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にしがきゆうこができるまで vol.13

アメリカ留学からスキーのために帰国して、
その後1年間は実家のある京都にいました。

浦島太郎なインストラクター

2000年の終わりはスキーキャンプで過ごし、
さぁ2001年、何から始めよう?と思った時、
やってみたかったインストラクターをしよう、
とふいに思いつきました。

リゾートバイトってやつです。

毎年のように通っていた志賀高原で、
スキーインストラクターのアルバイト。

主には修学旅行生を教えるんですけどね。

京都の男子高校生のグループだと、
「カラオケ行こう」とか誘われたなー。
ゲレンデマジックってやつでしょうね。笑

イントラ仲間とは合宿状態で、
だからいろいろ色恋沙汰もあったけど、
それなりに楽しかった。

アメリカにいたおかげで、
当時の流行りを全く知らなかったので
それは結構いじられましたが。笑

ホテルでのお仕事

春になって、京都に戻り、
また仕事を探し始めました。

せっかくだからやっぱり英語を使う仕事?
英語を使うならホテルかなー?
と、京都駅前にある某ホテルで
宿泊課のアルバイトを開始。

ここで頑張れば、いつかフロント業務とか
英語使うポジションに行けるかな、
と思って勤めていましたが、
仕事は単純作業でとても簡単な上、
上司がやたらと私の仕事を褒める、
というのがだんだん嫌になってきて(笑)、
別の仕事を探したところ、
大阪の一流ホテルでの仕事を見つけました。

そのホテルは外国人ビジネスマンの利用も多く、
朝食を出すレストランの座席案内係、
というのが私の仕事。

日本人の場合は他のスタッフも対応しますが、
外国人の場合は私が英語で対応、という感じ。

それほど難しい内容ではありませんでしたが、
普通のレストランのアルバイト経験しかなく、
ビジネス英語も勉強してこなかったので、
毎日とても緊張して勤務にあたっていました。

また、ホテルレストランの配膳係は、
結構ピリピリしていてキツイ人が多く、
その雰囲気にもなかなか慣れませんでした。

そして、朝食時がメインの仕事だったので、
勤務開始時間が7時からととても早く、
京都の端から通っていた私は自宅を5時に出て
始発に乗って1時間半ほど掛けて通う日々。

結局、精神的に少し参ったのか、
通勤途中で気分が悪くなるようなことが続き、
これはダメだ、と思って辞めてしまいました。

今の私だったら、もっと図太く続けられたかなー
なんて思ったりもしますが。。。
20代前半で若かったですね。

暇だけど楽しかった土産物店

ホテルを辞めたのは夏頃だったのですが、
その後、京都にある外国人観光客向けの
土産物店での接客のアルバイトを見つけました。

社員さんもアルバイトさんも、
ほとんどみんな留学経験者で、
話が合って楽しかった。

観光シーズンに向けてのスタッフ補強で
9月の初めに入ったのですが、
その年の9月11日、あのアメリカの
同時多発テロが起こりました。

当然、観光客の客足は減り、
私の入った後も本当はまだアルバイトを
採る予定だったようですが、打ち切りに。

幸い、私はクビになることはなく、
観光客も多少は来日していたので、
ゆったり楽しく接客しながら
契約期間の3ヶ月を過ごしました。

ビジネスマン相手のホテルと違って
観光客相手の土産物店だったので、
ホテルの時よりリラックスして
英語を話すことができたということも
楽しかった理由の一つ。

日本の伝統工芸品のようなものも
いろいろと取り扱っていたので、
お客様に説明できるような知識は
ある程度教えてもらうことができ、
教養を増やすいい機会になりました。

遠距離恋愛解消へ

実はこの時、遠距離恋愛をしていました。
相手は、スキーイントラのアルバイトで
知り合った、埼玉出身で3つほど年下の人。

山を下りた後は千葉のパチンコ店で働いていて、
何度か私が夜行バスで会いに行っていました。

でも、遠距離がしんどくなってきたのと、
そろそろちゃんと就職しなきゃ、というのもあり、
関東での仕事を探して就職活動。

子ども向け英会話スクールの学校マネージャー
という仕事に正社員として無事、就職できました。

親には彼のことは言ってなくて、
ただ「関東で働きたい」とだけ言っていたと思うけど、
今思うとわかっていたんでしょうね、きっと。

会社が用意してくれた引越し先のすぐ近くに
父親の同級生が住んでいるということで、
車に荷物を積んで父と2人、運転を交代しながら
神奈川県まで行きました。

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