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台湾・高雄市長リコール投票(2020/6/6)の周辺(調べたことメモ)

2020年6月6日、高雄市市長のリコール投票が行われた。高雄市は台湾の直轄市なので、立場としては知事クラスにあたる。今回リコールされた市長は、国民党の韓国瑜氏。韓氏は2018年11月24日の高雄市長選挙で当選。その後、2020年1月11日の総統・副総統選挙に国民党の総統候補として出馬、落選。総統選挙準備中は3ヶ月市長業務を休んでいた。その後今回のリコールが提議され、可決成立した。

韓国瑜氏については、Wikipediaの日本語版にもまあまあ詳しく説明が載っているのでここには詳しく書かない。
▼「韓国瑜」Wikipedia(日本語)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E7%91%9C

私個人はこの件について、特定の立場に立った賛否の意見は持っていません。あくまでも、「何が起きているのか」「どういうことなのか」が知りたくて調べ、知ったことをシェアしているものです。議論をしようとは思っていませんのでご了承ください。

■台湾のリコール制度は日本とは違う

日本は署名1回、台湾は署名2回で住民投票が実施できる。

●日本:
 ①署名を集めて解職請求(有権者数の3分の1以上)
 ②住民投票
●台湾:
 ①署名を集めて解職提議(有権者数の1%以上)
 ②署名を集めて住民投票決定(有権者数の10%以上、①は含まない)
 ③住民投票(成立条件:投票率25%以上)

日本は住民投票実施までに有権者数の3割超から署名を集めなければならない。台湾は、①・②合わせて11%の署名がボーダーラインだが、住民投票では、③投票率が25%を超える必要があるというのが大きな違い。高雄市の人口は228万人。今回は、

①第1段階:必要数1%(2万2814人)→実績2万8560人
②第2段階:必要数10%(22万8134人)→実績37万7662人
③第3段階:必要投票率25%(57万4996人)→実績42.14%(賛成93万9090人/反対・無効票を含む投票総数は96万9259票)

という数で可決された。

日本と台湾のどちらが厳しい条件といえるかは判断が難しいところだ。
ただ、国民党による独裁が長らく続いていた台湾では、1975年まで罷免制度自体が法整備されていなかった。(ちなみに台湾の白色テロ:政府による反体制派弾圧は1947年~1987年、世界最長の戒厳令として知られる。)

かつての罷免投票実施の条件はこれ以上の厳しさだったため、過去にリコールが成功した事例はなかった。その後、数回の法改正の中で徐々に条件が緩和されていき、現在の数字(①1%+②10%)になったのは2016年(民進党・蔡英文政権下)。
2017年、村長レベルのリコール(投票数1000余)が初めて成立した。有権者数が多い大都市でのリコールは、多くの人が署名・投票行動をしないと実現しないので、やはりハードルは高い。

■台湾の選挙は戸籍地に選挙権、不在者投票・在外投票はない

日本のように戸籍と住民票が分離していない台湾では、選挙権は戸籍地のものとなる。また、不在者投票・在外投票などの制度はない

出身地外に就学・就業していても、戸籍はそうそう動かすものではない(日本と同じ感覚)ので、投票をしたければ、投票当日、戸籍地(実家)に戻るしか方法がない

台北市の労働保険加入者数は約237万人(2018年)、うち台北市に戸籍のある労働人口は約133万人なので、外地から台北に仕事をしにきている「北漂族」は100万人以上と推計される。(2018/10/16、TVBS新聞網)
2020年1月の総統選挙の投票率は74.9%に達したが、台北市などの大都市から「選挙帰省」した人(学生なども含む)の数は相当な数になるはずだ。

とはいえ、投票をするためだけに帰省するというのは結構な労力がかかる。台北-高雄は、東京から名古屋または仙台くらいの距離だ。新幹線(高鐵)なら自由席でも往復で1万円を超える交通費がかかる。

■リコール投票の難しさと、史上初の市長罷免

誰かを応援して投票するという通常の選挙とは異なり、リコールは特定の一人の人物に対して「辞めろ」という意思を示すネガティブな行為だ。その特定個人(今回は韓氏)に対してよほど強い不満を持っていなければ、わざわざそのために実際に投票所へ足を運ぶという行動にまではつながりにくい。

