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宮地 豊   桜井さんへのエピソード

私と桜井さんの接点を時系列に追うと、私が造形大学の学生時代に授業で教わったかどうかは記憶にはない。まだ講師ではなかったのかもしれない。
私が新制作展に出品してから、桜井さんとはあの作品を作っている人だな、と認識した。その後、私が造形大学の石材関係のの非常勤として入り(2005年位?)、桜井さんが辞める2年位大学で重なる時期がある。

私が新制作展に出品していた頃、展示作業で一緒に台車を押したりした。穏やかな口調で、「とりあえず、これ持って行こう」とか「ここで(置いとけば)いいんじゃない」とか。全体がざわざわしている中、マイペースというか、やること、やれることをするという感じで、初めて位の出品で、なんだかわからない中で、頑張りすぎない、立ち位置的なことを思った。

造形大学の非常勤に行くようになって、「宮地君の作品で、新制作展の初めの頃の「鳥」の作品が一番いいと思う。」というようなことを言われた。「もっと、早く言ってよ~」などと雑談したことがある。自分でも最初の頃作ったものは、フレッシュなせいなのか、一生懸命だったのか、なんだかいいなと思ってはいたのだが、面と向かって言われると、やっぱりそうかと安心する反面、ではその後の仕事は何?なんだか入り混じった気持ちになった。卒業後に、抽象形態へ迷っていた頃に聞いていたら、違った今になっていたかもしれないなと思った。
 また、石の授業では、相手の話をよく聞いて、穏やかだがキッパリした口調で「それで、いいんじゃない」「それはちょっと~じゃないかな」とか。面倒な質問も、うーんと考えながら対応していた。「大学での授業って、今はどんな感じですればいいんだろう?」と思っていた頃だったので、あんな感じですればいいのかと参考にさせてもらった。気張らず普通に、穏やかに、相手の言うことを聞いてあげる感じ。

またある時、石の首像制作の授業で、その制作過程、進行のための配布用プリントを、井田さんからお願いされて、桜井さんはとても困っていた。結局、桜井さんのオリジナルなものではなく、船越保武氏監修の本からの抜粋が部を占めたものであった。私としては、桜井さんの見方とか、作業の進め方とかが見られるといいなと思っていたので、ちょっと残念だった。本人的には、隠すことでもないけど、結局は我流な進め方だし、授業でそれを~、皆に基にして云々するのは~、という感覚でもあったのだろうと思う。または、作品つくりという個人の見方や表現なのだから、メソッド的なものはない方が良いということだったのかもしれない。「これからの若い人のことは、若い人に任せて~」なのだから。

桜井さんと私は、特別な出来事はないが、こうやって振り返ると折々にお会いしている。そしてああいうスタンスであれればいいなと思う。穏やかだが、キッパリと。小さい声を聞く感じ。
私もいつか辞めるのだろう。時々、桜井さんはすっぱり辞めたよなぁと、密かに参考にしている。

                      2020.2.2 ミヤジユタカ

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