見出し画像

逗子の立ち飲み酒場と文化規範-善の尊重と距離の調整-

ここでは、2022年度前期に大学の講義で取り組んだエスノグラフィーを紹介します。

エスノグラフィーとは、超ざっくりいうと人の行動を観察して文化を知る調査方法のこと。例えば、店員が発する「いらっしゃいませ」という言葉は、来店を歓迎するだけでなく、同時にスタッフに対して客の来店を知らせ、店頭の仕事に注意を向けさせる…という意味が含まれている場合がありますよね。こういうノリで、行動の裏に隠された意図から現場の文化を知ることがエスノグラフィーの目的です。

レポートそのまま載せるのでnoteにしては長いです。飛ばし読みをお勧めします。

★注意

・本講義の目的は1つの真実を導き出すことではなく、観察から隠された意図を読み取り、「こうかもしれない」と考えることが目的です。
・本稿は一般的なレポート書式に従わずにまとめられています。
・プライバシー保護のため一部表現を変えています。
・問題あれば消します
・せっかくなので楽しんでね

それでは。はじまり、はじまり—―――――

1.動機と目的

私が2020年に初めて逗子を訪れた時、海が身近で建物が低い私の故郷と似たような側面を感じた。しかし、今回エスノグラフィーの一環としてJR逗子駅から逗子海岸までの片道10分ほどの道のりを歩いて街を観察してみると、逗子の人のどこか冷たい態度と経済力の高そうな雰囲気を知り、カジュアルで庶民的な雰囲気の強い故郷と異なる空気に気づいた。これをきっかけに、知っているようで知らなかった逗子独特の雰囲気に興味を持った。

逗子市の特徴の1つとして自殺率の低さがあげられる。神奈川県警によると、令和3年度の逗子市の自殺率は13.44%であり、全国平均の16.44%と比べ少々低い値となっている。この事実を知った同時期、私は自殺率が特に少ない自治体のフィールドワークをまとめた書籍を読んだ。同書籍は自殺希少地域の住民の対話力に注目しており、住民は対話を通して各人が生きやすい環境を作り出していることを指摘していた。この、「対話」という言葉から連想されたのが、とある逗子の居酒屋である。私は一度も入店したことがなかったが、店内は毎日にぎわっており、2、3組のグループが盛んにコミュニケーションをとっている様子が印象的であった。人の交流が盛んな居酒屋は、逗子市の低い自殺率と対話の関係性を明らかにするにあたり、逗子の会話規範をとらえることのできる絶好の観察スポットであるといえるだろう。

これを踏まえ、逗子のとある居酒屋でのコミュニケーション観察を通して、逗子の自殺率低下に貢献している文化規範を明らかにすることを目的として研究を行う。

2.研究方法

本稿では逗子の居酒屋で生じる人々の対話に着目し、自殺希少地域にみられる対話の特徴と照らし合わせながら逗子の対話規範を明らかにする。

具体的な研究手順は以下のとおりである。はじめに、3章で紹介する森川の著書の内容から、自殺希少地域に多くみられる特徴をまとめる。次に、逗子の立ち飲み酒場を観察し、3章で明らかにした自殺希少地域の文化規範と観察結果を照らし合わせ、自殺希少地域でみられる特徴が逗子の人々の対話にどのような形で表れているかを考察する。この時、書籍で紹介された自殺希少地域の特徴に当てはまらなかったり、疑問に感じたりした観察事例については、スピノザの「エチカ」の考え方をもとに別途考察する。エチカの概念を参考にした理由は5章で説明する。最後に、これらの考察を踏まえて逗子の人々の対話に関する文化規範をまとめる。

3.現場観察前の参考文献

文献名:森川すいめい ,2016 ,「この島の人々は、人の話を聞かない」,青土社

この本では、精神科医の森川が日本国内の自殺率が極めて低い5つの町でフィールドワークを行い、共通する特徴と低い自殺率の関係性が考察されている。森川によると、自殺希少地域の人々は対話に慣れており、対話に応じて自分の行動を工夫することに慣れている。地域ごとに直面する困難の内容が異なるため、地域住民の問題に対する対応方法は異なる。しかし、どの自殺希少地域の住民も対話力が高いという点で共通している。また、「生きやすさ」を得るための工夫である自殺希少地域にみられる特徴には、精神疾患の治療の場で、対話を通して患者のニーズを引き出す際に使われる「オープンダイアローグ」という手法の原則と似た点がみられる。オープンダイアローグの7原則と、森川が見出した自殺希少地域にみられる特徴は以下の通りである。
(各項目の前者が原則、…より後は対応する自殺希少地域の特徴例)