リコールというのはそれほどに成立が難しいもので、台湾の政治学者の事前評でも、投票が有効となる投票率25%を上回るかどうか半信半疑の状態だった。(上述のように台湾には「在外有権者」が多く、投票のために長距離移動が必要な人が一定数いる。)

韓氏が高雄市長に当選した時の高雄市の有権者数は228万1338人、投票率は73.54%、得票数は89万2545票(次点で落選した民進党候補の得票数は74万2239票)だった。

今回の投票率が42.14%、投票総数は96万9259票(うち罷免賛成は93万9090票)に達したというのは、以下に紹介する事情も考え合わせると、本当に歴史的な出来事だったと思う。

■韓陣営の「不投票」呼びかけ

今回のリコール運動関連で個人的に一番驚いたのがこれ。
リコール請求に対抗する韓陣営が、支持者たちに「投票に行くな」と呼びかけたことだ。

今回のリコールは、
①罷免提議:2020年1月15日通過
②投票請求:2020年4月17日通過 した。

その約1ヶ月後、投票を半月後に控えた韓国瑜氏が5月15日、支持者に向け動画メッセージを発表した。曰く、
「民主は多様性を尊重し、自由を有しています。
私たちは自分の意見を表現する権利と方法を持っています。
6月6日は投票に行かず、どんな政治活動にも参加しないでください。

▼韓國瑜 公式Facebook(2020/5/15)【6月6號出門遛遛挺商家】

「リコール反対の意思を表明する」ために「投票に行くな」と呼びかけたのだ。ん???反対票を投じるのではなく?

上にも書いた通り、台湾は日本とは異なり、リコールには25%の投票が必要だ。今回、高雄市の有権者数の25%は57万4996人とされ、投票数がそれに達しなければ投票は不成立、つまりリコール失敗となる。
韓陣営は、投票結果ではなく、投票率未達でのリコール失敗を目指した訳だ。

この時、私が感じた疑問は2つ。
[1] 2018年の市長当選時、89万2545票もの票を集めたのにこの戦略?
(その後、現在までにどれほどの支持者が離れ・残ったのかによるが、それにしてもずいぶん後ろ向きな戦法だ。)
[2] そもそも「不投票」が「反対の意思表明だ」というロジックがわからない。
投票=有権者の意思表示であって、不投票は「白紙委任(どうなっても関係ない・文句は言えない)」ではないだろうか?
(韓氏は開票後の記者会見でもこのロジックを使った。詳細は後述)

■投票所設置トラブルと「監票(投票監視)」の動き

台湾でも、選挙の投票所は学校・公民館など(その他、寺や廟も投票所になるのは台湾らしい)が使われる。今回のリコール投票では、市長選挙時と同程度の投票所を設置する動きだったが、高雄市教育局は新型コロナ対策を理由に、学校への投票所設置に難色を示し、制限した

リコール推進派は、これを投票所設置の妨害圧力として非難した。投票所の数が減れば自宅から遠くの投票所にまで足を運ばなければならず、投票行動の抑制につながるためだ。

投票所設置場所の確保が遅れる中、最終的には中央選挙委員会が高雄市の教育局と民政局に対し、選挙業務に協力するよう通達するに至った。ぎりぎりまで紛糾しつつも、最終的には計画通り2018年の市長選挙時と同じ1823ヶ所の投票所が設置された。

▼罷韓投票所洽借 中選會盼高市府督促各機關提供(2020/5/1 19:51 中央社)

また、5月15日の韓国瑜氏の不投票呼びかけに呼応し、支持者たちは「不投票キャンペーン」を始めた。(図版出典:韓國瑜&中天正藍軍Facebookページ https://www.facebook.com/Danielisquiteaman/)

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さらに、投票所入口にビデオカメラ等を設置し、投票者を撮影・監視しよう(「監票」)という動きも広がった。反対派は投票に行かないことにしたので、投票所に現れる人=賛成派に圧力をかけようという訳だ。

