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「第18話」中国人のアドバイザー、アレックスに助けられた話

エピソード4(ニューヨーク・短期大学時代)第18話

前回までのあらすじ
ニューヨーク棒音楽大学の最終選考に残るも、英語の試験で落とされた私。
9月の留学を公言し、仕事、ライブ全てをキャンセルし、渡米の準備を進めていた私はまさかの出来事に絶体絶命。急遽、4月から短期大学に入学する手続きを進め、間一髪、何とかアメリカ行く行く詐欺にならなかったとほっとオッパイをなでおろすもつかの間。着いた異国の地、ニューヨークでは数々の試練が待ち受けていた!

最初の試練は、ニューヨークの短大でなるだけ多くの単位を取得し、音楽大学に編入しようとした私のプランが大きく揺らいだこと。クラス分けテストで散々な成績を出した私に待ち受けていたのは、単位がつかない、留学生向けの英語クラスをとらされた事。授業料だけをたっぷりとふんだくられる。何とかこの事態を避けたい私は留学生センターのペタジーニの嫁に似たおばちゃんに助けを求めるも、あっさりとあしらわれる。途方に暮れた私はその場を後にする。


その日だったか、翌日だったか覚えていないが、私は新学期の手続きで、学校のあちこちをウロウロと周っていた。この手続き中に起こった事は悪夢だった。例えば、留学生センターに行くと「この予防接種の証明書のは提出はここではなく保健センター」と言う。仕方なしに保健センターに行くと、「これは留学センターで提出だ」と言う。受付の人も学生なのかアルバイトなのか知らないが、良く分かっていない。そんな感じで、たらい回しにされた2日間だった。一体2日間でどれだけ歩いた事だろう。英語が話せればもう少し自分の状況を上手く説明できただろうし、こんなに手間取らずに済んだかもしれない。お粗末な事務に憤りを覚えると同時に、自分の語学力の低さに苛立ったものだ。

度重なる事務のミスで私は絶望的になっていた。確か留学生センターから出て再びどこかのオフィスに向かう途中だったと思う。私の目の前に、一人の40代のアジア人男性が廊下のベンチに腰を掛けていた。私は彼のことを覚えていた。留学生向けオリエンテーションでアドバイザーとして紹介されていた人物だ。英語を流暢に話していたが、アクセントがあったので、英語が第一言語ではないのは分かっていた。おそらく中国人だろう。

私は、彼に声をかけた。彼は半分背中越しに声を掛けられ、少し驚いた様子だったが、何一つ嫌な顔せずに私の問いかけに真摯に対応してくれた。私は自分の置かれた状況と、お金が無くてESLをとるのが厳しい事を伝えた。何一つ嫌な顔せずに、うんうんと耳を傾け、そして真剣な眼差しで私を見つめる彼。ニューヨークに来て、理不尽な対応をされ続け、人間恐怖症に陥っていた私。誰も自分の気持ちを理解してくれないし、孤独だと思っていた私。ついに異国の地で私を理解してくれる人が現れた。そんな気持ちだった。今まで溜まっていた鬱憤が晴れ、心が洗われるような気がした。半分泣きそうだった。しばらく話を続けていたら、「今から昼飯を食べに行くけど、一緒にカフェテリアに行かないか?続きの話はそこで聞くよ」と彼は言う。迷わずアレックスについて行った。

【続く】

写真は それから数カ月後、学校内でニューヨークのギタリスト、トム・デンプシー氏(彼はラガーディアで音楽の授業を受け持っていた)と一緒に演奏した時に聞きに来てくれたアレックスと。本当に良いおじさんだった。

ジャズピアニスト 二見勇気
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