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歌のシェフのおいしいお話(7)大岡越前問題(日本語の発音のお勉強)

私の名前は大澤悠子(おおさわゆうこ)ですが、アルファベットで表記するときは

YUKO OSAWA

とすることにしています。平仮名を一つ一つアルファベットに直すならば

YUUKO OOSAWA

ですが、なんかダサいし、UもOもそんなに沢山いらないなと思って、深く考えることもなく昔から1個ずつにしていました(ローマ字では母音を伸ばすときは上に横線をつければよいというような裏技もありますが、ローカルルールなので私の普段の問題を解決してはくれません)。

「ゆうこ」に関しては、「YUKO」という表記で英語圏・フランス語圏・ドイツ語圏いずれでもだいたい正しいと思える発音をしてもらえます。「う」が微妙に違うっちゃ違うけど、「う」系の母音に関しては欧米人より我々の方がはるかに雑な耳を持っているので(フランス語で言うならeもouもuもoeuも、全部「う」!)、許せてしまいます。確かめてないけどイタリア語圏も大丈夫なはず。

「おおさわ」の方は、正しく発音してもらえることはまずありません。

経験的に、英語圏では、「オッサワ」というように、サにアクセントが置かれます。おそらく、O’Connell(オコンネル)とかO’Connor(オコナー)というようにO’で始まる英語圏の苗字から類推して(彼らにとって)一番座りのいいアクセントの位置を自然に選んでいるのではないかと勝手に推測しています。

フランス語圏では「オザワ」と言われます。母音に挟まれたSは濁るというフランス語発音上の規則に則って読むとそうなるわけです。濁らずに「サ」と発音して欲しければOSSAWAという風にSを2つ重ねるか、OÇAWAというように、フランス語独特の尻尾の生えたC(「Cセディーユ」)で書き表わせばよいようです。めんどくさいですね。
ただ、フランス人の間でも有名な偉大なるマエストロ小澤征爾さんのおかげで、「ああ!あの指揮者のオザワと同じ名前なのね!もしかして孫?!」などと話しかけてきてくれる人も結構いるので話の緒として重宝していて、小澤先生に対しては畏れ多いことですが「いや、あっちは小さくてこっちは大きいんですよ」などと説明するようにしています。

ちなみに、私の母は、苗字の表記を

OHSAWA

にしています。「オ」を確実に伸ばしてほしいからだそうで、それもローマ字の長母音表記の裏技の一つです。一緒に旅行するときに家族のはずなのにパスポートの名前の表記が違って怪しまれないかなぁと思わなくもないのですが、そこは拘りたいそうです。


この「『オ』長い/短い問題」については、小栗左多里さんの漫画『ダーリンは外国人』の「ダーリン」こと、アメリカ人で語学オタクのトニーさんによって既に指摘されています。

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その通り!大岡越前の「お」が2.2くらいしかないのと同じように、「大澤」の「お」も1.4くらいしかないと思うのです。「お」が2つあるというよりは、1つの長めの「お」があるという感覚。だからOOSAWAと書くとなんかOが余計なような気がするのです。

日本語の母音の表記と発音の相違の問題はこれだけではありません。

美空ひばりさんの《川の流れのように》を聴くと、「あー、川の流れのよーにー」と歌っています。それが正しいのです。

「平野」は平仮名だと「へいや」ですが「へーや」と発音しますね。

大岡越前も川の流れのようにも平野も、平仮名表記通りに発音すると不自然です。そんなこと考えたこともなかったけれど自然に正しく発音してた!!という人が殆どではないでしょうか(私も)。ネイティブってそんなものです。それとも、そういうことも小学校で習うんでしたっけ?いずれにしても私はとっくに忘れていました。

それなら、外国人に対しては日本語の発音はどのように教えられているのかな、と思って日本語勉強中のフランス人にテキストを見せてもらったら、上に挙げたケースの全てが「規則」として説明されていました。すなわち、

「あ、い、う、え、お という母音については、長母音はその2倍の長さになる。あ の長さが1だとすれば、ああ の長さは2であるが、一息に発音される」

つまり、「ああ」は「『あ』 が2つ」あるのではなく、「2倍の長さの『あ』」を表している、というのです(正確に2倍ではなく1.2〜1.4倍くらい、というのがトニーさんと私の見解ですが)。

「ように」と「へいや」のケースは逆に書き表し方の規則の中で説明されていました。すなわち、

「長母音が『お』段の場合、後に(2個目の『お』ではなく)『う』を加える」(例外は「大きい」「多い」「遠い」)

つまり、「工事」の発音は「こーじ」で、「こ」というお段の音が長く発音されていますが、「こおじ」とは書かずに「こうじ」と書きます。「大きい」が例外のおかげで、「大澤」も「大岡越前」もこの例外グループに入ります(「おーさわ」と発音されるから「おうさわ」と書くべきところだけれども例外的に「おおさわ」と書く、ということ)。

そして、

「長母音が『え』段の場合、後に(2個目の『え』ではなく)『い』を加える」(例外は「ええ」「ねえ」「お姉さん」)

すなわち、「警察」の発音は「けーさつ」、要は「け」というえ段の音が長く発音されているのですが、「けえさつ」とは書かずに「けいさつ」と書きます。

なるほど!!!


…………一体なんでこんなことを書いているかというと、日本語の発音にもよく考えたらいろいろ規則があるということに思いを致して自分を慰めるためです(笑)。おつきあいありがとうございます。

オペラを歌おうとすれば、まして教えるには、イタリア語やフランス語やドイツ語の母音の長短、開閉、その例外など、日常会話ではとっくの昔に失われてしまった発音、失われつつある発音も含めてマニアックに勉強しなければならなくて大変しんどく、日本語は書いてある通りに読めばよくて楽だよなぁと望郷の念にかられがちなのですが、実は全然そんなことはなくて、そもそもアクセントの位置は知らない人にとっては推測不能で、しかも同じ文字からなる単語でもアクセントの位置が違うと意味が変わるということひとつをとってみても、「発音が難しい」と認定するに値します。

基本的にはコレペティとしての仕事のクオリティは「ネイティブスピーカーであるかどうか」には全然関係がなく、どこ出身であってもベーシックなオペラの言語は指導できなければなりません(し、そのへんのネイティブスピーカーよりもその言語の発音に詳しいくらいでなければいけません)が、ロシア語やチェコ語など、上演機会がイタリア・ドイツ・フランスものに比べて圧倒的に少ない言語のオペラの指導においては、ネイティブのコレペティに頼る場面もしばしば見られます。

ということで、日本人コレペティがネイティブスピーカーとして(も)国際舞台で頼りにされる日がいつか来るように、日本人の作曲家がどんどん声楽作品を書いて世界に発表してくれるのを楽しみに待とうと思います^^

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