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韓氏の支持団体は全1823ヶ所の投票所に「選挙監視」のボランティアを派遣すべく大規模な募集を行った。業務内容には「投票所のライブ配信」などと書かれている。

▼挺韓團體號召志工監票 今晚勤前演練(2020/6/5 20:52 聯合報)

これは、投票所内で投票の正当性を監督する「立会人制度」とは別のものだ。有権者の投票の自由を確保するため、日本では憲法で「投票の秘密」が保障されている。台湾でも同様で、投票所の運営を視察することは可能だが、有権者の秘密投票を行う権利に干渉することはできず、投票所入口から30m以内では投票者を意図的に撮影したり投票妨害をしたりしてはならないと刑法で決まっている。

高雄市警察は投票活動の秩序維持のため8000人以上を動員するとした。投票当日(6日)には、複数の投票所にビデオカメラを回すリコール反対派が現れ、選挙管理委員会から30m以上離れるように指示される場面がテレビ報道された。

■リコール投票は、賛成93万9090票、投票率42.14%で成立した

2020年6月6日(土)、住民投票が行われた。投票成立に必要な有権者数57万4996人を大きく上回る投票数があり、リコールは成立した。以下、投票に関するデータ。

・投票人数:96万9259人(不投票:133万722人)
・有效票:96万4141票
・無效票:5118票
・投票率:42.14%
有効票のうち、リコール賛成は93万9090票(97.4%)、反対は2万5051票(2.6%)。

リコール反対派は「不投票キャンペーン」を実施していたため、ほとんどがリコール賛成者による投票となった。ネット上では「89万票で当選した人物を57万票の投票で罷免するのはおかしいのでは」というような意見も見られたが、蓋を開けてみれば、2018年の高雄市長当選時の韓氏の得票数・89万2545票を4万6545票も上回るリコール支持票が積み上がった。
文句のつけようのないほどに、高雄市民の強い意思が明らかになった形だ。

■韓国瑜氏記者会見、驚きの「2つの感謝」

開票作業が完了する前にリコール成立が確定し、韓国瑜氏が記者会見を行い、冒頭で「2つの感謝、3つの遺憾、1つの祝福」があるとした。私はここでも驚いた。(私はネットで生中継を見ていましたが、会見全文はその後も見つけられていないので、細かいところは省略します。)

■1つ目の感謝:2018年の当選時に支持してくれた89万人の支持者に感謝する。
この会見が始まった時点では、リコール賛成票は80万ほどだった。なので繰り返し「89万」という数字を強調するのは、自分が多くから支持されていることのアピールだろう。しかし、最終的にはリコール賛成がこの89万を上回ってしまった。

■2つ目の感謝:130万人の不投票者が、不投票という行動で私への支持を示してくれたことに感謝する。
生中継を見ながら思わず「はい?」という声が出た。
今回の有権者数から投票数をマイナスしたもの=自分への支持
ああ、このロジック、私にはどう考えてもわからない。不投票の人たちは「全員」韓国瑜氏の支持者だと決めつけられる根拠は一体何だ?
(そしてリコール反対票を入れてくれた2万5000人は「支持者」ではないのだろうか?)

今回の投票の有権者数は229万9981人。まあ約223万人だ。
2018年の高雄市長選挙の投票率は約70%、3割弱は何らかの理由で選挙での意思表示をしていない。せめてそこは外すとして、
223万×0.7=約156万、156万-賛成93万=約63万が韓氏支持
・・・あ、これだとリコール賛成派が多くなっちゃうから使えないのか。

「遺憾」のところは、まあひたすらに自分の業績が認められなかったことへの恨み節(民進党政府を名指ししての)。「祝福」は、これからの高雄市に幸あれ、ということだった。

それにしても、130万人が自分を支持している(から、法的には仕方ないけどリコールは不当だ)という言い分には本当にびっくりした。この発言を「そうだそうだ!」と納得する人はいるんだろうか。いやほんと、びっくりした。