  1. 即時に助ける…困っている人がいたらすぐ助ける

  2. 社会的関係の視点を持つ…多くの人間と程よいかかわりを持っている

  3. 臨機応変に行動する…意思決定を現場で行う

  4. 責任を持ってかかわる…困っている人を見ると見て見ぬ振りができない人たちである

  5. 心理的連続性…解決するまで関わり続ける

  6. 寛容性…なるようになる、なるようにしかならないという前提の共有

  7. 対話主義…相手は変えられないという前提の下で対話をし、自分の行動を工夫する

自殺希少地域と居酒屋は、どちらも対話が盛んに行われているという点で共通している。そのため、自殺希少地域で見いだされたオープンダイアローグの原則類似性は、対話という側面を通して居酒屋にも共通点が存在する可能性があると考えた。これを踏まえ、4章では上記7項目を現場観察の結果と照らし合わせ、オープンダイアローグ、自殺希少地域、居酒屋の3つの場所で行われる対話にどのような共通点がみられるかを明らかにする。また、これらの特徴に当てはまらず疑問に感じた観察内容は5章で考察する。

※本当はここで現場の基本情報の説明が入るのですが、どうあがいても特定不可避なので飛ばします。

4.エスノグラフィーの結果と考察

(1)オープンダイアローグの7原則との照合

観察対象の居酒屋で生じる対話には、文献で紹介された自殺希少地域と同様にオープンダイアローグの7原則と重なる規範がみられた。4章1節ではエスノグラフィーの事例を4例紹介し、それぞれにみられるオープンダイアローグの原則を挙げ、逗子の文化規範を考察する。なお、1段落目はエスノグラフィーの紹介、2段落目は考察となっている。

観察日D ,H:目の見えない男性のサポート…①即時に助ける、③臨機応変

どちらの日程も、目の不自由な70代男性のAが家に帰るときに、女性店員が腕を組んでサポートしながら駅方面にエスコートする様子が見られた。観察日Hでは、私、A、70代男性のB、40代男性のC、20代女性のD、20代男性のEがテーブル②に集まっていた。Aがポケットにたばこをしまってたばこの火を消したとき、B、C、Dは一斉にAの杖を探しはじめて自然に素早く取り出した。この後、Aはみんなに「杖とって」といった。女性店員が店内の男性店員に「じゃあいってきまーす」と声をかけ、Aをエスコートして店を出た。その後、5分後に女性店員は帰ってきて、Bと「今日は駅前まででいいって。前は家まで送ったのよ。」という会話をしていた。

3名は、Aが自分の杖をとってほしいと言葉で示す前に、タバコの火を消す動作で杖を探し始めた。このテーブルに居合わせたE以外の人々は常連客であるため、普段からAが帰宅前にたばこの後始末をするという動作を学習し、次に杖を求められることを見越して行動していると考えられる。直接杖探しにかかわらなくとも、声掛けなどそれぞれが対話をしながらできることを行う。また、女性店員はどちらの観察日もスムーズにAをエスコートしていたので、必要であれば本来の業務を中断してよいという柔軟な文化規範が存在すると分かった。また、このような臨機応変な行動が当たり前であるからこそ、客と店員はすぐに自分ができるサポートを行えるのかもしれない。

観察日G:ライブのお誘い…②社会的関係の視点を持つ、④責任をもってかかわる、⑤心理的連続性

Bと私は初対面であるにもかかわらず音楽の話で盛り上がり、2週間後に鎌倉で行われる音楽ライブを一緒に見に行くことを提案してくれた。このとき、私が打楽器を演奏したり作曲したりすることをBに話すと、Bは同じ打楽器プレイヤーであり、店内で別の人と話していた60代男性のFと私を、「この子もパーカッションやるんだって」「もしよかったらさ、仲間に入れてあげたいの」と言ってつなげてくれた。観察日Gから1週間後の7月4日、BはLINEでライブ参加確認を送ってきたが、私は金欠だったためBにライブ不参加の連絡をした。しかしその翌日、Bは自身が軽い障がい者であるため、介護者としてライブを見に来ないかとLINEで提案を送ってきた。交通費とチケット代を払ってくれるとのことだったので私はライブ参加を決めた。

