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伝えたという変わらない事実と、誰もわからない未来と

予言なんてなにもできない、未来なんて誰にもわからない。だけど、悪い予感を感じてしまう時がある。

言葉しか交わしてなくても、表情を見ていなくても、なんだかインターネットの電気信号から放たれてる空気が、グレーだなって感じる時がある。これは完全な主観だ。

逆に、あかるくオレンジ色になったなと思う時もある。感じすぎてしまう。勝手に。本人に訊けば良いのだろうけれど、なんだか今でもコミュニケーションの仕方について、まだまだわたしは悩んでいる。人の数だけ答えもなくて、正解なんてなにもなくて、時と場合と1秒でも違えば、こころの気持ちは変わっている。常にグラデーションのような世界の中で、私たちは生きている。

何の言葉をもらったからといって、安心できるような簡単な人間でもないし、自分でもよくわからない。そんな自分自身の心がグレーだなと、どんより曇り空になっていても、良いのかもしれない。そんな日もある。だって、天気だって1週間、ずっと曇り空の時もあるから。

無理にあかるくしなくても良い。だけど、ここぞという時のエンジンを充電しておきたい時もある。ガソリンが切れて息切れになって、コロコロ落ちてしまうのはすこし怖い。

自分の人生だから自分でいきたい。でも一人だけだと、どうしようもないときもある。そのバランスが難しい。頼られたい時もある。むしろ、尊敬している人には頼られたい。だけど、その人の人生をどうにかしたいとは思わない。エゴを働かせたくはない。だけど、心配になってしまう時がある。

そんなことを思いながら、ゴロゴロと過ごしてる日も良いのかもしれない。

いつだって、迷いながら生きてる。それでも決断しながら生きている。何かに触れながら、支えてもらいながら生きている。何かに影響も受けている。

触れることで、ハッとさせられて助かったことが何度もある。触れることで、心があったかくなって、すこし頬が緩んだこともある。傷ついたこともある。気づいたら、目が滲んでいたこともある。言葉には、そんな、エネルギーがある。

その行動が良かったかなんて、そんなすぐには、わからない。すぐにはわからないのに、すぐに良かったと思いたくなってしまう。何かに悩んでも結局は自分の人生であり、人の人生だから、だけど頼らせてもらう時もあるし、頼って欲しいときもある。けれど、結局はみんなそれぞれが決断をして生きているはずだから。

そんなにすぐに焦らなくても良くて、とても遠くて、とても後ろで振り返った時に、そんな時もあったよねって思えればそれでよいのかもしれない。

何かを伝えたことを後悔しながら、なにも伝えなかったらまたそれはそれで後悔しながら、心配性な自分という人間とはこれからも向き合っていく。お節介と言われる自分と、よく気がつくねと言われる自分と、いつだって天秤の弱みと強みと背中合わせで生きている。

ここまでスマホで、ベットに横になりながら、綴りました。このnoteを読んだ後に、少しだけ自分の言葉で何かを紡ぎたくなって、紡いでみました。

noteを挿入しようか迷ったけれど、自分はこのnoteに影響を受けたことは間違いない事実なので。

朝からとても雨が降っていたけれど、気づいたらやんでいて、自分の心も少しだけ平穏さを取り戻している。自分は、天気に左右されすぎているんじゃないかと、最近思いながらも、そんな日々を生きている。




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