やすこさんのこと

やすこさんのフルネームは、
「鏑木やすこ」
というのだけれど、
「鏑木さん」
と呼ぶ人はいない。
支店長も、進藤君も、小山内さんも、みな、
「やすこさん」
と下の名前で呼ぶ。
一度だけどうしても気になって、支店長に尋ねたことがあったけれど、
「鏑木さんというと、なんだか大仰な気もするしね」
と、支店長は笑ったきりだった。
つられてやすこさんも笑ってしまったのだけれど、釈然としなかった。
その一方で、時々出入りの人から「鏑木さん」なんて呼ばれたりすると、やすこさんのほうでなんだか違和感があったりもする。

やすこさんはショートカットで、いつも決まったブランドのワンピースを着ている。おおよそ、微笑んでいる。
イライラして、ムッとしていたい時もあるけれど、極力微笑むように勤めている。

そんなやすこさんを月のようだと進藤君が評したことがあった。それは違うとやすこさんは思った。私の場合は面倒なだけでそうしているのであって、月のような女性とは、たとえば小山内さんのような女性のことを言うのだ、と少しむきになって言い返した。
進藤君は「いや、彼女は木星だ」と言って譲らなかった。
それから二時間ばかり、月か木星かでやすこさんと進藤君は議論した。あとから考えると随分とロマンチックな議論だったなとやすこさんは思う。

やすこさんはポップスが好きで、この頃はレッド・ホット・チリ・ペッパーズを気に入っている。
サブスクのお気に入りには他に、くるりやサニーデイ・サービス、それから少しだけ落語が入っている。だからうっかりランダム再生にしておくといきなり出囃子が流れてきて笑ってしまうのだけれど、そのまましばらくのあいだ聞き入ってしまう。そうして、金沢君と行った寄席の日のことを思い出す。

金沢君は、やすこさんのワンピースがどこのものかを当てた唯一の人だった。
「昔そっちの仕事をしていたのですね」
金沢君は緊張すると、語尾に「ね」がつく。その日の金沢君は「ね」だらけだった。水を飲ませると、ようやく少しだけ落ち着いてやすこさんの顎を見つめた。やすこさんからはちょうど、金沢君の特徴的な長い睫毛が見えた。

金沢君はある日突然に職場を辞め、ベルギーにチョコレートの修行へ行ってしまった。
二年間一緒にいて、金沢君がいったい、いつ、どこで、どうして、チョコレートに目覚めたのか、やすこさんにとってまったくの青天の霹靂だったけれども、いかにも金沢君らしい風のような旅立ちだったかもしれないと思ったりもする。
数ヶ月に一度、金沢君からエアメールが届く。メッセージアプリでもメールでもなく手紙だった。手紙は何から書き始めればよいのでしょうかというところから始まって、ベルギーでの暮らしぶりが血判書のような長さで綴られている。
ベルギーでも金沢君は「ね」なのだろうか。フランス語の「ね」ってなんだ? 相変わらずの睫毛なんだろうか。返事を書きながらそんなことを考えていると、一日の半分が過ぎてしまう。

やすこさんは、料理が好きである。
なかでも豆を使った料理が好きで、近くの神社の朝市で両手一杯に買って来た豆を、どんどんと料理に使う。豆ご飯、豆スープ、豆パスタ、豆サンドイッチ、まるで親の仇みたいに豆を食べる。
親の仇みたいに、と書いたけれども、亡くなったやすこさんのお母さんは豆が嫌いだった。にも関わらず、やすこさんはいくら食べても食べ足りない。いったいどういうことだろうと、豆カレーをかき混ぜながら思う。

六月のある夜に、早鐘のように鳴り響く電話に起こされた。
リビングのソファで、いつの間にか眠ってしまっていたやすこさんが、なにがなんだか分からないまま電話口に出ると、電話口からは、懐かしいお母さんの声が聞こえた。
「どこにいるの?」
と尋ねると、お母さんは、酔っ払って正体のない様子で、千葉にいる、と答えた。よりによって、ピーナッツの町にいるんだねとやすこさんが言うと、お母さんは泣きながらやすこさんへの侘びを述べはじめた。



街角で、やすこさんを見かけることがある。
ある日のやすこさんは新宿の名曲喫茶で友達と一緒に花のように笑い、またある日のやすこさんは池袋のレコード屋さんでゴールドムンドの新譜を眺めている。またある日は銀座の文具店で万年筆の書き味を試している。インクはブルーブラックがいいかパールブルーがいいかと悩んでいる。

やすこさんは姿勢を正しくして、真っ直ぐと歩く。
時々、眩しそうに空を見上げる。空には、大きな入道雲がひろがっている。

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