Fはもともとカウンター②で40代女性と話していたが、Bに促されてテーブル①にいる私たちと会話を始めた。BとFは、店内における自身と他人のつながりがテーブル内にとどまるものではなく、店内という比較的大きな社会の一部として自身と会話相手をとらえている。そのため、客のつながりが容易に広がりやすい。また、Bは私の音楽経歴を聞くと、私から積極的にライブ参加の連絡をしなかったにもかかわらず、複数回のLINEを通して自ら積極的にライブにさそってくれた。Bはただ一度の私との音楽の会話から私の音楽への興味をくみ取り、実際に寄り屋からつながる音楽の輪に私を入れるところまで実践してくれたのである。このように、他人の興味を深く尊重し、その人の興味をサポートできることがあれば責任をもってほったらかしにせずにサポートするという規範があるのかもしれない。

観察日E:怒られない犬、冷静にみられる飼い主…⑥寛容性

 テーブル②で突然40代女性が「うわあああああああ!!!」と言いながら手を大きく動かした。見ると、女性がいたところの地面の近くで虫がくるくると飛び回っている。女性は慌てた声を上げながら腕をバタバタ動かして虫を払おうとして、少しすると元いた位置に戻り、地面をガシガシ踏みつけた。男性2人も虫の方を見ているが落ち着いていて、それぞれの立ち位置から一歩も動かず「大丈夫だと思うよ」とぼんやり言った。しばらくして犬が「ワンっ」と上を向いて2.3回ほど吠えた。私の近所では犬が吠えると飼い主が怒る時が多いが、とくに女性は怒ってなかったと思う。男性2人が優しく微笑みながら犬を見つめている。

男性は女性のイレギュラーな動きに対峙したとき、おこったり一緒に驚いたりせず、通常通りふるまうことで女性の行動を受け入れることを示し、女性が落ち着けるように立ち振る舞ったのかもしれない。また、男性はもともと落ち着いた性格で、自分と女性の両方が生きやすい環境を作るために通常通りふるまったのかもしれない。この姿勢は人対人だけでなく、飼い犬が相手の場合も適用されるようだ。これは、逗子の人々がイレギュラーな状況にある程度慣れていると同時に、吠えるときは吠えるから仕方がないという割り切った認識、それを互いに許容する寛容さなど、様々な要因が重なってこそ実現した行動であると考えられる。

観察日G:ナンパではなく対話の試み…⑦対話主義

初めて入店した日、私はテーブル①で40代男性のG、I、30代男性のH、Bに声をかけられて交流していた。彼らは私と途切れることなく会話をし、Gは「個々の人はみんな話しかけるけど、全然ナンパされてる感じしないでしょ?」と言った。私は「うん、全く」と答えた。

これは事実である。理由はおそらく会話でとてもうまいキャッチボールが発生するからである。この日、Iと私はジェンダーに関する話題を話したが、4分ほどそれぞれのジェンダーと経験について「質問」を交えて会話した。ただ自分のことを話すのではなく、相手のことを知る態度を質問という行動で分かりやすく示し、互いに質問の内容を発展させた。質問は、あなたの話を聞きたいという態度と、話題を待つのではなく提供するという2つの効果を示し、対話を成立させ、相手に対して自分ができる行動を発見することができる。また、この会話の直後Iは突然ベンチでマックのハンバーガーを食べていた小学生男児二人組に話しかけに行った。その後、Iは隣接するマクドナルドでポテトを買い、テーブル①の人々にプレゼントしてくれた。個人がそれぞれの興味を尊重し自由に動くことは、単に会話を切り上げたいという意味を持つのではなく、キャッチボールの対象が会話相手にとどまらず周辺の社会にも向いていると考えられる。こうした広範囲での自由な対話によって、その人が自分にできる行動を見出し、より豊かな交流が生まれるのだと感じた。

このように、逗子の人々は盛んに対話を行っており、無意識であっても7つの原則を駆使しながら話すことでそれぞれが生きやすい空間を作っているのだと考えた。

5.書籍とエスノグラフィーを踏まえた疑問

エスノグラフィーを行う中で7原則に当てはまらない事例が観察されたので、本章で考察する。結論から述べると、その正体は「自分自身の尊重」という観念で、森川の書籍で紹介された自殺希少地域には顕著に表れなかった逗子特有の対話観念であると解釈した。また、「自分自身の尊重」という観念は、「善い行動をすること」という前提と、「対話相手との距離感調整」によって維持されているのだと分かった。こうした特徴は、私が逗子を初めて観察したときに感じた逗子の人々の冷たさに隠れた文化規範であった。

これらの観念は、國分巧一朗の「はじめてのスピノザ」という書籍を参考にした。本書はスピノザの著書である「エチカ」の概要を國分が要約し、初心者でもわかりやすいようにまとめたものである。スピノザは、デカルトとともに近代哲学の1つの潮流を生み出した17世紀の哲学者である。エチカの考え方の根源には今生きている場所でどのように住み、どのように生きていくかという問いがある。エチカ、自殺希少地域、逗子の人々には、より生きやすい環境を追求するという点で似ていると感じたため、今回の分析に用いることとした。

