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顕現にはスタイルがある。あと、悪魔ってなあに?


キリスト教では天使も「有形」のものと、「無形」のものがあり、階層があります。

私の目には帝釈天と毘沙門天は同じ、そしてラファエル天使長と似てます。

めちゃくちゃ美形ですが脳筋です。

行動を主体として活躍する方と、啓蒙を主体に活躍する方といらっしゃると思うのですが、なかなか人数が多すぎて把握できないのが現状ではないかと。
天使一人ひとりを例えば仏教の眷属の一人ひとりに対応させたとしても、根拠がないと誰も信じませんよね。

なぜか宗教ごとに敬う神も教えも違うように思われるのですが、すべて同じものを見て、発展の過程が違うと感じてはどうかと思います。

そしていつも思うのですが、「魔」の概念をどの宗教も持っているにも関わらず、その実態を詳細に書いてあるものがありません。

ていうか、書いているにも関わらず、誰も問題視しません。

降魔は悟りに至るものに必ず訪れる瞬間ですが、まるで自分の中に存在する悪なる意識が「魔」であるように描かれています。

単純明快に「魔」と称される存在はいるのですが、魔はその存在を隠しています。
最も魔が好む考えは「この世に悪魔は存在しない。」自身を否定する考えです。
先に脳みそ筋肉の話が出ましたが、悪魔の頂点が「知の天使長」であることはすべからく宗教全般を「信じない人」たちですら認識しているにも関わらず、その存在をほぼすべての人が「否認」しています。
しかも、その本質と対極の姿が全体に浸透していて、非常に笑える。

ルシフェル天使長と聞いて、何を想像するかといえば、まあ、日本人なら
「吊り目、切れ長、ストレートの黒髪、スマートで理知的でクールな少し甘めのテノール」ではないでしょうか。


ざんねんでーしたー。
真逆なんですよ。
「大きなたれ目、長いまつげ、くるくる金髪垂れ目のマッチョバリトンひょうきんもの」でーしたー。

んでもって、超天才です。
ちなみに、神と悪魔は同じ行動をしています。
その行動の終結時に刈り入れとして「麦」と「毒麦」を分けるのです。

救い?
よくわかりませんが、神様はこう言ってましたね。
「救われるものを探しているのではない。私の故に働く者を探している」と。
宣教しろってことでしょうかね。
ちなみに救われた人のうちで、能力が高い、徳が高い人はすべからく地獄に「行き」ます。
永遠の世界でも宣教ですわ。

ウケる。


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