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Photographerと名乗ることを決めた理由。

人生で初めて、写真撮影の依頼を受けた。

写真を撮影してくれる方を探していて、撮影する方の想いを聴いた時に、ゆうこちゃんに撮影してほしいと思ったので、ご連絡しました。

そんなニュアンスで、お声がけをいただいた。

これまで、自分が楽しくて、好きで、撮影していた写真を、プレゼントしていたことはある。同じ大学出身だから...といった文脈ではなく、偶然の重なり合いで出逢った方に、自分のことを思い出して、ご依頼いただけることは、とてもうれしかった。

Photographerと名乗るには、まだまだ遠い世界かもしれないけれど、Photographerの意味を調べてみると、「主に写真を撮影もしくは製作する事を生活の中心にしている人」とのことだった。

生業にはなれていないけれど、自分が生きている中で、カメラを持って、いろいろな風景を切りとることは、一つの精神的な安定剤になっている。カメラを通じて、世界と対話をして、自己内省を深める感覚。

だったら、名乗ってみたいなと思い、写真専用のアカウントを作ってみた。

アカウントを分けた背景には、こんな気持ちがあった。

写真家と名乗ろうと決めたのは、アーティストの側面で、無名の自分がどこまで勝負できるのか、挑戦してみようと思ったから。

自分自身、人間性に惹かれて好きになったアーティストさんはいる。だけれど、「作品」がきっかけとなり、私のことを知らなかった人が、情ではない部分で、作品に惹かれ、自分という人間を知ってもらえる世界を経験してみたくなった。
最近、ずっと考えている。対等な関係になるとは、どうゆう状態なのか。尊敬してる方々と、対等な関係で話せるのが、自分の幸せなんだなって、改めて気づいたあの日から。
対等な関係は、相手も自分のことを認めてくれてる感覚。
挑戦してる人に魅了されるなら、自分が挑戦し続けないと、ただの憧れでファン止まりだと思った。

将来的に、アーティスト(表現者)さんと、対等な関係のコーチ(伴走者)になりたいなら、自分も表現者であらなければと、最近強く感じている。作品を生み出す苦しみ、作品で世界と繋がれる、よろこびと悔しさと辛さと、向き合いたい。

写真家と名乗ってみることで、自分の中での向き合い方をアップデートしたい。そして、どこまで挑戦できるか、自分の実力と、責任と、辛さも含めて、全部味わってみたくなった。
自分自身が、挑戦していたり、表現者の側面がないと、その人と対話をする中で「どうせあなたには、この気持ちわかってもらえないよね。」となってしまう気がしているのだ。たとえ、尊敬する気持ちを持っていたとしても。

なぜなら、自分自身も、目の前の人に対して、心に蓋をしてしまう瞬間がある。それは、「わかってもらえないだろうな」と感じ取ってしまう瞬間があるからだ。
自分自身が、同じ苦しみを味合わないと、コーチとして、伴走者として、湖畔の気持ちで傾聴できないのではないか、そんなことも思い始めているのは事実。

そんなことはないかもしれないけれど、今は、そんな気持ち。

だから、自分もアーティストだと名乗り、背負えるものや感じ取れるものを感じて、苦しみを経験したい。

写真専用のアカウントを作り、写真家さんのTwitterアカウントをフォローする中で、自分が知らない世界に、驚き、早速心が折れそうになったのも事実です。

いろんな写真に触れると、自分の写真は、まだまだだなって思うけれど、自分の今のベストを尽くすことしか、今の自分にはできないから、ベストを尽くしながら、磨いていくしかないんだなと。知らない世界に触れると、結局いつも自分の実力に、おちこむ。音楽もそうだった。

そんなコトバをツイートしていた。

こんな気持ち。

トップの写真は、雨の街を歩きながら、撮影した一枚。雨の写真を撮ることなんて、なかったけれど、雨だからこその風景があるのだなと、いろんな写真家さんの写真を見て、知って、カメラを持って、歩いてました。

正直、想いを綴りながら、晴れやかな気持ちはなく、なぜだか不安の方がいっぱいです。「何勝手に名乗ってるの?」とか、いろんな目線が気になるけれど、これはもう覚悟のお話な気がしてきました。楽しむ気持ちは、忘れたくはないけれど、苦しさも含めて、味わってみたくなりました。







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