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にしがきゆうこができるまで vol.2

こんにちは。
今日から早速、私の「自分史」を書いていきます。


京都生まれのお嬢さん

1977年2月、京都市で生まれました。
大雪の1週間だったそうです。

3950gの大きな女の子。
早生まれなのを感じさせないくらいだったそう。笑

実家が呉服関係だったので、着物が身近にありました。
と言っても歴史ある家柄とかではなく、
私の祖父が京都に出てきて呉服の仕事を始めたそうです。

その祖父は「染匠」という、わかりやすく言えば
プロデューサーのような仕事をしていたのですが、
その腕はなかなかのものだったようです。

私が子どもの頃には、室町(京友禅の町)に自社ビルがあり、
別の場所に工場があったりもしました。

祖父はライオンズクラブの会長をしていたこともあり、
次男である父も会社の役員として呉服の仕事をしていました。

つまり私は、割と恵まれた環境に生まれ育った
いわゆる「お嬢さん」でした。

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同志社へ進学

京都によくある、お寺の幼稚園へ通ったのち、
住宅地にある地元の公立小学校へ入学しました。

5年生になるタイミングで引っ越しし、
それと同時に進学塾へ通い始めます。

父が同志社の出身であり、幼い頃から
「あなたも同志社に行くのよ」と
洗脳(笑)されて育ちました。

塾は土日に通っていて、
クラスメイトとお昼休みにお弁当を食べたり
近所のお寺の敷地で遊んだりするのが楽しかったです。

宿題は適当にしかやっていませんでしたが、
無事に同志社中学校へ合格しました。

実は、当時のIQは確か130を超えていました。
父は140超えだったそうなので、遺伝ですね。

中学で落ちこぼれる

そんな感じで同志社中学に入学したものの、
やはり当時京都ではNo.1の学校だったので、
優秀な人が集まっていました。

受験の時、21時からのドラマが見せてもらえず、
(一応、勉強の時間ということになっていました)
中学に入るとその反動でテレビ三昧。

そんな訳で、中学での成績はパッとせず(笑)

コツコツ覚えるタイプのものは苦手だったので、
漢字や百人一首、英単語のテストでは
いつも再テストどころか再々・再再々テスト。

そのくらいになると、各クラス数名になるので、
全クラスの生徒が集められてテストを受けることになり、
そこで幼稚園時代に仲の良かった子と再会したり。。。

ま、それでもどん底という訳ではなかったので、
高校進学が危ぶまれるレベルではなく、
一夜漬けでテストを乗り越える3年間を過ごしました。

いじめられていた?経験とそこから思うこと

中2までは普通に楽しく過ごしていましたが、
3年生のクラスにボスっぽい女の子がいて、
その取り巻きっぽい女の子のグループがありました。

私は女の子グループが苦手なタイプで、
クラスの男子とも普通に仲良くしていたのですが、
それがそのグループ?ボス?の反感を買ったのかもしれません。

気づけば、そのグループをはじめ、
クラスのほとんどの女子が私と口を聞いてくれなくなっていました。

ま、いじめと言っても、口を聞いてくれないだけで、
上靴隠す、みたいなこともなかったです。笑

最初はもちろん、かなりショックだったのですが、
母親には「別にその子たちが全てじゃない」というようなことを言われ、
確かにな、と気を取り直しました。

仲の良い男子もいるし、2〜3人の女の子は普通に喋ってくれるし。

私は小学生の頃からスキーキャンプに毎年行っていて、
そこでできた友だちとは学校は違ったのですが、
スマホも何もなかった当時は文通(!)していて、
そういった友だちも私の心の支えになりました。

この経験から、
子どもは学校が社会の全てになりがちだけど、
学校以外のコミュニティがあることを知っていれば、
自分がそういったところに属していれば、
学校という社会でうまくいかないことがあったとしても、
絶望することなくやり過ごせるんじゃないかなぁ、

と思っています。

あと、自分がいつも複数のコミュニティに属そうとするのは
もしかしたらこの経験がベースにあるのかもしれません。

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