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インスタグラムを始めてみた

この文章は誰に読んでもらうでもないもの

2020年
1月の後半に大きな手術をした。心臓の手術で、豚の生体弁と、最新の機械弁、その他にもゴアテックスの膜で覆ったりと、結構な大手術だった。
大人になってから初めて母の前で涙が溢れて、1日1日がすごく長く感じたリハビリ生活だった。
結局2月末ぐらいまで2ヶ月弱入院していて、すっかり弱っていたのに、今こうしてGWで振り返ってみると、胸の傷とカチカチと聞こえる人工弁の音だけしかその痕跡はない。
この前試しに少し小走りになってみたが、全然走れた。疲れが少なくて、あれ?もしかしてこれが手術の成果なのか?と思い、タイミングが合えばランニングでも始めてみようかと思っている。(なかなか重い腰が上がらない。腰も手術して貰えば良かったか)

とにかく、今年はそんな大手術があって、しかも退院する頃には東京はコロナ一色。広告業界という世の中の動きがダイレクトアタックする業界にいるため、仕事はすっかり落ち着いて、しかもテレワーク。

最初こそダラダラと日々を過ごし、そのうち何もしていない自分に焦ったりしていたが、今はすっかり慣れてきて、その上新しい趣味がいっぱいできたのでそれをおうちで楽しんでいる。
何なら少し落ち着きを取り戻している現状を見て、これからはもっと行きたいところをストックしているのでワクワクしつつも、まだ観ようと思って見ていない映画がたまってたり、もっと本読めば良かったなとか、終わってもない終わりを悲しんでいる。

手術が終わってから多くのステイホームの人々がそうであるように、インテリアと料理にはまっている。
今まで服に使っていたお金がすっかり本やレコードなんかに使うようになったので、何となく手持ちぶたさな時間を消費するためにインスタも紹介アカウントと料理アカウントを作ってみた。

1日1個レコードや本を投稿しているmemoandnoteと、作るたびにポツポツとあげているolenogohan(我ながらナイスなIDだ)

不思議なのは料理アカウントの方が伸びがいい。
何となく素直にフォロワーが増える印象がある。
やはり食という普遍の欲求は承認欲求の塊みたいな紹介アカウントよりも抵抗感がないのでフォローできるのかもしれない。

結局のところ自己顕示欲求の解消でしょと思われるだろうが、まさにその通りであり、少し気恥ずかしいと同時に、しかしなぜ今までこれをやってこなかったんだろうという思いもある。

今まで何となく、インスタグラマーとか写真を撮ってSNSにあげる人のことを小馬鹿にしてきたが、いざ自分がその立場に立ってみると非常に楽しい。
知らない人からのいいねのリアクションは素直に嬉しいし、なぜか今、いいねを押しまくるのにハマっている。
最初はいいねを押すことが何となく負けたみたいな?何だろう、あなたの価値を認めたわけではないんですよ?みたいなテンションだったか、いざガンガン押すようにしてみたところ、
あなたもいいね、これもいいね。あれもいいよねと本当にいいねと思うのものの範囲が増えてきた。
おかげで家具も欲しけりゃ本も欲しい、レコードも欲しけりゃ花も欲しいと、すっかり『丁寧な暮らし』になっている。

しかもそれをやらなきゃいけないってわけでもなく素直に勧められているところがめちゃくちゃいいんだけど、この感覚共有できるかな?やらされてるわけじゃないんだよってこと。
あと、自分を動かす一つのきっかけにもなるしとっても始めて良かったと思う。(ポケモンGOで散歩が趣味になるみたいなもんかな)

手術する前はバタバタと忙しく、ハッとしたときの虚無感が怖くて友達と夜遅くからでも飲みに行っていたが、今は1人でも楽しめるものがあるし、季節の変わり目で花や食材が変わることで新しい出会いがあると知れたし、何だったら朝天気がいいだけでもいい気分になれる。
11時まで目を覚まさないとか普通だったのに、最近は7時ぐらいには目が覚めて、午前中という時間はこんなにも長かったのか!って驚いてる。

今回コロナで家にいて、そういった発見ができたのは純粋に僕にとってはプラスになった。また喧騒が始まるだろうが、このベースがあることで、いろんな新しい視線で世界が見れると思うと少しワクワクする。

この何とも言えない時間が残り幾らかはわからないが、今まで挑戦していなかったことを改めてトライしてみようと思う。

まずは、映画を見て

ランニングでも始めようかな???

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