「子どもがかわいい」と「子育てつらい」は別次元

「子育てつらいって、子どもはかわいいんだからがんばれるでしょ?」

これはあるニュースサイトの記事に載っていた言葉です。この言葉を読んでどう思いますか?
そうだよねという共感か、いやいやそうじゃないという反論か。

私は、この言葉をいう人が目の前にいたら目をかっぴらいて、その人の胸倉をつかんでガクガクしながら言うでしょう。

はぁ?「子どもがかわいい」と「子育てつらい」は別次元じゃボケ!

と。(口悪くてすみません)

前提として、子どもはなににおいてもかわいいんですよ。存在が。まじで。例えば、子どもを抱っこしているときに階段から落ちそうになったら、反射的に自分の頭じゃなくて子どもの頭を守るだろうなと思うくらいにかわいいし、大切です。

でもね!!!子育てはつらい!!!!!

なにがつらいのか考えて、3つ言語化してみました。(母になって8ヶ月の新米の意見です。)

1つ目は、24時間ずーーーーーっと、子どもを気にしていなきゃいけないこと!
ほんと子どもって目を一瞬でも離したり、気を抜くと死に向かいます。まだ8ヶ月の赤ちゃんですが、何回もヒヤッとしたことがあります。
寝たときだけ一息付けています。それまでは、常に気を張ってないといけません。仕事でもそんなことないんじゃないかな~。

2つ目は、子育てが重労働だということ
当たり前だと思われるかもですが、子どもって親の私が世話しないと生きていけないんです。
ミルクあげなきゃだし、オムツ変えなきゃだし、まだ動けないと抱っこしなきゃだし。この抱っこは動く米袋を持っているようなもんですから、腕パンパンになります。それにプラスして、自分自身とその他家族の世話、家事があります。めっちゃ重労働!

3つ目は、子育てに正解がないということ
今でこそ落ち着いてきましたが、私はなにか子ども関連で気になることがあるとすぐに検索していました。いわゆる検索魔です。それでも不安になると、主治医や保健師さんに聞いていました。
回答は、「これはその子の個性」。個性か~とおおらかに思えるまでは、私の子育てこれでいいのか、子どもに不利益なことはないかすごい不安でした。
あと、泣いている理由がわからないのもつらいのです。ミルクでもオムツでもない、でも泣き止まない。集合住宅なので、近所の目も気になり泣き止ませることに必死でした。今は泣きたいなら泣けばいい、と思ってひたすら泣かせています。心理的に楽になりました。

で、こういう日常を過ごしていると親のコンディションも悪くなってくるんです。
・満足に取れない睡眠
・じわじわ削られていく体力と気力
・泣き止ませなきゃという焦り
・これで子育てあっているのかという不安
・思い通りに家事ができない苛立ち
などなど・・・・

どんどんマイナス方向に振り切っていきます。で、思うんです。
「子育てつらい・・・・・・・・・」と。

だから、ゆっくり休んだり、子どもと離れると、心身が回復して子育てがんばろうと思えるんです。

上記を見ると、「子育てつらい」には、子どもがかわいいとかかわいくないとかの理由は入ってきていません。それよりも、さまざまなことが重なり合って、自分自身の余裕がなくなったことが原因なのではないでしょうか。

冒頭の「子育てつらいって、子どもはかわいいんだからがんばれるでしょ?」は、「子育てつらい」と「子どもがかわいい」を同じ土俵の問題として考えています。違う違う。
「子育てつらい」と「子どもがかわいい」はイコールにはならないし、理由にもなりません。

また、こう考えてしまうと、子育てつらいって思っている人の首も絞めてしまっていると思うんです。
「子どもはかわいいと思っているのに、子育てつらいなんて最低な親だ」と。

だから、「子育てつらい」と「子どもがかわいい」を別次元のことだととらえれば不必要に自分を責めて、自信を失くすことも少なくなるんじゃないかな、と思うのです。

熱く語ったんですが、着地点が分からなくなりました。なのでこれはこれでおしまい。同意してくださる方、今度語りましょう。



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