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環境調整:悪いものを排除できると思わない。安全なものはない。

社会の秩序を守る為に、排除しなければならないものはあると思いますが、「悪」を排除できるとは思わない事だと思います。

人の体で例えるの極端ですが、人の体は世の中の縮図と勝手に思っております。

安全か危険は、科学の力で一定の数値は求められますが、現在の学問ではわからない、と言うのが真実ではないだろうか。と。

私たちの体の中にも「一見」悪とされる菌やウィルスは多く存在しており、そのお陰で自己免疫が活性化され細胞が活性化しています。つまり悪であり危険な物質との共存です。
悪い物質は化学反応によって良いものにも悪いものにもなる。
切り取るタイミング、フェーズで結果は変わります。

世の中もそうですが、善と悪のバランスが6:4か7:3位が良いのではないかとも思います。体内も、悪玉菌やウィルスが多くなり過ぎた時、私達の脳が犯され機能不全になります。世の中も同様に、悪しきことが善を上回ってしまったとき、秩序が崩れていくと思います。(実際今が何対何なのか自分でも分かりませんが…。)

人間はそもそもリスクベネフィット型です。

ベネフィットの為にリスクを背負って生き抜いています。

車の運転(交通事故のリスク)

料理(包丁で指を切るリスク)

山登り(遭難のリスク)

スポーツ(怪我のリスク)

ワクチン、、、

「安全」学問では測れず、わかりません。

社会、個人が「許容できるか」の判断と「許容するか」の選択だと思います。

今の所、

善き事と思われる事も

悪しき事と思われる事も

最終判断を急ぐことはできないと思います。

私たちは、どんな事象も「許容するか」「許容できるか」、しないか、できないか

を常に自分に問い、他者と向き合い、他者を思い、検討して答えを出す事の繰り返しなのかなと思います。

同じ世界にいても、受け入れる人がいて、拒否する人がいる

ぼんやりした浅薄な考えだと本能によって利己的になってしまい、危険な道を歩いてしまっている事もあります。私たちはダークサイドとライトサイドに分かれています。

どちらが良い悪いの話ではありません。お互いの存在が、生きる上での存在意義となっています。時に合流しぶつかり合い、行き来してお互いを高め合っています。

善悪の定義を決める事を急ぐ必要もないし、安易にする事もできない。

しかし、短い人生だから急ぎたくなりますよね。

不思議な事に、どんな状態でいても人間は、「より良くなりたい」と思う生きものだそうです。

なぜそう思い

何が良い人生なのか、

それを苦しみ考え抜いた人たちがいる世界は

どちらなのか。

私にとってこの世で一番神秘的なものは、人体です。人の体は体内で化学反応が起きており、様々な作用によって変化し続けている美しいものと感じます。

世の中も人体で起こっていることの縮図だと思います。

だからこそ、環境調整は先ず、心と体から。このセルフコントロールができるようになれば、世の中の事もまた許容できることが多く、自信を持って行動できることが増えると思います。

そしてこれが大きな一歩です。✌︎

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