2月だからパンジービオラ、プリムラとか初心者向けからかなあ。自分たちで好きなようにやるのかも相談しないと。ホームページで相談受け付けるから、その相談者の担当も決めないとね、全部ハルさん一人でやるのは多分無理があるから」

申し込みが2、3組なら問題ない。遥一人でも丁寧に対応できるかもしれない。しかし、それが10組になったら。100組になったら。
山の敷地は東京ドーム何個分もあるから、広げる分には敷地はある。ただ広げるほど手がかかる。
釣りやラフティングや登山など山のレジャー企画はどうするか。
考えることがいっぱいで頭がパンクしそうだ。いつもなんだから気だるく疲れている。

一方、仕事が山積みなのに、遥は最近庭いじりの時間が長くなった。冬に植え替えたプリムラの種類の多さに魅了され、家の周りをプリムラだらけにしている。寄せ植えも簡単でセンスがなくてもできるのが楽しい。
鉢選びにも拘り始めた。

これが現実投票というものかと実感している。生きるには、癒しが必要だ。
最近、実家の猫に無性に会いたい。
そう思いながら作ったクッキーは猫型ばかりになった。
湯煎したチョコレートをかけるとバレンタイン仕様になった。

2月のイベントはバレンタイン缶の花とクッキーのブーケ作りで好評だった。しかし、ただ楽しいだけでは、毎回参加しようという意欲は薄れるかもしれない。

レンタルガーデン事業に乗り気になってから悩みが増えて、今更引き返せないことに遥の悩みは深まるばかりだった。

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