にしがきゆうこができるまで vol.15
失恋と共に京都へ戻ってきたら、
仕事に遊びに楽しい毎日が待ってました。
ついに専攻を活かすときが来た!
京都へ戻るにあたって職を探していたら、
ひょんなご縁で小さな編集プロダクションの
正社員になることができました。
社長は元・地元紙の新聞記者。
定年退職された後、この会社を立ち上げられ、
医療関係を中心に、記者時代の人脈で
執筆や編集の仕事が入ってくる会社でした。
娘さんが経理を担当され、
それ以外の社員は私ともう1人だけ。
のんびりとした雰囲気で、
様々な仕事を任せてもらえました。
中でも楽しかったのは、
某フリーペーパーのコーナー記事担当。
「輝く大人のライセンス」というタイトル、
いまだに忘れられません。笑
京都で何かしら頑張っておられる方を
紹介するようなコーナーで、
ネットで検索してはコンタクトを取り、
取材して記事にしていました。
自分が「この人の話が聞きたい!」と
思う人を自由に取材できたので
とにかく取材自体が楽しかったし、
記事にしてチェックをお願いする度、
「言いたいことを上手くまとめてくれた!」
と言っていただけるのが何より嬉しかった。
ま、最終的にはこのフリーペーパーが
広告主体のものに変わってしまい、
この仕事自体がなくなってしまったのですが(涙)。
それ以外にも、京都では割と大きな規模の
医療法人が顧客にいて、
地域連携の広報誌を作ったりもしていました。
これは、取材はほぼ社長の仕事でしたが、
写真撮影・文字起こしから紙面データ制作まで
やらせてもらっていました。
和歌山県御坊市の病院も顧客だったので、
時々は特急くろしおに乗って御坊まで
出張に行ったのも懐かしい思い出です。
よく遊んだアラサー時代
実家に戻っていて、仕事も楽だったので、
この頃はよく遊んでいました。
仕事帰りに映画を観に行ったり、
祇園にある知り合いのバーで飲んだり、
同級生に声をかけて飲み会を開いたり。
また詳しくは次回にでも書きますが、
ブログやmixi、カウチサーフィンといった
ネットサービスで繋がる人も出てきて、
そんな人たちと遊ぶことも。
週末はフットサルにサーフィン、
冬はスキーやスノボに行きました。
フットサルのチームメイトは
20代前半の子が多くて、
当時流行っていたダーツバーにも
ちょくちょく行ってたなぁ。
タイミングさえ上手く取れば
仕事は1週間休むこともできたので、
2年目と3年目には海外にも行きました。
多くの人(特に女子)はこの状況だったら
もっと貯金してるのかもしれませんが、
私は自分の遊びに使ってましたね(汗)
とにかく、とことん遊びまくったと言える
約3年間でした。
暇すぎてバイト始める(笑)
結構遊んではいたものの、
仕事はほぼ定時、実家住まい、ということで
暇を持て余した私。笑
3年目はマレー半島縦断をしたのですが、
その旅行を決めた際、行先の一つである
タイのことをもっと知りたくて、
タイ料理屋でアルバイトすることにしました。
副業OKかどうかとか、
確認した覚えはありませんが、
まぁOKだろう、と勝手に判断w
シェフはタイ人ばかりのレストランで
ここでいろいろなタイ料理の
メニューを覚えることができました。
元々、学生の時から卒業後まで
飲食店のアルバイトが長かったし
接客が好きだったので、
このアルバイトもとても楽しかったです。
旅行後しばらくしてから、
Webの専門学校へ通うことにしたので
アルバイトは辞めました。
もうお店はなくなってしまったのが残念。
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