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舞台裏のリアルストーリー「あの時何が起きていたのか」(アルバムのコンセプト)

NEWアルバム「Oh, Baby Blue」の制作途中で大動脈解離A型を発症し緊急手術・入院となった星園祐子(作曲家・シンガー)。

本アルバムを共同制作した篠原雅弥(プロデューサー・作詞家)との対談形式で、発病の前後に実際何が起きたのか、リアルなストーリーを記録しました。

今回のアルバムのテーマを一言で言えば「自由」です。一曲一曲に描かれているのは自由を希求する主人公たちの物語です。

「自由」と隣り合わせにあるテーマが「目覚め」、さらにその奥にあるのが「死」なのかなと思っています。

そんなテーマのアルバムを制作途中で、実際に死にかけるというレアな実体験を通して、さらにコンセプトが深まり説得力が増した感覚です。

長いですが決して重たくなく、日常生活からは見えにくい景色が浮かび上がるかと思いますので、ぜひ読んでみて下さい。

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11/30にリリースしたばかりのNEWアルバム「Oh, Baby Blue」

1. 順調だった制作プロセス

篠原 えっと星園のプロデュースをやりはじめたのがいつだったっけ?あれは2020年の4月だったよね。

星園 2月くらいにやってくださいという話をしたんだったかな。

篠原 ああ、そうだね。で、4月に星園祐子というアーティストが誕生したんだね。それで一緒にいろいろやってくる中で、去年2021年の夏休みが終わった後に、2022年に向けて何をやるかということを考えたときに、20周年記念アルバムみたいなのを作りたいねという話をさせてもらいました。レガシーソングで僕作詞の作品がそれなりに数たまったので。だから作詞家20周年、プロデューサー20周年という形にできるなと。まあそれがスタートで、それを星園に相談したのが8月くらいだったんだよね。

星園 そこから収録曲を決めて、アレンジ進めたり、新たな書き下ろし曲を作ったり・・

篠原 もう一つ流れは収録曲の『Dress in a Kaleidoscope』のミュージックビデオを先行で作ったりとか。さらにその流れで『Dancing with Midnight Butterflies』のミュージックビデオを雪の中での撮影して。

星園 『Dress in a Kaleidoscope』が21年の12月で、『Dancing with Midnight Butterflies』が22年の2月?

篠原 そう。長岡成貢(※)さんが今年は雪が多いから何か雪で撮りたいみたいなことを言ってて。だったらこの曲やる?みたいな。いいじゃんぴったりじゃんという話になったんだよね。

長岡成貢:上記2つのミュージックビデオの監督、本アルバムのサウンド面からアート面まで全面的にサポートしてもらった日本を代表する編曲家・音楽プロデューサー。

星園 あーそうそう。最初からこの曲のを作ろう!ってわけではなくて、なんか突然そういう流れになったっていう。

篠原 そうそう。流れになった。でもあの雪の中で舞い降りて、妖精みたいに透明化するように、入院しちゃったという感じ(笑)。

星園 そうね。そこの流れも面白いとこだよね。

篠原 いや、面白いよ。(「私の輪郭が消えてしまうまで」って歌詞があるけど)本当に体の輪郭なくなりそうでね。僕も本当に人生の中で輪郭がなくなった経験ってあるから(笑)。その経験からなんとなく予感していたみたいなところで、あの歌詞を書いたというのもあったので。

星園 へーーー

篠原 だから、余計すごくリアリティがあって、いやいやいやとかって。そこのリアリティがあったというのは、星園が大動脈解離で突然入院したっていう流れなんだけどね。

2. 突然の手術・入院

星園 それが2月の終わり?

篠原 2月の終わり。あのときは何かで僕が東京に行く予定になってたよね。

星園 『Dancing with Midnight Butterflies』のミュージックビデオの完成試写会。その前日に、突然手術になって明日行かれない、あとは全て任せますというメール。手術前に一個だけメール送らせてと言ってスマホ持ってきてもらったの(笑)

篠原 そう。全て任してくれたって、もう本当ここぞとばかり好きなようにやっていいんだなと実は思ったんだけどね(笑)。それで、こりゃもういつ逝ってもおかしくないなという感じもあったから、ああ、データ。データもらっときゃ、みたいな(笑)。その受け取る方法がないわけよね。星園のパソコンを奪いに行くというわけにも、家に忍び込むとか、そういうことをしない限りさ。パソコン内のデータを。

