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にしがきゆうこができるまで vol.10

予告通り、アメリカ留学の話です。

全米で2番目に小さな州へ

1ヶ月のオーストラリア旅行で、
「もっと英語が話せるようになりたい!」と
思った私。

母の知人が大学で教鞭を取っていたため、
全米で2番目に小さな州であるデラウェア州の
デラウェア大学ELI(English Language Institute)
で学ぶことにしました。

ELIのホームページから資料を取り寄せ、
英語のパンフレットをなんとか解読し、手続き。

帰国便の日付のないオープンチケットだったので、
アメリカに永住する意思がないことを示す必要があり、
当時のバイト先上司に事情を話して
「帰国後に就く仕事がある」という
念書のようなものを書いてもらったりしました。

新学期は5月から始まるので、GW前に渡米。
まずはダラスで乗り換えだったのですが、
そこで目にするアフリカン・アメリカンの人々に
「アメリカだー!」と衝撃を覚えました。

ミシガン州立大に留学していた友人のところで
1週間くらい滞在し時差ボケを治してから(笑)
デラウェア大学のあるNewarkへ移動。

こうして私のアメリカ留学生活が始まりました。

アメリカでの生活

Newarkは大学の街で、キャンパスを中心に
街が広がっているような小さな都市です。
私は最初、大学の寮に入りました。

寮はELIの生徒ばかりの4人部屋。
韓国人・ブラジル人・ベネズエラ人の
ルームメイトと一緒でした。

やはり文化的に韓国人とは気が合い、
ブラジル人やベネズエラ人とは
衝突することもありましたが、
(みんなで決めた掃除をするとかしないとか…)
これも多様性を学ぶいい経験になりました。

寮の別のフロアには大学生もいたのですが、
やはり白人は白人同士、黒人は黒人同士で
集まっていることが多い
んだなぁというのも
ここでの生活で気づいたことです。

前述の母の知人、デラウェア大学の先生は、
日本文学が専門で日本に住んだこともあり、
奥様は日本人なので、お家は日本仕様。
週末にはお家を訪れてNHKを観たり、
夕食をご馳走になったりして
息抜きをさせてもらいました。

最初の4ヶ月ほどは寮にいたのですが、
ホームステイもしてみたいと思うようになり、
母の知人の先生に紹介してもらう形で
別の大学教授の女性のお家にお引っ越し。

プエルトリコ出身で、アメリカ人の元旦那さんと
離婚して独り身という自立した女性。
付かず離れずのとてもいい関係を築いてくれた、
私のメンターと言っても過言ではない素敵な人です。

感謝祭には元旦那さんのお家に招かれ、
独立している2人の息子さんと会ったり、
ご家族と一緒に伝統的なサンクスギビングを
お祝いするという、当時の私の常識からすると
「えっ⁈」と驚くような経験をしたのもいい思い出。

この家にホームステイしたおかげで、
私の留学生活はますます楽しいものになりました。

失恋と勉強

実はわりと早い段階で、クラスなど一緒だった
日本人と付き合い始めたのですが、
結局3ヶ月ほどで「勉強に専念したい」と言われ
失恋してしまいました。

当初は落ち込んだものの、
「私は勉強に来たんだった!」と我に返り(笑)
ちょうどクラスも上級クラスになったので、
それからは勉強に打ち込む日々になりました。

複数の題材を読んでレポートを書く、というような、
日本語でもあまりやったことのないような
宿題が出されたりして、とにかく毎日遅くまで
図書館で必死に英文を読み解く日々。

日本語だとさらさらっと読んでしまいますが、
英語で書かれてある分、しっかりと理解しながら
読み進めないと訳が分からなくなってしまうので、
ちゃんと理解できるまでかなり読み込みました。
(でももう20年経って忘れちゃったなー…)

軽い気持ちで中学受験をして以来、
一夜漬けの勉強しかしてこなかった私。
恐らくこの時が一番勉強した期間だと思います。
とにかく頭を使いまくりました。


長くなったので2回に分けますね。

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