以下、7つの原則にうまく当てはまらなかった観察事例を1例2日分紹介し、私が感じた違和感をもとにエチカの観点から分析を行い、逗子の特有の対話に関する文化規範を明らかにする。なお、1段落目はエスノグラフィーの紹介、2段落目は私が感じた疑問点、3段落目はエチカの視点を用いた考察となっている。

〇パーカッション奏者Fとライブの出来事

観察日G:何物でもないF…組み合わせとしての善悪、善の尊重

BがFと私を打楽器の話題でつなげてくれた時、BはFとそのバンドを「Fさんはね、全国区の人だから」とほめたが、Fは「いやいやいや、それ以前に自分は何者でもないから、楽しくやってるだけで…」と返した。怒ったり不満を示したりするような様子ではなく、自然な口調で言っていた。また、ライブに行ってみたい旨を伝えるとSは「あー!いいよ!おいでよ!」と答え、ラインを交換した。その時Fは、「これで情報を送るけど、興味ないのはいーやーって無視しちゃっていいから。そうじゃないとやってけないから。」といった。

会話から察するにFはある程度打楽器奏者としてのキャリアがあり、それなりに楽器の腕前や自分の価値に自信を持っていてもおかしくない。しかし、なぜFは「何物でもない」という言葉を流れるように発し、興味を持たなくてもよいと話したのだろうか。楽器奏者はライブに人を呼ばなければならないはずなのに、なぜ「絶対来てね」とは言わなかったのだろうか。

この言葉を読み解くために有効な考え方として、エチカに登場する「組み合わせとしての善悪」に注目した。スピノザは、自然界にそれ自体として善いものや悪いものは存在しないが、組み合わせによってそれぞれにとって善いものと悪いものが生じると考えた。私、B、Fは音楽が好きという点で一見同じように見えるが、音楽には色々なジャンルがある上に、鑑賞するときの私たちの感情によって曲の印象は変わる。そのため、Fは私がライブの演奏に満足できるかはわからない前提を踏まえて話を進めたのである。加えてエチカには、善を「その人の活動能力を高めるもの」と定義し、何かを強制することを「その人の本質を踏みにじること」と定義した。Fは私がライブへの興味を示したときにそれを肯定する言葉を発していたのでライブに来てくれたらうれしいと感じるだろう。同時に、「絶対来てね」などの強制的で相手の本質を踏みにじる言葉は使わず、ライブで演奏する音楽が私と組み合わせとして合うかわからないという前提を共有し、観客の私が善いと思える余地を残してくれていたのだと気づいた。また、同時にFはこれらの言葉を通し、自分に合わない音楽性や価値観を持った人を遠ざけ、自分にとっても生きやすい環境整備をしたのだと感じた。

観察日I:共鳴するパーカッション…必然性への従事、能動的な交流

ライブハウスで行われたファミリーライブにて。観察日GでFは私に打楽器を一緒に演奏しないか提案してくれていたため、私は2部の最後の3曲にボンゴ(手でたたく小さい太鼓)とタンバリンで参加した。Fは私の右隣でコンガ(手でたたく縦長の太鼓)を担当した。曲の初め私、私は周りのメンバーとアイコンタクトをしながら基本のリズムを叩いていた。Fもサポートするように観察日Gと同じ真顔でこちらを見ながらたたいていた。2曲目に入ると私は楽しくなって足と全身を使ってリズムをとり、時折下からあおるようにFを見た。するとFは目を細めてものすごい笑顔で楽しそうに演奏していた。今まで見たことのない予想外の笑顔だった。後半は場のノリでバトルのように交互に叩くパートが発生し、Fは目と口を大きく開けて夢中になってコンガをたたき、私もそれに乗ってボンゴをたたいた。

正直驚いた。私なぜFと私はほぼ初対面にもかかわらず打楽器を通して共鳴できたのだろうか。は打楽器のブランクが3年ほどあったが、コンガをたたくFの様子は本当に楽しそうだったし、私も自然とボンゴのたたき方を思い出して本能でたたいていた。自然にリズムのやり取りをし、言葉を交わさず、視線、動き、音だけで相手の感情が伝わり、対話が成立する様子は、共鳴と表現するのがふさわしいだろう。

