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Only is not Lonely について

Only is not Lonelyという言葉は糸井重里さんによるものだ。
ほぼ日刊イトイ新聞のダーリンコラムで、ある日この言葉を読んだときに、色々腑に落ちた。

子どもの頃から、もしもこの言葉やこの考え方に触れていたら私はもっと自由だったかもしれない。

多分小学5年生くらいだった頃、父と母と3人で砧の世田谷美術館にワイエス展を見に行った。まだ春になりきれていないようなちょっと寒い初春だった。私が、砧公園のあまり葉がついていない木に登っている写真が居間に飾ってあったのを覚えているから。その日姉はなんらかの用事でお友達と出掛けていなかった。

ワイエス親子3代の展示は、アメリカの白人の20世紀前半の世界が美しく写実的に描かれ、子どもの私もわかりやすく、本当に綺麗なものを見たな。という満たされた心になったのを覚えている。
観賞後に3人で美術館のカフェに入り、周りを見回した時、自分自身がとても不思議な気持ちになった。
ここにいる人たち、私全員知らない他人だけど、それぞれにとっては自分があり、その主体の人生を生きている、見えないものを見ている、たまたまここにいる、そしてそれぞれが自分の場所にまた帰っていくんだなと、なんだかそう思った瞬間をよく覚えている。

窓の外を見ている女性、本を読みながらお茶を飲んでいるマダム、快活な小さな男の子と裕福そうな若い夫婦。みんな知らない時間を生きていることを感じた。
その時、母にそのことを伝えたいと思ったけれど、うまく伝えられそうになかったから少しだけ心の中にしまっておいた。

私は、学校生活はそれなりに楽しそうにしていたし、誰もがそう思って私を見ていたと思うけれど、なぜだか子ども時代特有の窮屈さを感じ、心と身体がちょっとズレているような感じもあった。
綺麗な絵を見て、素敵な場所で大人みたいに時間を過ごしたことで自分の考えが生まれてきたような気がした。
私の中で、初めてのOnly is not Lonely体験だ。

仕事をするようになり、どんどん責任もついてきたりすると、一人で闘っているような気持ちになることがある。実際に正直そうだったりもする。
でも、別のところで違う闘いに向かっている友人や先輩に触れると、すごくほっとすることもあるし、心が救われる時もある。
そして自分ももっと頑張ろうと思う。

一緒に闘ってなくてもお互いを称え合うのが働く個人の流儀というものかなと。そして闘っている人を励まして、自分のことのように応援するのだ。

若くて、まだ仕事の経験が浅かった時は、やっぱり不安や自分一人が頑張っていると思い込んでいたものだ。
辛い、わかってもらえない、認めて欲しいー

でも周りを見てみる。
自分のことを承認してくれない人を見るのではなく、自分よりもっと大きなものに向かっている人のことを。

誰と繋がろうとするか?闘うもの同士、見えない糸で引き合う。
Only同士で引き合う。

そっと緩い糸で、ずっと繋がっている。その先に、さらに先に繋がっている素敵な人たちのことを思って、今日もOnlyですすむのだ。


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