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各国の独特なアクセントで話せる利点は?

昨日は「母の日」だったため、わが家はレストランで夕食を取ることにした。私たちはその道中で、イギリス訛りの英語を話す女性とすれ違った。

その瞬間、私の背筋が凍りついた。
わが家のドイツ人3人が、突如としてイギリス訛りの英語で話し始めたのだ。まだ、その彼女が1mも離れていないうちに…
彼女に聞こえたら、揶揄っていると勘違いされてしまうという気持ちでいっぱいになり、何とかやめさせようとするが、彼らは誰が一番上手にできるかを競い合っていた。

わが家の旦那さんは、いろんな国のアクセントで英語を話すのが得意だ。英語だけでなく、スイス訛り、オーストリア訛り、バイエルン訛りのドイツ語というバージョンもある。
例えば、イタリア人と英語で話していると、いつも間にか彼も同じようなアクセントになって話している。この場合、彼はコントロールしているわけではなく、カメレオンのように、その場の強い音に自動的に変化してしまう。本人はアクセントがうつっていることすら気づいていない。
しかしこれには危険も伴う。揶揄ってると相手が取ってしまう可能性があるのだ。

付き合い始めた当初、20歳すぎの若かった彼は、さまざまなアクセントで話し、私を笑わせてくれていた。きっとこの人と一緒になれば、一生笑って暮らしていけると思ったのだろう。現に20年近く経った今も、私はこの同じネタで笑い続けている。

子どもたちは、そのいろんな国のアクセントを操る父親を見て育ってきた。彼らもまた、トルコ語訛りのブロークンドイツ語などもマスターしているが、12歳の息子はインド訛りの英語、9歳の娘はフランス語訛りの英語が得意である。最近では、父親以上に腕をあげてきた。
先日オンライン上で対戦できる「Fortnite」というゲームで遊んでいた息子。インド人に何か嫌なことを言われたようで、すかさずインド訛りの英語で言い返していた。この行為を良しと判断するかは別として、人生は時に強くでなければいけない時もある。


3人に比べ、私はあまり上手に他のアクセントで話すことはできない。イギリス英語くらいしかできない。
漢字文化で育ってきた日本人の私にとって、耳から言語を習う力が彼らに比べ格段に弱い。私はどちらかというと、耳で聞いたものを、視覚的なものに置き換え、結びつけることで言葉を習得しているように感じる。耳で聞いただけでは覚えることが難しい。
しかしわが家の3人は、聴覚からの吸収部分が大きいように感じる。

日本人でも音楽に長けた人、まだ幼い子どもだと別な話かもしれないが、大人が言語を学ぶ上で、視覚的なサポートは私たち日本人にとって重要度が高いのかもしれない。


さて、いろんなアクセントでドイツ語や英語を話すことができることで、一体どのような利点があるのだろうか?
残念ながら何もならない…
しいて言うなら、独特なアクセントを持つ英語でも問題なく聞きとりができる、フレキシブルなマインドを持つことができる、その程度だろうか。

唯一のメリットといえば、家族の楽しみのひとつということかもしれない。

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