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「第29話」NYCのコミカレでESLのReadingの授業を取った時の話。

エピソード4(ニューヨーク・短期大学時代)第29話
今日は短期大学でCSE95(英語・リーディングの一番下のクラス)を受講した時の話をしたい。

不思議なことに底辺のESL97で一緒だったクラスメイト全員がCSE95のクラスをとっていた。どうやらこの2つのクラスは底辺学生の為にセットになっていたようだった。しかしプロフェッサーは違った。CSE95を教えていたのは、50代前半、赤毛のショートカットのキンブリー・ファーラー教授だった。彼女と出会った時から、なぜか私は彼女がとても信頼できると思った。実際、正義感あふれる教師の鏡のような人だった。キンブリー教授には他大学に編入する時に推薦状を書いてもらったり色々とお世話になった。その事については後日詳しく書きたい。

まじめな先生ほど、なぜか生徒からいじられるものである。私のクラスにはパキスタン人とバングラディッシュ人のとんでもない生徒がいた。根はやさしいのだが、いわゆる高校のクラスでぶっ飛んでいたテンションの高い学生が、何も成長しないまま大学に来てしまったような学生だ。ある日、パキスタン人(彼はアメリカの軍隊に2年いたらしい。パキスタン人だが、かなりアメリカナイズされたぶっ飛び方をしている)のアミーアが、車からクラクションを鳴らして、下校中の私を見つけるや、家まで送ってやるから来るあに乗れと言うのである。車の中を覗くと、バングラディッシュ人のラモンとあともう一人のバングラディッシュ人のクラスメイト(彼の名前は忘れた)が乗っている。まあ、送ってくれるなら良いかと甘えて乗ったのが最後だった。ハイウェイに出ると、ランボーもびっくりのスタントマン顔負けの超荒い運転!:;(∩´﹏`∩);: パキスタン人のアミーアは雄たけびを上げ、ラモンも調子に乗る。そして、となりのトラック運転手に罵声を浴びせる。あー、アメリカナイズされたアメリカのヒッピーはこういう感じなのかなと思った。大げさではなく、一瞬死が頭をよぎった。クラスメイトの友人も顔が引きつっていた。

そういったトラブルメーカーが私のクラスにはいた。彼らはいつも、後ろの席でコソコソと悪事を働いていて、キンブリー先生を困らせていた。カーネル教授の時はおとなしくしていたのに、女性だからと舐めていたのかもしれない。普通の教師なら、諦めたり放っておいたりするような荒れようだが、彼女は最後まで彼らと正面から向き合っていたような気がする。ある時キンブリー先生が「それは私への侮辱か」と問いただしたところ、それまでケラケラ笑っていたアミーアが急にしょぼんとして「アイムソーリ・・・」である。この時のアミーアの潔さというか、真に受けた表情を見て、彼には優しさがあると思った私である。それから彼らの悪事は無くなった。

話はそれてしまったが、キンブリー教授はいつも私たちに直球を投げてきた。英語が全く話せない私や、中国人を特別扱いすることなく、急にあてたりするのである。この当てられた時が辛い。いつも賑やかな外人のクラスメイトが、急にあてられた生徒に注目するのである。他者の発言を良くきこうという姿勢は日本人以上に良いと感じていた。私はいつも当てられないように願っていた。

海外の大学の授業で一番つらいのはペアを組まされたときである。
グループなら、黙り込んでいればいいが、ペアだと絶対にパートナーと話さないといけないからである。これは恐怖以外の何物でもない。ある日私と組んだネパール人の学生が、私が英語を話せないと分かるとあからさまに無視をするのである。私は与えられた課題を、自分なりに解いて、彼に説明しようとするのだが、かれは全く聞く耳を持ってくれない。高校を卒業したての18歳が、よく26歳の私にこのような態度を取れるものだと思ったものだ。

しかし、今思うと外国人は良くも悪くも裏表がないと思うのである。
日本人のように、低姿勢でペコペコしていても、裏で陰口を言う人がいるが、彼らのように、俺はお前の事が好きではないという風に示してもらった方が付き合いも楽である。

答え合わせの時間がやってきた。彼は私が出した答えを無視して、自分の答えを言っていく。しかしものの見事に外れる。アメリカに長年住んでいるので、会話はある程度できるかもしれないが、中学校英語の三人称単数のような基礎が全くできていないので、文法をおそらく理解していないんだろうと思った。対して私の答えは全問正解。それを見たネパール人の彼は急に私の解答用紙を見ながら、答えるようになった。彼は、満面の笑みを浮かべて私に(*^▽^*)(←こんな感じ)手のひらをグーにして和解しようの手を差し伸べてきた。ここまで調子のよい奴は日本でも見られない。私はある意味カルチャーショックを受けた。

私は毎回授業の後にキンブリー先生に分からないところは質問しに行った。先生は山田洋次の映画に出てくる優しい先生のように「うん、どうしたの?ゆうき、うん、うん」と真剣に私の質問を理解しようとしてくれた。ある時私はどうしても英語が出来るようになりたい。クラスで一番になりたいと相談した。彼女は、分かった。それでは教科書に書いてあって分からない単語を調べて単語帳を作り、その単語を使って文章を書いてきなさいとキンブリー先生は言った。

その日からだろうか。私の学校生活は、さらに忙しくなった。最初のセメスターはほぼ毎日、授業は朝8時から12時まで大体いつも4時間ぶっ通しであった。お昼を食べた後も授業はほぼ毎日行われていたと思う。授業は2時か3時に終わり、学校からそのままマンハッタンに向かい、ブライアントパークの近くの市立図書館で4時間勉強する。そしてクイーンズに戻り学校で夜遅くまでピアノを弾いたりしていた。

高校受験以来の真摯な取り組みだっただろうか。私は高校時代は社会を恨み、親を恨み、学校を恨み、結果不登校になり、高校を卒業した後も職業柄
昼夜逆転の生活が続いていたので、短期大学での学生生活は猛烈に忙しかったが、私は生きている実感があった。辛かったが私は何かに満たされていた。学期末のテストで私はクラス唯一の100点を叩き出した。キンブリー先生の誇らしげな顔は今も忘れない。その時クラスの周りの学生が、一気に馬鹿に見えた。笑 そして、今まで英語が出来ない無口な私を見下していたクラスメイトが、何か尊敬のまなざしで私を見るのに気が付く。留学してから、何か自分に自信が芽生えた最初の出来事だったかもしれない。

【続】

お知らせ
ゆうこりん波乱万丈日記「第6話-第15話」と「第16話ー第25話」を有料マガジンにしました。10話セットで価格は何と100円!安ーい!今後人気が出たら一気に値上げするかもしれません。
今後10話溜まったらマガジンにしようと思います。なので、私のノートを随時チェックしていないと、有料記事でないと見れなくなってしまいますよー(*^▽^*) いつもお読みいただきありがとうございます♡

写真:パキスタン人のアミーアとバングラディッシュ人のラマンが学内のコンサートに来てくれた。演奏中も携帯絵動画を撮って、勇気頑張れ!ユウキうめぇぇと雄たけびを上げていた。やっぱり根はいい奴だった。

ジャズピアニスト 二見勇気
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