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非二元から純粋な非二元へ。 「この世界は幻想」のその先があった。③

こちらの続きです。


ゲイリーさんの本のシリーズには、コースの理論が対話形式の分かりやすい口語体で書かれています。

たとえばこんな感じ↓

アーテン:人々は初め、「コース」が個々人に語りかけていると思う。自分たちが個々人だと思っているからね。
だが「コース」が呼びかけている「あなた」とは、きみたちの分裂したかに見える心、間違った教師ではなく正しい教師に耳を傾けることを選択する必要がある心なんだよ。

『不死というあなたの現実』p.81


私も「個々人としての私」に言われてるのだと思っていました^^; なるほどそうだったのか〜!と納得したことの一つでした。ゲイリーさんの本に出会わなければあと10年は誤解していたかもしれません(笑)

同じ本からもう一箇所ご紹介します。

ゲイリー:(コースのテキスト第21章序文「投影が知覚を作り出す。あなたに見えている世界は、あなた自身がそこに与えたものであり、それ以上のものではない。しかし、それ以上ではないとはいえ、それ以下でもない。したがって、あなたにとってそれは重要である。それ(見えている世界)はあなたの心の状態を証するものであり、内的状況の外的映像である」という部分を読んで…)
いや、こんなこと考えたこともなかったよ。ぼくが見ているものは、ぼくが作り出したってこと?

パーサ:そういうことよ、兄弟。でも、そんなふうに感じられないのは大々的な否認があるから。あなたの身体も含め、あなたが見ているすべての身体もそうよ。身体の目的は幻想をリアル(現実)に見せることなの。だいたい身体も幻想の一部だから、身体は幻想がアンリアル(非現実)だなんて教えてくれっこないわね。
身体も投影によって(真の現実である天国から)離れようという決断によってかたちを与えられたのだし、その決断がそもそもすべての幻想を作り出したんですからね。
あなたがたが分離を望んだのは、罪悪感を自分ではなく他者の身体に押し付けて自分の外に、外部に見出したかったから。でも投影がすべての認識のもとだから、原因はすべていまもあなたがたの心にあるし、その心は変えられるのよ。

『不死というあなたの現実』p.85


もともとは神と一つだった私たち自身が分離を望んだということ。
そしてそれが起きたと信じ、強烈な罪悪感や恐れを持ったこと。
それを誰かに投影することで外部に見出したかったこと。。

他にもコースには、私たちが自分では思い出しようがない大切な教えがたくさんあります。

読んでいく内に、この世界であと何万年頑張っても「決して本当の幸せは得られない」ということが分かってきて、本当の問題解決は天国に戻る(天国を思い出す)ことだけだということも腑に落ちていきます。

もちろん学びはこれで終わりではなく、やはり大元のテキスト、ワークブック、マニュアルを読み込んで実践することになります。


私はゲイリーさんの本のおかげでコースが何を言っているかがだんだん分かるようになり、そしてまた自我は本当にこのことを理解させたくないのだということも分かってきました。
(私たちの心がこれを学んだら自我を信じなくなり、自我は消滅してしまいます。自我はいつまでも私たちの気を逸らし続けたいので、外側に様々な問題があるように見せてきます)


問題が数多くあると見なしたいという誘惑は、分離という問題を未解決のままにしておきたいという誘惑である。

奇跡講座 ワークブック編 レッスン79.4:1



だからコースは(誰もが自我と自分が同一化している状態からスタートするので)一度読んで理解できるようなものではなく、

・土台となる理論を学び、

・ワークブックに取り組んで真の赦しを日々の中で実践していき、

・自我の解体が進んだ状態でまた理論の学びを深め、

・さらに深いレベルで実践を続ける…の繰り返し

なのですね。


気が遠くなるような果てしない道に思えますが、学んでいくうちに分かってくるのは、
私たちの心には聖霊という「真実を完璧に覚えている正しい心の部分」があって、それが天国への帰り道を確実に案内してくれるということ。

そして実はその旅は「時間のない天国においてはすでに終わっている」ので、そこへ帰り着くことは決まっているのです。

どれだけ長く感じる道のりであろうと、心強い完璧なガイド(聖霊)と共に歩めるのだと分かっていたら、決して孤独な旅ではありませんね^^




コースの理論を学んでみて(まだ始まったばかりですが)、非二元で言われているようなこと…

「この世界は幻想」
「他人はいない、私もいない」
「ワンネスしかない」
「時間はない」
「起こることは起こる」

といった感覚は、ゴールではなく通過点でしかないということが分かりました。


本当はその先に大事な次のステップがあるのだけど、私たちは「天国の記憶を忘れて分離を選ぶ決断」をしてしまっているので、
(自我と同一化して個人だと思っている)自分一人では決して思い出せなくなっています。

さらに真実を思い出そうとすると自我の防衛機能が働いて、「目覚めに近づいてる!危険!」とブザーを鳴らすようなことを自我はするんですね。(もちろん無意識下なので自覚はできません)


だから一瞥体験や臨死体験で真の現実(天国/ワンネス)をちょびっと垣間見るようなことがあっても、自我が解体されていなければ(無意識の罪悪感や恐れが残っていれば)やがてはリアルに見えるこの世界や肉体に戻ってきて、

「この世界は幻想だからただ楽しめばいいんだ」

「(個別の)魂があって、それが肉体に入って人間体験を楽しんでいるんだ」

「肉体があるから、分離があるから、愛ではない様々なドラマティックな体験や感情も味わえるんだ」→「分離っていいね!」

といった自我の考え方に逸れていってしまうんだな、ということも学びました。

私もここに一時期寄り道しましたが、聖霊の声に耳を傾ける意志を持っていれば必ずまた正しい道へと戻されるのだ、という気づきを得ることができました。
この寄り道を経験したからこそ、これからもたくさんの兄弟たちと赦し合い励まし合っていくことができるのだろうと思います。


つづく。


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