■その後のゴタゴタ、「白眼女神」に対するリコール運動

韓国瑜氏は、庶民派を謳い親しみやすさを前面に押し出して選挙活動をした人物だ。市長選の選挙戦では、熱狂的な支持者「韓粉」(「粉」は「ファン」を表す「粉絲」の意味)を得た。スローガンは「高雄大繁盛(高雄大發財)」で、経済政策を強調して当選した。

「韓粉」が今現在どれくらいいるのかはわからない(少なくとも不投票者130万人全員ではないと思う)が、リコールが成立した瞬間に泣き崩れる支持者や、ネット上でリコールへの不満を示すコメントも見られる。投票当日夜、韓氏の支持者である許崑源・高雄市議会議長が自宅マンションから転落死した(自殺とみられる)ことも韓支持者の怒りに拍車をかけている。

そんな中、「リコール投票をするために、春節頃に50万人の若者が高雄に戸籍を移動した」というフェイクニュースが流れたりもした。中央選挙委員会はこれを否定。

2020年1月総統選挙時の20~29歳の有権者数:35万9926人
2020年6月住民投票時の20~29歳の有権者数:35万7913人(2013人減)
(また、選挙権は戸籍移転後4ヶ月居住しないと得られないので、春節時に移転登記しても今回の投票には参加できない。)

▼網傳50萬青年遷戶口高雄 中選會駁:人數無顯著變動(2020/6/8 18:03 聯合報)

さらに、韓氏支持者による別のリコール運動も行われている。その対象は、民進党ではなく、若者中心の新進政党「時代力量」の黄捷という女性だ。1993年生まれの27歳(2020年時点)の高雄市議会議員で、選挙区は鳳山区。

彼女が一躍有名になったのは、2019年5月3日の市議会質問。韓国瑜氏に対して、経済特区の進捗や内容について鋭い質問を浴びせた。韓氏は「数日中に文書で回答する」と一言述べて着席し、黄氏が繰り返し質問しても、一切具体的な返答をしなかった。
韓氏の態度に呆れ返った黄氏が天を仰いだ時に白目をむいたように見えたことから「白眼女神」というニックネームがついてしまった。
そのやり取りの一部始終は動画で残っている(中国語です)。

▼20190503兩岸小組及中國行專案報告 黃捷質詢

この動画は大きな話題となり(私も当時台湾の友人に教えてもらって見た)、韓氏が「高雄大繁盛(高雄大發財)」のお題目を繰り返すばかりで具体的な回答をしなかった姿が、同氏の印象を著しく損なわせたのは確かだろうと思う。

なお、この時の質問は「高雄市に既にある同様の港湾特区と、韓氏が推進するという経済特区は何が違うのか、例をひとつでも挙げてほしい」というものだった。韓氏支持者からは「全ての分野に精通した専門家ではないのだから答えられなくて当然だ」「前高雄市長の陳菊氏も自分で各論は答えていなかった」などのコメントが付いている。陳菊氏の答弁については事実関係はわからないが、韓氏がこの時、答弁を完全拒否するような態度だったことは動画から見て取れる。

そんな訳で、おそらく韓氏支持者たちに相当嫌われているはずの黄捷氏に対し、リコール活動が始まった。韓氏のリコール投票で一旦中断したが、再開されたという。

▼罷韓後第一槍!黃捷挫咧等「罷捷」連署明重起跑(2020/6/7 20:48 中時)

なお、今回の市長リコール投票の結果について、韓国瑜氏は抗告することは諦めた。

▼韓國瑜遭罷免不提訴訟 謝龍介爆原因(2020/6/9 16:26 聯合報)

これほどまでに強烈な民意を示されてはどうしようもないということかもしれない。
日本のメディアでは「親中派の韓氏がリコールされ、中台関係にも影響」というような書かれ方をしているものが多い(今後台湾政治の専門家の分析などは出ると思うので待ちたいと思う)。

今回のリコールは他にも様々な要素が複雑に絡んでいて(高雄市民にとっては身近な高雄市政だって重要だ)、投票前後にも色々なことが起こっている。きっとまだまだ続くだろう。

(※今回は国民党の韓国瑜氏が罷免されたという内容なので、引用記事はあえて親民進党メディア以外を選んで載せています。)

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