その日、呼吸を始めた

生まれた時のことなんてもちろん覚えているわけはなくて、気が付いたらこの世界で息をし、物を見、声を聞いていた。
両親と妹が一人。父は説明に困るくらい普通のサラリーマンで、母は色んな仕事を転々とする仕事人間。ごく普通の家庭だった。

子供の時の記憶はほとんどない。0歳から小学校に上がるまで、いや、中学校の時のことも、高校生の時のことも、あまり覚えていない。10歳まで住んでいた家の間取りも、高校の時の自分のクラスメイトの顔も、しっかり頑張って思い出そうとしても、わずかな断片しか思い出せない。

記憶力が悪い代わりに、その場その場での頭は働いた。いや、その場その場で頭が働くからこそ、記憶をするということや学習するということを頭が放棄してしまったのかもしれない。自分の頭の回転を運動に例えていうなら、5メートル走なら世界一になれたかもしれないけれど、100メートル走は厳しくて、マラソンだとてんで話にならないといった具合。

好奇心が旺盛で、でもそんな頭だから執着したり、一つのことを考えぬいたりすることはしなかった。その場その場で終結する様な単純なパズル(数独とか)が好きで、何度も何度も繰り返した。学習する訳でもなく、攻略法を編み出す訳でもなく、ただその場その場で脳を少しだけ働かせる行為を心底楽しんでいたんだ。

ある時幼稚園で、公文を習っている同じ組の女の子が得意気な顔をしてみんなに「くく」というものを披露していた。「くく」は「かけざん」のことで、「にさんがろく」は「2が3つあるから2かける3は6」という説明を受けて、初めて知る掛け算というものがおよそどういったものかを理解すると同時に、何と面白いものだろうと知った。

幼稚園の間、母は私があまりにも体が小さいのを心配して(3月生まれなこともあるかもしれないが、同年代で一番背が低く体重も軽かった)体操を習わせてくれていたのだけれど、卒園に際して、小学校でも体操を続けたいかと尋ねられた私は、「そんなことよりも公文に行きたい」と切願した。体操は何も楽しくなかった。毎度毎度言われるがままの動作を繰り返すばかりで、頭を使う訳でもなく、何の楽しみも得られなかった。それよりは一回やっただけの掛け算の方が楽しそうだった。

結局、小学校に行って公文に通うことはなかった。
ただ、この時の私の発言を覚えていた母は、小学校3年生の末に関西では大手の進学塾の入塾テストを受けさせた。

入塾テストの内容は国語・算数・理科・社会の4教科とIQテストだったと思う。結果はというと、4教科の方は満点に近くて、IQは156だった。テスト後しばらくして塾の面談を受け「あなたは天才です!塾に通った方がいい!」という営業トークに気を良くした私は、塾の月謝の高さに顔が引き攣る母の顔を真っ直ぐ見つめて入塾の意思を告げた。学力別に分けられたクラスで、最初に入ったクラスは最も上の特進クラスだった。

結局は、この時が頂点だった。塾に入ってしばらくは新しい環境に心を躍らせたけれど、次第に塾というのはつまらない場所だということに気付いた。そもそも自分は、ちょっと頭を使うことが好きなだけ。新しいものに触れたときは自分なりに色々と考えることができるから好きだっただけ。

学校の授業が好きなわけでもなかった。パッと聞いて、パッと理解して、そのあとは退屈してずっと寝ているだけだった。テストも、国語や算数はその場で解けるし、理科や社会は選択肢をみて何となく「道理に反していないもの」を選べば大体正解だった。

塾の授業はもっと面白くなかった。受験のための勉強はとにかく暗記が主だった。国語は文法の暗記、算数は解法の暗記、理科と社会はとにかく暗記で、自分の思考が付け入る余地もない事実の羅列をただ1時間聞いているばかりの時間に、注意欠陥気味の自分はとても耐えられなかった。

結果、授業はほとんど寝ていて、毎回行われるテストの点はどんどん下がっていった。5年生になって親の送り迎えがなくなるといよいよ登塾拒否となり、週に3回ある塾も週に1回行くか行かないかになっていた。半年ごとに行われるクラス替えでは、毎回降格を味わった。

6年生になって、塾には月に2〜3回しか行かなくなっていた。勉強をする気は全く起きなくて、そもそも家で勉強をするという習慣すらままならなかった。
それでも秋過ぎになると、さすがに母からは受験の意向を聞かれた。地元の中学校は荒れていてあんまり行きたい学校ではなかったし、3年も塾に行ったのだからせっかくだから受験くらいしておくかという気持ちになった。一応毎回模擬試験は受けていて、自分がいけそうな中学校の偏差値というのも大体わかっていた。偏差値が現状にある程度見合っていて、家から通いやすい学校を受験することにした。

受験日までの期間は少しだけ受験勉強をした気がするが、ほとんど覚えていない。多分ほとんど勉強していなかったし、今でいう「お受験」のような壮絶な体験ももちろんしていない。

受験のことももちろん覚えていない。どんな問題が出たかも、どんな心境だったのかも、合格発表の時のことも。
とにかく私は中学受験で合格し、高校受験も大学受験もする必要がなくなったのだった。

私は、人間の考え方や選択には必ずその人の生まれてきた変遷が影響していると思っている。いわばそれは、因果律。たくさんの因子を重ね、たくさんの結果が生まれ、その結果が因子となって、また新たな結果を生む。
そういう意味で、自分の考え方を伝えるのであれば、まずは自分の原体験を、自分という人間が出来上がるに至った最初の最初を説明しなければならないと思った。

私はまず、平凡な家庭に生まれ、人より優れた知能を持ち、しかし努力ができず、努力することなく成果を得たことで更に努力することをしなくなった。先のことが見通せず、場当たり的にこなし、しかしながらその場の当意即妙があまりにも上手で、それなりの人生を歩めている。自分の楽観の原初は生い立ちにあるのは間違いない。