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他人の宗教を勝手にさらすな~非公開リストがばれるTwitterバグ~

多目的ビルのテナントが入っていない階の廊下の休憩スペースってあるじゃないですか。ソファーみたいなのが無造作に置いてあって、そこでぼーっとしていると「何万人の為に謳われたラブソングなんかに♪」とトリップしそうな気がしますよね。うちのパパ世代の某凄い先生です。

スマホ990 階段

さて、某タレントで正義のヒーロー役のTwitterの非公開リストがバグで見れるようになり、宗教関係のリストが作られている事が話題になっている。私はそのタレントのSNSでの言動は全く擁護出来ないし評価もしないけど、これだけは言っておきたい。

今回のTwitterのバグはかなりヤバいのだ。宗教だけではなく他者の性指向やプライベート、病気などをアウティングされてしまうリスクが極めて高い。それがどんな重大な結果をもたらすかは、ある大学でのアウティング事件でもわかるだろう。Twitter社は対応が最低なので、この問題解決には時間がかかる。その間は「いかにユーザーが他者のプライバシーを尊重するか」というユーザーの良心に物事は左右される。あの正義のヒーロータレントの言動がふざけているからと言って、今回のSNSのバグを面白がってはいけないのである。

そしてもう一つ。信仰の自由の話である。信仰の自由を構成する上で大切な要素の一つが「自分の信じる宗教を秘密にする権利」である。この「秘密にされる権利」なくして信仰の自由はあり得ないと私は考える。

某科学宗教は間違いなくカルトである。セクトであり、対策が必要である。教団のビルのでっかい会見室で教祖様がやる例のあの儀式、そして教祖様が書く著名人の背後霊が喋っているという書籍、全部偽物である。いくらページをめくっても「うーん、うーん」と810先輩がベッドの上で唸っているんじゃないかと言う文字が延々と続く本である。明治です。

私は通っている学校の教室で教祖の背後霊を体に入れた友達にインタビューした事があるが、友達の体を借りた守護霊は「あの会見室でオンラインで見せているあの儀式は適当に眠りの教祖様のふりをして演技しているだけ」「某探偵漫画その1の推理シーンを見て思いついた」と教えてくれた。この宗教は学校もあるようだが、教室で教えられる授業内容も、教科書も、入学案内パンフに出てくる入学を薦めてくれる著名人も全部でたらめである。現代科学的にありえない。某探偵漫画その2にやたら絵柄が似ている教団漫画や映画も見たけれど、語彙力が全然足りていないのでネットの玩具にもなれていない。

だが、実はここでの議論に宗教がカルトかどうかは関係ない。信じているものがどんなカルトだろうが、インチキ宗教だろうが、不幸の科学だろうが、教祖が不細工だろうが、自分の信仰を他人に勝手にアウティングされる事はあってはならない

宗教には「何教を信じるか」「その宗教にどれだけ入れ込むか」を信者本人が誰に許可も説明もなく勝手に決める権利がある。その権利が社会的な圧力から自由であるためには「本人が公表していない信仰を他者が面白がって暴く事は許されない」という確固たる基準が必要である。これはセクト対策とは別に考えなければならない事である。

宗教を批判する権利」も同じである。宗教批判者アカウントの持ち主の関係者にその宗教に所属している先輩や上司もいるかもしれない。「自分がどの宗教に反感を持っているか」を他者に勝手に公表されない権利なしに、宗教を批判する権利は実質的なものにはなりえない。一部の積極的なリスク覚悟の人間だけしか宗教を批判できなくなってしまう

正義のヒーロータレントを批判するのは大いに結構。どんどん批判すべきだ。だが今回のTwitterの非公開リストをアウティングする行為はヒーロータレント本人ではなく、多くの多様性を持った人々に危険をもたらすのではないだろうか。

追記:情報の公共性について

私の意見について「タレントの情報発信力を考えれば、その思想的背後に宗教があるという点で、この情報には公共性があるのでは」という意見があった。

私は学校の教室で公民の時間、教科書で隠す形でノートに号泣議員と某図書館長のBLの落書きをしていた人間なので専門的な事に詳しくはないので、平易な点しか知らないが、以下のような認識を持っている。

まずこの意見を主張する方々に理解していただきたいのは、私は「某ヒーロータレントを擁護する目的で、今までの議論を展開しているわけではない」という事である。「Twitterバグを利用して他者のプライベートを暴きたてることを社会が容認する事は、マイノリティの権利や宗教の自由の権利に悪影響を与えるからやめるべき」と主張しているのである。だからもし公共性や公共の福祉において他者の宗教を暴くことが許されるにしても、そこには明白な基準が必要であろうと考える。

例を挙げると、マンションの廊下でパンツレスリングをするのは住民の迷惑であり、それを禁止したとしても個人の生活の自由は保障できるが、マンションの部屋にベンチプレスを持ち込んでパンツ一丁でそれを使う事を禁止する事は、個人の生活の自由を侵害するものである。この2つには「マンションの公共空間であるかどうか」と「明確な迷惑が生じているかどうか」という、明確な基準が存在している。

特に宗教を信仰する自由の基盤となる権利の場合、「明白な基準」は相当限定されたものであると考えるべきで、今私が暫定的に結論として提示できるのは、「法律や条例、行政で市民の生活を制限する権限がある政治家のみ」他者が宗教を提示する事に公共性が認められるべきであろうと主張する。電気抵抗真理教の信者が政治の世界に入ることは、私たちの生活や人権に重大な影響を与えるからね。

もし、あの教団のなんちゃら計画が成功していたら、私は法王庁なるドーム型の巨大会館のダンススタジオで尊師踊りの練習をさせられていたかもしれない。今でも踊っているけど

某ヒーロータレントの場合も技能実習生の安全や人権への影響はちゃんと議論されなければいけない。この社会は障害者施設の部屋が次々襲われるヘイトクライムがある社会である。偏見を助長する発言はきちんと是正しなければいけない。人間の安全にかかわる問題だ。

ただし、その言動はいくらでもSNSで批判、訂正できるし、その情報配信能力に伴う責任追及は当人の宗教関係なく出来る事と考えられる。さらに「他者の公表していない情報をアウティングする事を社会が容認する事」の社会的マイノリティへの悪影響を考えると「明確かつ必要不可欠な条件」を条件とする公共の福祉、公共性には合致しないのではないか。

再度付け加えるが、私のこの意見は某タレントの情報配信に対する責任の重さを否定するものではなく、また発言内容を一切擁護するものではない。「ちっ、お前は6人のヒーローの兄弟と不細工なプラスワンに『勇気と正義の贈り物』と歌われればいいんだ」と思ったこともある。

ただよく考えて欲しい。Twitterのバグを利用して非公表リストをアップする事は「アウティング」であるという事を。それにより追い詰められるのは社会的マイノリティかもしれない。




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