星園 そう。私も同じこと思ってた。パソコン渡してもらえばいいか、でもデータぐちゃぐちゃで私じゃないと取り出せないなとかって、こう、痛みに耐えながら、手術を待ちながら。でも本当に心残りってそこだけだったんだなというのがあった。この世への未練みたいなのって、私本当にないんだなと思って。唯一の心残りがあのデータを渡してなかったという(笑)

篠原 それいい話だなあ(笑)。

星園 だからその後も早め早めにデータ送るようになったでしょ、今日死ぬかもしれないからって。完成してなくてもとにかく送っとけばなんとかなるみたいな。それが病気で一番学んだことかな(笑)

篠原 そうだよね。今から思うと、そのくらいこのアルバムづくりというか、曲づくりというかに対して、それだけが心残りだと思うくらい、なんかあるんだね。

星園 うん。やっぱり私にとっては曲づくりというのが一番、もうそれ以外はどうでもいいくらいのことで。それを、別に自分が生きていようが、死んでいようがどうでもいいから、作品として残したいっていう気持ちがすごくやっぱり強いんだと思う。

篠原 そうだよね。

星園 だから、普通だったら多分子どもの将来を見届けたいとか、あそこに旅行したかったとかっていうのは全くなくはないけど、割とどっちでも良くて。人生の中の優先順位がすごくクリアになったというか。

篠原 なるほどね。僕もやり遂げなければいけない的な感覚があったことに気付いたけどね。これは作らなければいけないんだみたいな。別に売上とかをあてにしてやっているわけではなく純粋にクリエイティブな作業をしているわけで。場合によってはこのまま氷漬け?みたいな。自分の人生はどこに行くんだろう?みたいなのもありながら。まあなんとか仕上げる方法がないか?だけを考えてた。シンプルに。

星園 でも今思ったけど、そう言われてみると、私が死んで、篠原さんがこれを仕上げてくれないということは1ミリも考えなかったね。なんかもうそこは確信してた。

篠原 それが不思議だね。

星園 ね。今気付いた。

篠原 出すということのほうが逆に狂気じみていると思うんだよ、これって。

星園 ああ、そうなのか。

篠原 だから、もうここのタイミングで僕はもう狂わなければいけないみたいな。強靭たる自分の本性のスイッチが入ったというか。まあ別にお金がなくなって死ぬことはねえだろうみたいな。だから、なんか今までの連続性、社会というのはお金を稼いでとか、生業をするためにちゃんとスケジュールをしたりとか、それが賢明な人間の姿みたいなね。そういうのが自分の中にもあったと思うんだけど、もうなくなっていくわけよ、まったく。虚無のゾーンに入ったということが、すごく僕の人生を振り返れたというか。

3. 何度も延期したジャケット撮影

篠原 このまま死んじゃっても、もうこれは出していく前提で同じスケジューリングでいこうみたいに思ってた。

星園 あの段階ではいつ出すスケジュールだったんだっけ?

篠原 アサガオ関係があったので、7月の七夕リリースで動いてた。そしたらその後の作業、ジャケット撮影とかがなかなかできなかったのでストップして。で、そんな急ぐ必要ないねといって、どんどん延期して。

星園 そうね。ジャケット撮影がなかなかできなかったのよね。退院して3ヶ月ぐらいしてやっと撮影できるかなと思って予定したら、ちょうどその直前に熱出して再入院になった。

篠原 そう。また3週間ぐらい入院してたね。

星園 で、退院してきて2回目予定したら、またちょろっと熱が上がってきて、再度ドタキャンは迷惑かけちゃうから念の為やめとこうといったら、まあ結果的には大丈夫だったんだけど。で、3度目の正直で、この間、いつだっけ。9月の・・

篠原 21日。

星園 でもあのときもその前にすごい大きな台風が来てたのもあってちょっと体調を崩してて、また駄目かと思って。本当にヒヤヒヤ直前までしてたけど。結果的には何度も行ってる成貢さんのスタジオで、よく知ってるメンバーだけだったからできたかなという。あれがもし初めましてのカメラマンさんとか、どこかに行って撮りますとかだったらちょっと厳しかったかもというくらいの体調だった。

篠原 そうだよね。意外と人見知りだもんね。

星園 そう。緊張しいだからぐったり疲れちゃうんだけど。もうあのメンバーはミュージックビデオ2本撮ってもらってて安心して撮れたのがすごい。しかも今思ってみると、ピンピン元気な状態じゃなくて、あのくらい弱っている状態である必要があったんだよね、あの撮影の時点で。そういう写真だったじゃない。

