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子宮からの出血で命の危険を感じた話③

子宮動脈塞栓術(UAE)を終えた途端、強めの下腹部痛を感じた。重い生理痛のような感覚。

「なんか、お腹が痛いんですけど…」

思わず、近くにいた看護師さんに伝える。

「病室に移ったら、痛み止めがあるからね~」

(いますぐ痛み止めください~)と心で叫びつつ、救命救急病棟の病室へ移動。移動している途中で、少しだけ夫と顔を合わせることができた。

これから入院する救命救急病棟はスマホが使えず、面会も全面禁止。しばらく会えなくなるので、私は入院中気になることを伝えた。

夫と別れて病室に入ると、今度は顔が腫れぼったく目が開きにくい。看護師さんに見てもらうと、首筋や足にも紅斑ができていることがわかった。輸血か造影剤のアレルギー反応とのこと。ほぼ同時に入れたので、原因がどちらかはわからない。注射を打ってもらう。

「アナフィラキシーショックの患者さんがよく運ばれてくるから、私たちアレルギーは得意分野なんですよ~」と看護師さんの頼もしい言葉に救われる。

痛み止めも打ってもらったおかげで、下腹部痛もおさまってきた。ふくらはぎにはエコノミー症候群を予防するための、マッサージ器を付けられる。ひととおり処置が終わって、時刻は23時を回っていたと思う。「やっと一息。寝れるかな」と思ったけれど、心電図のモニター音?が気になって入院初日は寝れなかった。

夜中に横になっていると、今度は手と足が痺れてきた。巡回に来てくれた先生に伝えると、「痺れる程度なら問題ないですよ。触っても感覚がなかったりろれつが回らなかったりすると心筋梗塞や脳梗塞の恐れもあるので、すぐに教えてください」といわれ、震える。一晩中、手足をグーパーグーパーしたり口を動かしたりしながら過ごした。看護師さんも、定期的に様子を見に来てくれた。

そうして救命救急病棟の夜が明け、翌朝には一般病棟に移ることに。その後の経過は良好で、無事に退院することができた。

今回の体験をとおして感じたことは、「驚くほど死は身近だった」ということ。医療スタッフの皆様や家族のおかげで、生き延びられて、元の生活に戻れたことに感謝。子宮動脈塞栓術(UAE)で血流が滞った子宮と二人三脚で、妊娠・出産できるのか正直不安はある。でも「こうやって悩めるのも生きてるからこそ」と思って、前を向きたい。



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