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「第32話」 NYC短大のピアノ練習室との出会い。それは終わりの始まりであった。

エピソード4(ニューヨーク・短期大学時代)第32話

短期大学の入学式を終えた後、私は直ぐに音楽科のリサ・ディスペイン教授にEメールを送った。用件はピアノの練習場所についてだった。私はこれでピアノの練習の為に往復3ー4時間かけて他の大学に通い詰める必要は無くなったと期待していた。しかし人生そんなに甘くない。
(舐めたらあかんー♪ 舐めたらあかんー♪)

アメリカに渡る前から、私の通う短期大学には音楽の授業がいくつかある事は調べていたので知っていた。英語の先生パトリシアからも、学校が始まったらトム・デンプシー教授にコンタクトを取りなさいと言われていた。彼はニューヨークで活躍しているジャズギタリストだった。きっと何か助けてくれるかもしれないと思ったのだろう。音楽科には理論、歴史、キーボード、DTM等の授業があり、確か5人教授がいたと思う。私がリサにEメールを送ったのは彼女が主任教授だったからである。ちなみに彼女はノーステキサス大学で学士、マンハッタン音楽院で修士を取った作曲家、ジャズピアニスト、そしてジャズボーカリスト(ボーカルはそんなに上手いと思わなかった 笑)である。NYCのジャズクラブでも演奏をしていた。

留学行く行く詐欺にならないように、無理やり滑り込みで入った底辺短期大学でも、こういったジャズミュージシャンが音楽の授業をで教えているというのは大変興味深い。

私はリサに、自分がジャズピアニストであり、ラガーディア短期大学に入学するまでの経緯を簡単に説明し、そしてピアノの練習場所を探しているという旨を書いたメールを送った。彼女からは早速翌日の朝に返信があった。どうやらメールの内容によると、ピアノ室は練習棟に2部屋あって、早いもの勝ちらしい。鍵は通常かかっているから、近くで授業をやっている教授に頼んで開けてもらうようにとの事だった。

私はまずこのメールを読んで絶望的になった。確か短期大学の学生は夜間や早朝の部の全学生を入れると2万5千人はいたと思う。それに対して2部屋のピアノ練習室はあまりにも少なすぎる 笑 

私は午後の授業の後に音楽練習棟に行った。廊下の奥の一室を覗くと、様々ファッション、人種の学生がリサのピアノを囲むように円陣を組んで、彼女からボーカルの指導を受けている。ザ・リアル天使にラブソングを2である。私は笑ってしまった。っと、その時丁度授業が終わったのか、学生がゾロゾロと教室を後にする。とても和気あいあいとしていて、生徒の何人かが別れ際にI love you Lisa-♪という感じだったので、直ぐに慕われている先生だというのは分かった。私は教室に入りリサに話しかけようとした。他の生徒が何か質問していたが、東洋人の挙動不審の私が急に教室に入ってきたので、皆からの注目を集めるような形になってしまい、少々、割り込むような感じでリサにいきなり話しかけることになった。私はピアノ練習場所に関してメールをした本人であることを伝えると、直ぐに親身に色々と教えてくれた。

アメリカ人はとても親身になって話を聞いているときや、相手が真面目な話をしている時、とてもシリアスな顔をして相手の目をみてジーと聞き入る人が多いような気がする。一見それは、日本人からすると怒ったような表情に見えるときがある。リサもそのような表情を浮かべる傾向がある人だが、私は彼女が親身に私の話を聞いてくれているのは何となく分かった。それは、アメリカ滞在2週間の経験で少し得た文化の違いである。(←考えすぎ?)日本から持参した私の処女作「万歳オスカー」のCDを渡した。少しでも自分のプロとしての本気度を相手に伝えたかったのと、何かしら覚えてもらうのは、今後のためだと思ったからだ。彼女は凄い笑顔で喜んでくれていた。私の事は悪く思っていないという確信は持てた。

リサは早速ピアノの練習室を見せてくれた。練習室は同じ棟の教室の向かいにあった。部屋のドアはとても重工だ。彼女はポケットから鍵の束を取り出し、慣れたように練習室のドアのカギを選んでドアを開けてくれた。

「じゃ、後は好きに練習していていいから。鍵はかかっているから、練習が終わったら、そのまま部屋を出ればいいから。忘れ物だけしないようにね。」

リサはそう言ってサッとその場を立ち去った。一連の出来事においてリサはとても親切だったが、恩着せがましい感じは全くなかった。それはアメリカ人の素晴らしい所だなと思った。

練習部屋は4畳、5畳位の広さの、無機質なコンクリートの作りになっている。壁の隅にアップライトがあった。アップライトでもコンパクトサイズのピアノだ。ヤマハのピアノにそんなモデルがあったのは知らなかった。鍵盤は異様に軽く、そして調律はド・レ・ミィィィィ(←特に異様な変な音がする)ファ、ソ・・というような絶望的な感じである。ディズニーランドの酒場のピアノと思ってくれればよろしい。しかし、ピアノの鍵盤の形をしたものを触れるだけで良しとしようと私はポジティブだった。いや、私は内心ニンマリしていた。

当時の私は、日本の高度経済成長期に、田舎から集団就職しに来た若者が、ボロ家3畳のアパートで質素な生活をしながらも明日への希望を抱いていた様な心境だったと思う。

私はこれでやっとニューヨークでピアノの場所を探すのに苦労する事はないと安心したのである。それと同時に、自分がこの簡素な練習室で将来の成功の為に努力をする事を誓ったのである。そしてそんな自分が格好良いと思っていた。

神よ。これからこのピアノと一緒にニューヨークで頑張ります。
天にまします父よ。ザーメン(←これが言いたかった)

しかし、ピアノの練習場所確保劇はこれで終わりではなかった。
いや、これは終わりの始まりだった。これから2年半ものニューヨーク生活の間私はピアノの練習場所に苛まされるとは知る術も無かった。

【続く】

写真:昔のYoutubeの練習動画を探していら、練習室でバッハの平均律をウォームアップに弾いている動画があった。非公開になっているので悪しからず。ちなみにYoutube登録まだの方は是非して頂けると嬉しい。クラシックのソロピアノの演奏もいくつかあげている。

ジャズピアニスト 二見勇気
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