篠原 だからそのエネルギーが反映したんじゃないの。撮影の前日に東京に向かう車の中でアルバムの曲を聞いてたら、8曲目の超スローバラード的な『Oh, Baby Blue』が、その日はすごく入ってきたというか。鳥肌が立つくらい感動したみたいな感じだったのね。珍しいよね、それは。それまではその曲がどうもなんかアルバム全体では沈んでいる感覚があったんだけど、急にポッと浮かび上がってきた感覚があって。

星園 うんうん。

篠原 そして衣装選びに行ったんだよね、青山に。成貢さんと(ヘアメイクの)聡子さんと衣装選びに行って、ちょっと僕遅れて行ったんだけど、そうしたらずらーっと青い服が並んでて(笑)。青ですか!みたいな感じになって。そのときはああそうかと思ったんだけど、夜成貢さんと飲みに行って話してたら、「いやあ、あれって青って直感だったんだよね」って。「急に思ったんだよね」とか言うので僕も「あれ、そういえば」って、東京来るときにアルバムを聞いてたら、『Oh, Baby Blue』という曲がすごくなんか刺さってきたというか、感動したって話を成貢さんにしたの。そういう妙なシンクロって、僕とか成貢だと不思議じゃないじゃない。お互いアーティストってそういうものだと思っているわけでさ。成貢さんも僕も。予定調和ってないよねみたいな。準備しても結局変わっちゃうことって多いんだよね。

星園 いつもそうだもんね(笑)

篠原 ああ、これはと思って、翌日撮影前に星園と待ち合わせた時に、「こういうこともあってね、アルバムタイトルを(それまで決めていた『TOKYO ROMANTIC』から)『Oh, Baby Blue』に変えたいなって思っちゃったんだけど、どう?」と言ったら、すんなり「いいんじゃない」と言ってくれて。そういうところ星園も、その瞬間の、早いよね、ひらめきというか。うん、それならみたいな。

星園 うん。そこに違和感があるかどうかだけだから。

篠原 そうなることで、それまでのシティーポップに新しい息吹を入れ込むというコンセプトはキープされたまま、さらに深みを増すというか。作品づくりとしてもすごく楽しみが増したね、僕的には。

4. 浮かび上がってきた死生観

星園 どれがジャケットに採用されるかはまだわからないけど、本当に遺体のような写真があったじゃない。あれが本当に好き。

篠原 ね。好きそうだね。

星園 自分の遺体を見るってやっぱり普通ないわけじゃん、生きた状態で。それをあんな美しく撮ってもらって。いろいろ後からネットとか見てみたんだけど、そういうのあるのかなと思って。見つからなかった。

篠原 そうなんだ。

星園 遺体写真みたいなちょっとグロっぽい感じとか、あと黒縁の遺影の写真とかっていうのはけっこうあるんだけど、ああいう美しいアートとしての遺体・・なの・・?みたいな。ああいうのってない。

篠原 わかる。なんかやっぱりさ、特に近代になって、人の死って遠ざけたいものってなったじゃない。だからもったいないというか。縄文時代なんて祭り場の中に墓があったりとかするわけよ。死と生の喜びというのはそんなに変わらないポジションにあったんだよね。だから、死というのは人生をまっとうした喜ぶべきゴールみたいな、一つの境目みたいなことだったと思うんだけど、本来、ああ、お疲れさまとか、いい人生だったかなみたいな。星園は、入院して仮死体験したというかさ。

星園 本当に心臓止まったみたいだからね。

篠原 ええ?!(笑)

星園 体温20度かなんかにして心臓を1回止めて、人工の心肺に切り替えて、8時間手術というのをやってるから、本当に死んだらしい。

篠原 だからすごいことだよね。一種の仮死体験をしたということじゃない、明らかに。

星園 うん。

篠原 僕が星園にプレゼントした『Dancing with Midnight Butterflies』という詞は、本当に自由な空間で、蝶のように舞うという、それは暗闇でこそ本当の自由を体験できるというイメージ。そこで本当の真の喜びにアクセスするという体験を経て、また蘇るみたいな、そんなシンボリックな撮影になったのかなと。

星園 そうだと思う。死を遠ざけようとするあまりに、それを避けるか、逆転してグロいほうにいくかという感じになってると思うの、世の中的に。だけど本来もっと自然で、普通の生活の中にともにあるもので、美しいものであるという、そこを描けたんだろうなという、言葉にしちゃうとちょっと平べったいけど。

篠原 そうだね。

星園 それはすごくうれしい。写真もそうだし、アルバムもそうだし。たぶん、私は人の死への恐れから解放するのが自分の使命だみたいなことを(病気になる)前から書いたりとかしてて。使命という言葉はあんまり好きではないんだけど、便宜上。そういう意味でも、自分がその死を体験するというのは、やっぱり必要なことだったんだろうし。だって説得力増すじゃんね(笑)

