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にしがきゆうこができるまで vol.17

誰も興味がないであろう、旦那さんとの馴れ初めです。笑
あと、ちょっと拘った結婚式についても書いているので、
結構長めになってしまいました。
珍しく写真もあるよ〜

ロケット花火大会

京都へ戻ってきて少しして、
祇園でバーを経営していた幼なじみと
ひょんなことから再会しました。

とにかく飲み歩いていた時期だったので、
そのバーにもよく顔を出していました。

その幼なじみは、夏に海で行われる
とあるイベントに関わっていました。

今はもうなくなってしまったのですが、
ロケット花火数十万発を打ち上げる
「ロケット花火大会」というイベントです。

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いわゆる、資格を持った花火師さんではなく、
一般のただの海好きなお兄さんたちが、
ときには火傷を負いながらも
一気に何千本ものロケット花火に火をつける、
という知る人ぞ知るイベントです。
(2017年を持って終了しています)

話を聞いて「面白そう!連れてって!」と
無理やり連れて行ってもらったのが、
全ての始まりでした。

BBQでの勘違い(初対面)

そんなこんなで強引にも花火大会に参加したので、
翌年のGWに行われたBBQに呼ばれました。

私は友だちを誘って参加したのですが、
そのBBQで事件が起こります!

BBQもひと段落ついた時、気がつけば
着けていたペンダントのチェーンが切れたようで、
首元にありません。

友だちと一緒に地面を見て探していたところ、
「どうしたんや?コンタクトか?」
「おい、みんな、ストップ!動くな!」
「この子コンタクト落としたぞ!」

と勝手な勘違いをする人が。笑

違うんやけどなー。
でもいい人やなー。
なんて思いながら、ペンダントであることを伝え、
結局は「見つからへんねー」なんて
話しながらポケットに手を入れたところ…

なんという偶然でしょう。
ポケットからペンダントが。

もちろん、わざとじゃありませんよ!
そしてその、勝手な勘違いをしたのが、
そう、今の旦那さんでした。

ちなみにそのペンダントは、
千葉で大失恋をしたオージーの元彼から
もらったものだったり。

総代の根回し

その後、夏になり、海の季節。

親の車を借りて海へ行っていましたが、
ある週末、親が車を使うとのことで、
どうしようかなーと思っていたところ、
「足がないなら連れていくで!」と
花火大会の一番トップである総代から
連絡がありました。

ありがたくお願いしたところ、
迎えにきてくれたのは例のコンタクト男(笑)と、
彼の車に乗った総代。

道中も現地でも楽しく過ごし、
グッと距離が縮まりました。

その後、冬になって
付き合うことになったのですが、
後から聞いた話、元々総代は
そういう狙いで私に連絡をして、
旦那さんの車で迎えにきてくれたそう。

考えてみれば、その時以外にもいろいろと
総代の根回しがあったように思います。

同じ人間

彼は、私から見ると「ドラマ?」みたいな
バックグラウンドの持ち主でした。

親が子どもの頃に離婚していたり、
きょうだいは障がいがあったり。

本人も中卒で親元を離れていたり、
婚約破棄された経験もあったり。

そうやって生まれ育った環境が
あまりにも違ったため、
私自身もとても不安を感じていて、
一度率直にぶつけたことがあります。

その時、彼が言ったのが、
「同じ人間やで」という言葉。

今思うと、「そう言ったのアンタやで!」
と言いたくなるようなこともありますが(笑)、
その時の彼の精一杯の言葉だったのかも
しれないなーと思ったり。

約1年付き合った後、1年間同棲もしてみて、
この人とだったらやっていけるかなー、
何があっても生活はしていけそうだな、と
漠然と思ったこともあり、
結婚へと話は進んで行きました。

こだわりの結婚式

年齢的に先に結婚した友達がほとんどで、
北は山形から南は沖縄まで、
あちこちの結婚式に招待してもらっていたので、
私も友だちには来て欲しい、と思っていました。

せっかく遠方から来てもらうから、
と時期や場所にはこだわり、
東山・青蓮院門跡の向かいにある
大正時代建築の登録有形文化財、
パビリオン・コートが披露宴会場。

挙式は、その近くの歴史ある粟田神社
こじんまりと執り行いました。

2010年4月4日というのがその日でしたが、
神社から人力車で会場へ向かう途中、
ちょうど桜が満開で、とても綺麗でした。

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実は私、ドレスを着ていません。
挙式もお色直し後も和装だったのです。

和装で挙式の場合、ほとんどが
白無垢に綿帽子というスタイルですが、
私は総刺繍の美しい打掛を着用しました。

親が呉服関係だったということで
こだわりたかったポイントです。

お色直しには、振袖。
私の祖父が娘、つまり私の伯母のために
作ったという古い振袖があり、
それを私の母やいとこ(伯母の娘)も
結婚式で着ていたので、
私もそれを着たいとずっと思っていました。

打掛→振袖でお色直し1回、
ドレスを着ようと思うともう一度中座し、
しかも退席時間も長くなってしまいます。

できるだけ会場を離れたくないという
想いもあって、ドレスは断念しました。

会場が大正時代の洋館だったので、
振袖は大正ロマン風な着こなし。
旦那さまはこのお色直しで洋装に。

今思うと、やっぱり結婚式って
花嫁の自己満足だなぁと思うのですが、
歓談の時間をたくさん取って、
楽しい時間を過ごせた披露宴でした。

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