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自分で読み返す用の思考メモ
ヘッダーはAIで生成したものです。現実でないものがよかったので助かった。しかし、学習元とか色々良くない話を聞いているので、なんか、うーんとなるのであった
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自分の現状について、形に残しておこうという試みです。書きたいだけとも言う。書かないと分からなくなってしまうので……
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まっすぐではなくていい。無理をしなくていい。でも、できるだけ目立たないようにする。目立つと、あまり、良くない。そう思っているうちに、10年以上が経っている。
10年。何かを始めていれば、今頃はベテランだ。その時間は、マイナスを減らす事こそすれ、プラスになることはなかった。スタート地点にたどり着くことも出来ず、なにもかも中途半端のまま。
私は、「普通」になれるのだろうか?そう考えているが、「普通」になる努力をしてきたのだろうか。「してこなかった」。「そうなれなかった」という結果が示す通りだ。努力は、実を結ばねば意味がない。
明日起きれば、こうして考えていたことも「他人事」として、「起きていられない」と自分をごまかし、家族をごまかし、なあなあに過ごすだろう。そうなってしまうとしても、せめて書き留めねば。
私はいつだって受け身だった。自分から行動をしたことがないのだ。私には何も出来ない。起こした行動がマイナスに働くのが怖い。空回りするのが怖い。失敗するのが怖いのだ。
家族の洗濯物を畳むことすら、「違う」と言われるかも知れない、と躊躇し、そして気づかなかったふりをする。『干してあったのを忘れていた』。本当は見えているのに。
さもありそうな「もしも」に怯え、それらしい言葉で自分をごまかして何もしない。「まだ何かできる状態ではない」ふりをしているのだ。本当はできるかも知れないのに。
料理が、洗濯が、掃除が、散歩が、買い物が、入浴が、就職活動が、食事が、人が、怖い。
怖いのか?
そうだ。怖いのなら、それが分かったのなら、多少はなんとかできるかも知れない。
そもそも恐怖とは、何から来ている?
「わからない」、だから怖いのだ。正しい調味料の分量も、どれがどの洗剤なのかも、どこまで掃除して良いのかも、どの道が安全かつ歩いていて目立たないかも、どんな食材なら買って良いのかも、週に何日までなら湯船を張って良いかも、相談すべき場所も、食べて良い食料も、話しかけられるタイミングも、「わからない」のだ。
一つずつ潰していけば、「普通」になれる。この夜はもしかしたら、転機になるかも知れない。
やろう。明日から先の私よ、この書き留めを、くりかえし見直してくれ。きみが逃げているものは、「わかれば」恐れる必要もなくなる。克服できる。
前に進もう。
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読んでくれた私以外のあなたはきっと疲れたと思うので、ココアなど飲んであたたかくなさってくださいね!
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