篠原 超増すよ。だから、超増す部分だからさ、こういう形でそこがクローズアップされたのは良かったよね。その感覚を避けてアルバムを出してという感じじゃないよね。

星園 そうかもしれない。さっき言ってた「真の喜びにアクセスして蘇る」という意味では、本当に私は作曲というものが大事で、自分の作品を世に残したい。それだけでいいみたいなところが明確になったから、私の喜びはやっぱりそこなんだなというのもあるし。

篠原 だからそれは仮死を、仮の死を通って思うことじゃない?

星園 そうなのかもしれないね。

5. 結局すべてが順調だった

篠原 日常がずっと続いてたらさ、そこまでフィルターにかからないじゃない。濾されないというか、そういうものだと思うから。だから、僕は本当今回の撮影の帰りに、メッセンジャーにも書いたけど、すごい順調だなって、制作が。これ全部必要で、起きている。パーフェクトに必要なことしか起きてないみたいな。

星園 うん、そこは今回のことに限らず私は腹の底から疑いがなくて。だから、病気になると周りの方々は、頑張りすぎてたんじゃないか、無理してたんじゃないかとか、こういう栄養が足りなかったんじゃないかとか、もしくは、何か鬱積している、見ていない感情がたまっているんじゃないかとかっていうのを心配してくれるんだけれども、もちろんそういうケースも多いと思うんですよ。それを否定するわけじゃなくて、でも病気にだっていろいろなケースがあるんじゃないかって自分が病気になる前から思っていて。たとえば、純粋に「病気になることを通してこれを伝えたい」というのを持って生まれてきた人っていうのもいると思ってたんですよね。でも、それを全部みんな一律に分析して、あれが良くなかった、これが良くなかったというのがすごく違和感があった。

篠原 うん、わかる。

星園 今回自分が実際に経験して、確信に変わったというか。私にとっては、死は特別な恐ろしいものではなく美しいものだというのを伝えるためにこの経験が必要だったから、全てが順調という、本当にその言葉のとおりで。そこはまったくずっと疑っていないんですよね。何がいけなかったんだろうみたいなのはないし。この病気を境に本当の自分を生きるんだ、みたいなのも実は私はあんまりなくて。どっちかというとその前の段階でそのプロセスはやっていたから、本当の自分を生きてる感覚しかなかったし、さらにそこの血肉としての経験、必要な実体験をしたんだなという感じ。言ってる内容は病気前と大きく変わってないんだけど、実体験に裏付けされた感(笑)

篠原 そうだよね。その経験が順調に作品のリアリティを増しちゃったというところだし、最初からそのコンセプトを描いていたんだろうね。だから、『TOKYO ROMANTIC』から『Oh Baby Blue』という、もうちょっとディープなものに進化したというか、成長したというか。そのプロセスを経たので、そこの階段を上がれたんだと思うし。『Oh Baby Blue』というのは結局夜がなかったら朝の光は感じられないというところだから。夜という、すごく暗くて長い時間を経て、少しずつ白々と太陽が昇ってくるときに、うっすら光に照らされてる海とか空の青色を表現した詞なので。だから、仮死という夜の時間を体験したからこそ、朝の薄い光というものが認識できるという。それは人それぞれなんていってもいいけどね。生の喜びといってもいいし、希望とかいってもいいし。

星園 ただなんかそのうっすら感が私はすごく好きで。篠原さんがイメージしてる『Oh, Baby Blue』の写真を送ってもらったら、わりとグレーっぽいというか、どんよりっぽい感じ。いわゆる世の中的に美しい、キラキラ〜みたいな感じではない。私はもうちょっとピンクとか紫とかっていうのを想像してたんだけど、わりとグレーなんだなっていうイメージで。その感じがなんかすごくいいなと思ってて。前にちょっと話したかもしれないけど、こういう病気とか、つらい経験みたいなのは、後々宝になるみたいな言い方をよくされて、それも別に全然いいんだけど、私の表現では「血肉」なんです。全ての経験は血肉になるという。宝といっちゃうとすごく逆にポジティブにしすぎちゃっている感があって。

篠原 まあそうすると遊離するという感覚だと思うんだよね。リアルとちょっと遊離した、思考の、頭のイメージの世界になっちゃうんだと思うんだよね。それはもったいないよねと。

