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絲原(いとはら)記念館

 現在住んでいる安来市には日立金属という山陰有数の企業があり、ここの安来鋼(やすぎはがね)は有名。もちろん現在は鋼だけの生産ではなく、金属全般の金属加工をされている。市内にはこの会社に勤務する人が数多く居住し関連の会社もある、企業城下町といえる。
  市のイベントや表彰の時の記念品にはここの商品=包丁や小刀が採用されていて我が家でも頂き愛用している。確かに地元産の商品を採用するのには意味も価値もあるが、“切れ味”がよくて鋭いだけに“あなたを表彰するのは一回きりです”バッサリ、みたいなうがった印象をひそかに持つ。ごめんなさい(^◇^)話は横道に逸れたが、安来は古代から中国山地で砂鉄がとれ、その積出港が安来港だったので現在でも鋼と縁が深いということ。
 中国山地は「たたらのまほろば」と言われる鉄の生産地があったり、世界遺産になった石見銀山や出雲で加工されているめのうなど多種にわたる鉱物資源の宝庫。特に砂鉄から鉄を産出し江戸時代から大正時代までは鉄生産において日本中でも一大勢力だった、と知るとそのルーツを求めてちょっと出かけてみたいとなった。竹下元首相の出身地に近い掛合の田部家、広島県に近い可部の櫻井家、そして今回訪ねた絲原家、などなど島根県では“たたらの歴史街道”と名づけ見学施設を作っています。
 絲原記念館の場所は島根県の奥出雲、国道142号線と314号線が交差し、宍道から備後落合まで走るJR木次線の出雲三成駅が至近駅。このルートは鉄道ファンなら知っておられるスイッチバック式の線路(おろちループ)をトロッコ列車が紅葉時期に走り、松本清張の『砂の器』の舞台になったそろばん作りの亀嵩(かめだけ)があsる。ということは大変ローカルな山の中のお屋敷と言える。15,010平方メートルの広さで、3つの展示室を持つ記念館と庭園・居宅とに分かれている。記念館の第一展示室は「たたら製鉄コーナー」、第二展示室は「美術工芸品コーナー」、第三展示室は「茶道具・松江の殿様をもてなすための食器類」が収められている。たたら製鉄コーナーはたたら製鉄のプロセスが立体模型で作られていて理解できる。現在のように建屋がある工場と違い作業環境は良好とは言えない。人手が中心で体力勝負の場面が多々みられる。絲原家は“鉄師頭取”と言われた家だが、そのマネジメント力やリーダーシップが問われたことがよくわかる。
 代々伝わる茶道具や食器などはさながら「奥出雲の美-江戸時代-」みたいな美術展の様相。鉄の生産によっていかに富と権力を手に入れたかも理解できる。松江の城から松平の殿様がやってくると屋敷内に案内するための“御成門”。自然林をアレンジした出雲流の日本庭園は出雲地方の邸宅でみかける庭の手本になったような美しさ。松本清張の『砂の器』は彼が太平洋戦争中に出雲に疎開したので土地の状況を知り主人公が幼少時代を亀嵩で暮らした想定になったが、捜査のためにこの地を訪れた刑事は、通された家の庭を風雅と思い、案内された茶室での薄茶のもてなしや出された茶道具に驚くが、実際に絲原記念館を訪れればこの地ではそう珍しいことではないとわかる。今回のもう一つの発見は小説、映画やテレビドラマにもなった大江賢次作「絶唱」のモデルだったこと。実際には絲原家ではなく園田家として描いた小説を読んだことも映画をみたこともありませんが3回も映画化され、人々の涙をさそったことを知った。
 豊富な鉱物資源は富も名誉も権力もたらしたけれど、悲恋も生んだ・・・。鉄だ、金銀銅だ、めのうだと改めて考えると三種の神器さえも島根県だけで作ることができるけれど、その神器あるがゆえに苦しんでしまう千代田1丁目1番地のお宅を思い出したり・・・。実に複雑な気分でした。

ゆうこの山陰便り NO.55



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