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不安の隣に座していた

あれだけメチャクチャになっていたイヤホンも、このように簡単に纏められるようになった。もはや妖怪コード絡ませの付け入る隙はない。ありがとう、集合知……!

目下の不安は、体重が大台に乗ってしまったこと。こんばんは、ユラウ(@yulooooou)です。

おくすりを飲む前のキリキリと精神が痛む音、さまざまな不安がうねりながら押し寄せる音、内なる者たちの案ずる声などを聴きながら、「これは記録したほうがいいかも知れない」と思ったため、論理筆を取っています。

隣に、座す……どうにも「不安の波に呑み込まれる当事者」という気持ちからは少しずれているため、この表現を使っています。「ああ、冷たそうだ」「なんとかしてやりたい」おかしいなあ、その不安ってやつは私の感情のはずなんだけどなあ!

居心地はそりゃもう良くない。良くないし、「なんとかしてやりたい」が、どうしたらいいか、何から手をつけるべきか分からない。そわそわしていたところに突如押し寄せる波!攫われる私!これで当事者よ!よかったね!

しかし何故こんなことになってしまっているんだ?疑問に思ったユラウは頭痛ーるに尋ねた。「この気持ちは何だろう」頭痛ーるは答えた。「目に見えないエネルギーの流れよ」「なるほど!」ユラウがおくすりを飲むと、程なくして不安は去った。

そしてユラウは眠りについた。ありがとう頭痛ーる。ありがとう五苓散。そう、五苓散(ごれいさん)という漢方だ。気圧や天気の変化で体調を崩しがちな方は、ぜひ、試してほしい。薬局にもあるし。

(普段飲んでいるおくすりがある方はしっかりお医者さんと相談しようね!)

今回の不安に追随して纏わりつく思考に、「人が何かを楽しんでいる所に私が加わる権利はない。邪魔になってしまう」というものがあった。自己嫌悪とは少し違う。行き過ぎた自己への戒めのようなものだ。

「お前はだめだ、何故ならお前はだめだからだ。恥を知れ」などと、私の中の誰でもない、他ならぬ私が私を冷たい目で見下ろしながら、吐き捨てるのだ。明らかに支離滅裂で、根拠もない。だが、不安の波に呑み込まれている時は、それに対して「その通りだ。私は駄目だ。生きていても仕方ない」と思ってしまう。

今回は数年ぶり「他人(生きた人間)の助けをもってしてもどうにもならないレベルのものだった。みずから回線を断ち、助けを拒み、「無理だ」と決めつけてしまう、とりつく島もないような……何となくではあるが、自分への信頼度が最高の状態、かつ、自己評価が最低の状態なのだな、と理解した。

そういう状態から一夜過ぎ、また夜が訪れた。乱高下する気圧は今日も不安の波を呼ぶ。普段ならば夜は友人達と遊ぶ楽しいひとときであるが、今はしっかりおくすりを飲み、ゆっくりと体を休めるのが大事かも知れない。そうだと思う。そうだといいな……

明日いっぱい気圧は上がり続けるし、明日もゆっくりして、体調を整えていこう。お読みの方も、どうか気をつけて休んでほしい。耳のマッサージがおすすめです。またね!

追記:文章の太字は、後で自分が読み返す際に頭に入りやすくするためのものです。

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