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コロナ禍のなかの金沢暮らし@5月5日(火)「もち前田くんを連れまわす」

もはや言葉は不要。文字通りもち前田くんを連れまわす一日である。これは現代遠征と言っても過言ではない。

まずは金澤神社に参拝する。兼六園は閉まっているのですぐ撤退。

緊急事態宣言の解除延期に伴い、休館も延長されるだろう石川県立美術館。6月の鴨居玲展は大丈夫?ねえ大丈夫?去年は単独展がなかったので今年は楽しみにしているんだ。7月にはリアル前田くんのご尊顔も拝めるはず。頼む、頼むぞ。新型コロナウイルス、悔いなく消えてくれ。

石川県立美術館の裏手には「緑の小径」と呼ばれる散策路がある。中村記念美術館を中継し、鈴木大拙館へとつながるルートだ。辰巳用水の流れを聞きながら木陰の下を歩くことができるので夏には涼を感じられる良い場所なのだが、新型肺炎の到来以前にもあまり人にすれ違うことはない。もしかしたらあまり知られていないのか。

金沢21世紀美術館も全面閉館のため人通りが全くない。ゆえに、普段は撮れない写真を撮れるのはうれしい。SAANAのイスなどにもち前田くんを座らせて写真を撮っていたら親子連れに不審な目を向けられたが、その程度のこと慣れっこである。二十歳のときには自分の顔よりも大きいアヒルのぬいぐるみを抱えて家族で富士五湖観光したんだ。それに比べればかわいいものである。

自由奔放にさせてくれる家族よ。愛してる。みんなノリノリだったね。いま会えないのが大変残念だよ。

ところで金沢市役所に目を向けるとなかなか電灯がついていた。第二庁舎への引っ越しも行われているようだが、それにしては人の動きがない。このような状況なので関係部署は休日出勤で対応しているのだろうか。体と心を壊さない程度に頑張れと心の中で合掌。

石川四高記念文化交流館は好きな施設のひとつだ。外観の建物の美しさもそうだが、もともとこの建物が使用されていた第四高等学校は、西田幾多郎や鈴木大拙、花山信勝に桐生悠々など錚々たる顔ぶれを輩出したクレイジースクールである。館内には当時の生徒たちの息遣いが聞こえるような資料がいくつか展示されているが当然こちらも休館中。おのれコロナ。

四高裏の公園で読書をする。やはり天気が良いからか20人ほどいたんじゃなかろうか。ソーシャルディスタンスを保ってそれぞれひとつずつベンチを飛ばして座っている。これは密じゃないですね。

今日の読書の伴は、北村薫の『空飛ぶ馬』。初めて読む作家さんの作品だったが好きすぎて一週間かけて読んでしまった。

女子大生の「私」が落語家と日常に潜む謎を解き明かすミステリーである。彼女は事件を持ち込むワトスンで、落語家はホームズといったところか。しかし、基本的に足で捜査するものではなく、落語家はある程度話を聞いただけで鮮やかに真相を突き止めてみせる。

落語を例えに出すところも演出がにくい。ついつい落語CDに手を伸ばしてしまったのも時間がかかってしまった一因である。もちろん後悔はしていない。むしろ、巡り巡って三代目桂三木助のCDが増えた。ありがとう。

殺人事件が起きなくても、市井に目を向ければ怪奇な事件はあるもので。短編集だったが、掲題作はオオトリを飾るストーリーだった。季節は間違えたが、爽やかなエンディングが次作への期待を膨らませる。

実は主人公の成長も感じられる物語である。落語家はその職業ゆえか人を愛しているのがよく伝わる。そうした落語家をみて女子大生もまた変化するだろう。表題作の締めが象徴的である。

「解いてもらったのは謎だけではない。私の心の中でも何かが静かにやさしく解けた。」

(北村薫『空飛ぶ馬』1995・4版、東京創元社、347頁より引用)

勘違いされそうだが、そのふたりに恋愛関係は生まれないのでそこだけご注意。落語家には妻子がいる。だからこそより温かな物語になっている。ドラマ化してくれないかしら。

余韻に浸っていると、通りすがりのご婦人がにこりと笑って「今日はいい天気ね」と声をかけてくださった。家族と仕事以外では一体どれくらいぶりに人と話しただろう。ほんの少し泣きたくなった。

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