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知ってもらいたい新型コロナに向き合う心

こんばんは。絵本「みんなとおなじくできないよ」や「ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ」の作者で、小児科医のしょーたです。

今日は「知ってもらいたい新型コロナに向き合う心」というテーマで短くお話ししたいと思います。

僕は医師として、クリニックだったり、地域の急病診療所で、発熱患者さんたちに対して新型コロナウィルスの検査をしています。そんな新型コロナウィルス感染症が令和5年5月8日から「5類感染症」に移行しました。あなたの周りでは、何か変わりましたか?マスクを外す機会が増えましたか?外出する機会が増えたりしましたか?

社会がこの感染症を5類感染症に分類したとしても、新型コロナウィルス自体が変化したわけではありません。ですから、医療者は新型コロナに感染しても重症化しないようにワクチンを定期的に接種しています。発熱患者さんの診療をする際にも、マスクを含めた感染防護の対策をしています。

そのほかに医療者が配慮していることとしては、適切な医療機関の利用です。例えば、僕は地域のクリニックに勤務しています。クリニックですから患者さんは入院はできません。例えば、酸素投与が必要な患者さんであれば入院する必要があるために、地域の総合病院にご紹介するわけです。でも、そういった病院同士の連携をしていく中で注意しているのが、入院機能がある総合病院に負担をかけないということです。

総合病院には入院するべき患者さんを診てもらう。地域のクリニックは軽症者を担当する。そういった役割分担を意識しています。総合病院にご紹介しても、総合病院側の判断で入院にならないケースもあって、そんな時には「もう少しクリニックで診た方が総合病院にご迷惑にならなかったかな」と思うこともあるものです。

そんな風に新型コロナウィルスと共存する時代だからこそ、医療者はあらゆる方面に配慮しています。自分や家族に対して、患者さんに対して、同じ医療者に対して、色々な気遣いをしながら生活しています。新型コロナが5類に分類されたとしても、まだまだ飲み会を自粛している医療者もいるでしょう。

そんな医療者の家族同士で話をしていると、こんなコメントを聞くことがあります。「子どもが最近こんな質問をしてきたんです。『病院で働いている人は頑張ってコロナと戦っているのに、病院の人がコロナに感染したり、病院の中でコロナが流行ったら、なんで病院の人が悪者扱いされることがあるの?』、そんな質問を子どもがしてくるんです」、そういったコメントです。

あなたはどう思いますか?コロナ感染症と戦う国民の中に、誰か悪者がいるんでしょうか?戦うべき相手は国民同士ではなくて、新型コロナウィルスですよね。

医療現場では、この状況は決して珍しくありません。どんな状況かというと、あるAという問題があって、そもそもAという問題が悪いにも関わらず、その問題を解決しようとする者同士がお互いを攻め合うという構図です。

例えば、障がいを考えてましょう。足に麻痺がある患者さんの支援をする中で、車椅子を用意したり、階段ではなくスロープを用意したり、支援環境を整えることがあります。そんな支援調整の中で、時々支援者同士、例えば家族同士が「あなたの手伝いが足りない」とか、「あなたがもっとこうすればいい」とか、いさかいが起こることもあるものです。そんな風に障がいに向き合う中で、支援者同士の混乱が生まれることがあります。

でも、そんな時に確認するのは、「課題は障がいである」ことだったり、各支援者の「障がいのある人に協力したい」という共通した気持ちです。みんな最初からお互いを罵り合いたいわけではありません。でも、いつの間にか心に余裕がなくなって、気持ちが違った方向に逸れてしまうものです。

ですから、今このコロナ禍であらためて確認したいのは、今国民が戦っているのは新型コロナウィルスであって、国民同士ではないということです。国民全体の心の余裕のなさを感じるからこそ、今一度そのことを確認したいと思います。

今回こんなお話をしているのは、先日小児科医として働いている時にこんなお話を聞いたからでした。日頃から子どもたちに関わる仕事をしている方が新型コロナにかかったんですね。その方は新型コロナにかかっている知り合いの人と接触したために、その人本人も新型コロナにかかったということでした。

子どもを支援する立場の自分が新型コロナにかかってしまい、自分が接触していた子どもたちにうつしてしまったらどうしようと、その人は気にされていました。職場や子どもの親御さんから責められるかもしれない、そんなことを心配されていたんですね。

でも、社会が新型コロナに対して5類感染症として対応することを決めた以上、社会生活の中でうつし合うことはやむを得ない。もうそういう段階にあると思います。新型コロナを誰が誰にうつしたといった議論を現場で行っていても、社会がそういう状況を選択したのだからやむを得ないところがある。そう思います。新型コロナウィルス感染症という問題に対して、それに対抗する人たち同士がお互いを責め合っても何の解決にもならない。

そんな社会状況だからこそ、ワクチンを接種して重症化の予防を図りながら、感染症にかかることをある程度許容する心が必要と感じています。人類は今、そうやってこの感染症と戦い続けているんです。

新型コロナに戦う人同士がお互いに責め合う心の余裕のなさを生み出している状況は、決してコロナ感染ばかりが原因ではないと思います。その他にも、賃金がなかなか改善しない日本全体の貧困化による国民の心の余裕のなさもあるのだろうと理解しています。ですから、今起きているこの問題は、今始まった問題ではないのだと思います。過去からの積み重ねの結果が、今の国民の心を生み出している。経済的に逼迫しつつある日本で、国民の心の余裕が薄れつつある中で、コロナ禍という課題に直面したということなのだろうと思います。

そんな社会状況を理解したうえで、今の時代に即した生き方を模索していく必要があります。子どもの学校の利用の仕方、大人の働き方、そういった全ての生き方を今の時代に合わしていくことで、心の余裕を取り戻したいものです。

今日は「知ってもらいたい新型コロナに向き合う心」というテーマでお話ししました。

だいじょうぶ。
まあ、なんとかなりますよ。
湯浅正太
小児科専門医、小児神経専門医、てんかん専門医。一般社団法人Yukuri-te(ゆくりて:https://yukurite.jp/)代表理事。イーズファミリークリニック本八幡 院長。作家。著書に『みんなとおなじくできないよ』(日本図書センター)、『ものがたりで考える 医師のためのリベラルアーツ』(メジカルビュー社)がある。

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