スピノザは、「必然性に従うことこそ自由である」と説いた。ここでは必然性について、その人に与えられた身体や精神の条件と定義されている。スピノザはこの説について魚で例えて説明している。魚は水中でしか生きることができないが、魚が自由になることは水か逃れることではなく、水中という条件の中で生きるという必然性に従ってうまく生きることである。私とSはライブハウスという音楽をする場の制約にのっとり、それぞれが楽器演奏という必然性に没頭した。はじめは後半ほど白熱した雰囲気はなかったので、あくまでそれぞれの音楽に集中していたと考えられる。スピノザは、自らの力を表現する状態を「能動」と呼んでおり、演奏開始直後は私もSもこの状態であった。この時点でそれぞれが善いと思うことを互いに実践していたため、私とSは後半にかけてそれぞれの必然性と行動の組み合わせが善いものであると理解し、次第に対話に移行して打楽器演奏で対話を始めたのだと思う。演奏は臨機応変にソロを挟んで展開され、少しミスしても寛容性の下で演奏がすぐ元のリズムに戻った。このようにして、私は楽器演奏にもオープンダイアローグの7原則が適用される場合があることを知った。

これらの事例をまとめると、逗子には「善の尊重」と「距離の調整」という文化規範が存在し、それらを満たしたうえでオープンダイアローグにみられる7つの規範を駆使して対話を行っていることに気づいた。

こうした規範は逗子という町の規模にもあっていると感じる。森川の書籍で紹介された自殺希少地域は徳島や青森の村が中心だが、逗子はサラリーマンなど都会的な生活スタイルを送る人が多い。普段から現代的な会社で働いている人が多いため、人との交流が多いサービス業や部署のチームワークを常に求められている人も少なくない。つまり、逗子の人々は労働で人疲れしている可能性があり、さらに仕事以外での連帯と対話を求めるのは難しい場合がある。そのため、逗子の人々が対話の一環として距離をとるという行動は、日ごろから人との距離が近く疲弊している可能性がある相手の背景を尊重し、善い環境を与える手段として有効であると考えられる。そのうえで、自身と相手の両者にとって善い行動が判明した時は、それをやりたいという必然的な感情に従い、その行動を通して対話を行うことができるのである。こうした調整と没頭を通して、逗子の人々は生きやすい環境を確保しているのだと理解した。

6.まとめ

逗子の人々の対話には、「自分自身の尊重」という観念が前提として存在し、それは「善い行動をすること」という前提と、「対話相手との距離感調整」によって維持されているのだと分かった。その前提が守られたうえで逗子の人々は、自殺希少地域と同様に7つの原則を駆使しながら対話を行い、自分と相手にとって生きやすい環境を作り出している。

國分はスピノザの考え方について、「現代社会を生きる私たちとは異なるOS(前提)の下で成り立っているが、ありえたかもしれないもう一つの近代」と表現をしている。逗子の文化規範にはスピノザの理論が当てはまる箇所が複数あったように、逗子の人々は現代社会の忙しく、論破の形で相手の意見をねじ伏せてしまうデカルト的な考え方で、自分を尊重できない現状から一歩引いた行動をしている。自分と相手の気持ちを尊重しつつ距離を開けることもあるが、相手と自分にとって善いことが合致すれば一気に距離を詰め、互いの本能から行動してより深い対話をする。逗子の人々は現代的な都市の社会システムに組み込まれながらも、距離感の工夫を通して対話をするのが本当にうまいと感じた。

今後の課題は、逗子の人々とネイビーの関係について考察することである。ネイビーとは、逗子の地理と寄り屋に米軍関係者が来ることから察するに逗子での米海軍関係者の通称であると推測される。観察日Jでほかの人の会話を聞いていた時、ここ3日間でネイビーが関与する暴行事件やけんか騒ぎが起き、あちこちでパトカーの音がするという話が聞こえた。また、米軍ベース内の治外法権など、米軍ベース周辺の特殊な法律事情が存在するようだ。もちろん事件を起こすネイビーは一部であり、観察日Jに寄り屋で出会ったような子供二人を連れて会話したネイビーもいる。今回は調べきれなかったが、ネイビーにかかわる歴史は逗子の人々の対話力の高さにも影響を与えている可能性があるため、調べてみたい。

7.参考文献

・神奈川県警察 ,2021 ,警察統計(暫定値)の月別集計(厚生労働省「地域における自殺の基礎資料」による)
・國分巧一朗 ,2020 ,「はじめてのスピノザ 自由へのエチカ」 ,講談社現代新書
・森川すいめい ,2016 ,「その島のひとたちは、ひとの話をきかない」,青土社


おしまい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?