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揺らぎ続けるわたし、21歳。

はじめまして。
note.にはじめて文章を綴ります。
どうぞ、お手柔らかに。
これから書くのはわたしのこと、つまりわたしの感情・思考の整理と覚え書きのようなものです。
もしよろしければ、お付き合いください。

現在、21歳。

子どもと言うにはもう成長し過ぎていて、大人と言うには心做しかぎこちなさが残る年齢だと感じている。子どもにも大人にもなりきれなかったわたしの勝手な捉え方だけれど。

2年前に成人して、学校を卒業した。(19歳の時に成人式を迎えた早生まれです。もうすぐ歳を重ねます。)
そんなわたしも、日々お仕事をして1日を終える。
お仕事といえど、フルタイムでガツガツ働いているわけではなく勤務時間は少し短め。この生活にもなんとか慣れたけれど、人間関係や諸々のストレスについていけていないヒヨッコもヒヨッコ。

現在再びの就職活動中。

元々やりたいこともあまりなくて、今お仕事をしている人達はどういう選択を重ねてきたんだろうと不思議に思ってしまうくらいには、お仕事に対してこじらせているわたし。
経験しなければ、向き不向きもわからない。
けれども興味のあることも割と少なくて。
いや、何ならもう社会人でやっていける自信もないくらいに行き詰まってる。

「このままで良いのかな」

そんな風に考えながら、今現在のわたしをいつか抱きしめてあげられるようにと綴っています。

高校卒業後にすぐ就職した友達が、立派な大人に見えて仕方ない。もうすぐ丸4年働いてるというだけで、背中がとても大きく見える。社会の荒波に揉まれて、それでもその中で自分の立ち位置を見極めていく、折れそうになっても踏ん張るその姿は同い年ながら尊敬の念を抱いています。

そして2年前ともに卒業した同級生は、どんな形であれ自分のやりたいことやこうありたいが明確で、その道を真っ直ぐ進もうとしている人達が多い。未来を少しずつ描こうとしていたり、今この時のトキメキを1つも逃さないように過ごしていたり。

専門学校に通っていた頃に出会った人たちは、私の視界を広げてくれた。様々な価値観、夢、目標、在り方。自分の世界がどれだけ狭かったかは一目瞭然だった。そしてすぐに自分の殻に閉じこもろうとするわたしが、わたしのままでありながら歩けるような。周りの人の優しさや温かさを「ありがたいなぁ」と感じながら2年を過ごした。
「じぶん」というものを見つめる時間がこの時から少しずつ増えていったなと、今更ながらに思ってしまう。

「あれ、何も無いな」

ただ、考えすぎるわたし。
気づいてしまった。自分に自信が持てないこと。自分に何も無いこと。そんなはずは無いのに、自分の中に芽生えた疑念は煤のように自分をたちまち染め上げた。
そして立ち止まってしまった。就職活動には身が入らず惰性に過ごした。

そして、薄々気づいていた。
わたしは、ちょっと特別な何かなんて持ってない。チートスキルなんてなくても、自分を輝かせるものというか。でも、そういうものなんだろう。
わたしは『どこにでもいる人A(21歳)』で。行動力のなさや考えすぎる性質がある点を含めると、より自己評価は下がる。
無いものばかりを、数えている。
真に受けすぎて、自分で自分を傷つけている。

果たして前に進めるのだろうか。
現状を変えて新しい場所へ。
ビビりのわたしが不安だらけで大丈夫だろうか。

でもやるしかない。時間は待ってくれない。
これからを作ることが出来るのはわたしだけ。

今日の自分じゃだめでも、いつかの未来のために歩こう。選択を続けよう。
わたしがわたしのまま、前を向いて過ごせるように。


拙く、長い文章になりました。
お付き合いいただきありがとうございました。

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