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「第35話」NYC ユニオンスクエアのレストラン・BITE14でピアノを弾いた時の思い出【中編】

エピソード4(ニューヨーク・短期大学時代)第35話

アストリアのアパートメントに着いた私はチャイムを鳴らした。
出てきたのはヨレヨレのTシャツを来た藤谷さん。オッスよく来たな、と軽く会釈をした彼は門を開けに来てくれた。よそよそしい笑顔というのも無い。まるで私達が数十年来の仲のような接し方で、そこには日本人ならではの適度な距離感というのは全く無く、ある意味私は嬉しかった。

アパートの中に入り、ルームメイトのジョンにも挨拶する。フレンドリーで礼儀正しい印象を受けた。リビングに今日使う楽器が全てまとめられていた。

私はケースに入った電子ピアノを折りたたみ式カートに結わい、信さんのスネアドラムを片手に持った。信さんはシンバル、他の太鼓類、あと金属類を持った。ジョンは自分のベースと1つか2つドラムの金属類を片手に持って信さんを助けたと思う。

アパートから最寄りの駅まで歩いていくが、楽器類が重たくなかなか進まない。想像してみてほしい。引っ越しの際に冷蔵庫やタンスを運ぶのに車を使わず、電車を使って現地まで担いで行く光景を。やはり無謀だった 笑。 ガリガリの信さんが一人でほとんどのドラムセットを運ぼうとしているので、中々前に進まない。3人でぜーぜー言いながら、休憩を何度も挟みながら、やっとこアストリア駅までついた。待ち受けているのは階段である。ニューヨークにはバリアフリーという概念はない。多くの駅が急な階段しかなく、エレベーターが設置している駅は少ない。階段を何往復化して皆でドラムセットを運ぶ。改札を抜けたら今度はホームへの階段を皆で手分けしてドラムセットを運ぶ。

電車が来たら、いっせいに楽器類を電車内に入れないといけない。私たちはせっせとベース、ピアノ、ドラムセットを車内に運んだ。扉が閉まると同時に間に合ったーと安堵した。車内では多くの人から注目を浴びた。まるで、キャラバンの大移動のようだった。変人の多いニューヨークでさえ、多くの人が私達を変人だと思ったに違いない。

ユニオンスクエア駅に着いてからお店まで楽器を運ぶ経緯は特に説明しなくてもよかろう。同じようにしんどかった。笑 ギグが終わった後はさらにしんどかった。ギグは9時半頃に終わるので、それから楽器を片して帰ると信さん宅に着くのが11時を過ぎていた。そこから自分の家に帰宅する時には12時近くになっていたと思う。学校の授業は毎朝8時からだったので、学校に行きながら週に一回ギグをするだけでも大変だった。

最初は楽器をお店まで運ぶのに2時間かかったが、持ち方を変えたり、バスドラムを持っていかなかったり、キャリーを信さんが購入するなどして運搬方法を改善をし、1時間程でお店まで運べるようになった。そして数週間後にはお店に私たちの楽器を全部おいていいとオーナーに言われるようになったのである。広さ10畳もないようなカフェレストラン。事務所はおそらく3畳もなかったと思う。キーボードは隣のビルの地下に。ドラムセットは事務所のパソコンの上や、書類などが置いてあるデスクの上や下に置いた。まるでその光景はドン・キホーテのような圧縮陳列だった。店の従業員からしたらたまったものではないが、オーナーのアミが私たちの演奏が好きだったらしい。なんてミュージシャン思いなのだろう。

基本的に私たちは曲を決めずにスタンダードを演奏した。初めてベースのジョンと演奏した時は下手だなと思った。(彼はエレキベースの経験はあったものの、アップライトベースを始めてまだ数カ月だった。ニューヨーク大学のジャズ科で勉強していた彼は2年後には見違えるほどに上手くなっていた。彼も努力したのだろう。)だが、音楽を一緒に演奏しているだけで楽しかった。私のキーボードは安物で音色も貧弱だったが、ニューヨークの温かいオーディエンスがいる前でグループでジャズを奏でるのは何とも言いようのない心地よさがあった。今思うと幸せなひと時だった。

大体2時間の演奏でチップは60ドル。多いときは100ドル位入った。
店からは一人10ドル(けちー)もらう。それを3人で割ると30ドルから40ドルくらいになった。練習でスタンダードの曲を覚えるし、他のミュージシャンと演奏する事で経験にもなるし、そして演奏後にお客さんと話したりして楽しかった。地元に住んでいるおばあちゃん、仕事帰りの会社員、ちょい悪親父とモデル級美女(年の差推定20歳)の訳アリカップル、新婚旅行でニューヨークを訪れているカップル、海外からの観光客も多く来た。学校のクラスメイトや教授まで来てくれたことがあった。一番うれしかったのはオッパイの大きい可愛い女子大生と話せたことだった(●^o^●)(100戦100敗だった😢)ユニオンスクエアの小さなカフェレストラン。そこには色々な人生が渦巻いていた。

ピアノの前にチップボックスを置いていたが、演奏がヒートアップすると、私は夢中になってしまい、チップボックスが見えなくなってしまう事もあった。ある日、セットが終わってチップボックスの中を覗くと20ドル札が2枚重ねて入っていた。誰が入れたかは分からなかった。その日は演奏してから、ほとんどの客がひっきりなしに入れ変わっていたので、20ドル札を入れてくれた主は、わずか数分間私たちの演奏を聴いていただけなのだろう。こんな事はよくあった。アーティストを支援し、何も言わずに去っていく。こういう気前の良さがニューヨーカーの良い所だと思った。

ここに来ていたお客さんから、「再来月、弟が結婚するのから結婚式で演奏してくれないか」「今度自宅でパーティーをやるんだが、BGMで演奏してくれないか?」「妹がピアノのレッスンを習いたいんだけど、教えてくれないか」と言ったオファーが沢山あった。見ず知らずの東洋人にフレンドリーに仕事の話をしてくれるニューヨークにはチャンスが沢山あるのだなと感じた。BITE14では2時間弾いて、40ドル前後のギャラだったが、こういう仕事では200ドル請求していた 笑 

当時貧乏学生だった私は、ここでギグがあった日は早めに着いて、スープやサンドイッチ、パニーニ等を食べてから、演奏していた。勿論無料である。演奏終了後に、ラザニアやワインを堪能し、翌日の朝食用にサンドイッチを作ってもらって持ち帰った。デザートにはカウンターのチョコレートブラウニーやクッキー、ポテトチップスも持ち帰った。それからサイダーも。週に3回演奏した時は食事代が凄い浮いた。休日に友達とマンハッタンに出かけてBITE14に寄りランチやディナーを食べることもあった。オーナーのアミがいる時は割引してくれた。人情のあるレストランだった。ニューヨークに行ったときは、またいつかこのレストランに立ち寄りたい。

【続く】

写真:右からベースのジョン、ドラムの信さん、ピアノの私。この3人で演奏する事が多かったが、各自仕事が入ったらトラを頼むこともあったのでBITE14では色々なミュージシャンと演奏した。写真はコロンビア人の友人、ニューヨーク市立大学の政治ジャーナリスト志望の大学生が撮ってくれたものである。彼とはBITE14で私たちの演奏を聴いて感銘を受けて知り合った。彼のように、ここでは多くの人と知り合った。未だに連絡を取り合っている人も沢山いる。(女の子0😢)ニューヨークは出会いの場でもある。今でもあの頃のよき思い出に浸る事がある。


ジャズピアニスト 二見勇気
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