星園 もうちょっとフラットに捉えたいと思っている中で、『Oh, Baby Blue』の真っ暗の中から、ちょっと明るくなってきた、グレーっぽい、でもブルーっぽい光みたいなのはすごく落ち着くし、いいなって思う。

篠原 まあそういうことだよね。死の淵から蘇るってそういう感覚だと思う。だからこそ、血肉の部分にすごい言うに言えない、言葉にならない感覚ってあると思うので。その言葉にならない感覚というのをどう表現するんだというのがたぶんアートとか音楽の領域だと思うのよ。なかなか日常では体験しづらい部分なので、だから、そういうところというのはアーティストとかがやるしかない領域だよね。

6. 「Oh, Baby Blue」誕生物語

星園 突然おりてきたって言ってたもんね。『Oh, Baby Blue』ってイメージ。元々は田中聡好(さとこ)さんのレガシーソングだよね。

篠原 そうそう。1曲目提案したんだけど、即おしゃかになって。いや、どうすんだこれみたいな。さらにディープに彼女の魂にアクセスしないと出てこないなと思ってずっと瞑想しながら考えている中で、突然『Oh, Baby Blue』というフレーズがポッと浮かんだんで、ああ、これなんなんだろうみたいな。すごく難産だった。その難産というのが、アートを生む大事な部分でもあると思ってるんだよね。だから、今回のアルバムって、簡単に生まれなかったじゃない。いや、まだ発売されてないので、まだなんかあるかもしれないけど。

星園 まだわからない(笑)。

篠原 でも簡単には生まれてくれないというその体験の中で、すごくフィルターに濾されたというか。余計な思念、残像、呪縛とか、いろいろなものが自分から取り除かれたという感覚があって。究極、自分の「本当にしたいこと」というとすごいベタになっちゃうけど、楽しくて楽しくてしょうがないことしかできない自分に超気付かされたという感覚。親の期待に応えなきゃみたいなところで動いてたりとか、社会とは世界とはこういうものだとか、お金というのはこういうものだとか。そういう、どこかでもう思い込んでいたことが、結局、どうでも良くなるところまで追い込まれたという感じなんだけど(笑)。追い込まれて、結局それしかしないという決断ができたという。いや、もっとベタな言葉になっちゃうけど、魂の求めることしかできないんだなということになってきちゃったという。そういう作品づくりだった。これ20周年記念なんだろうなみたいな。まあ深かった。思いがけず深い2022年でありましたみたいな。そのプロセスをもって順調だと言ったんだよね。

星園 あと『Oh, Baby Blue』が誕生してから1年半以上経った今、いろいろ紆余曲折経てここでまたアルバムタイトルとしてバンとフィーチャーされているのもなんか面白い。

篠原 そうね。やっぱあのとき深かったもん(笑)。俺は言ってたと思うんだよね、深かった。とにかく深かった。

星園 言ってた、言ってた。曲を付けた時もすごく気に入ってくれて、ずっと聴いてるって言ってたね。

篠原 そうそう。『Oh, Baby Blue』の深みを経験しなかったら『Dancing with Midnight Butterflies』はできなかったという話もしていると思うんだよね。

星園 ああー、してた!

篠原 だからさ、セットで深かったね。えらい大変だったし、えらいとこにアクセスしちゃったなという。死と生って同じところにあるっていう、すごいマイナーな話をしているけど。自分の生命の根源に立ち返っていくと、ここからここが死でここからここが生というのもないわけよ。同じところにあるんだよね。そういう意味では、死も生もないみたいなところに立ち入ったときにさ、人間本来のすごい価値のある部分として浮き上がってくるということだと思うんだけどね。だから、深いからなかなかそのへんというのは、今までの社会上受け入れられず端に寄せられてたじゃない。ポップスの表現とすれば的確じゃないよねとか、いろいろな表層的な喜びみたいなところのほうがメインになってきたから。だから、そういう魂の根源とか、命の根源の喜びみたいなところというのは、やっぱり非常にマイナーでシティーポップというところからしたら端に行くよね。

星園 なるほど。だからこそ、それをポップスで軽やかに表現したというのはすごく大きいね。

篠原 そうそうそう。

7. 作品を通して伝えたいこと

篠原 だから、今回の作品づくりを通して、また作品そのものを通して、やっぱり全ては順調だねみたいなところを伝えられたらいいのかなと思うね。とくに星園の、そういうことを心配している人が多いと思うので。心配ってろくなもんじゃないよね(笑)。

星園 あはは、ろくなもんじゃない(笑)。いやもちろん有難いんだけどね!ただ、私今とりあえず自分のアナログレコードだけは見届けたいなと思って生きてるけど、まあそれもわからないじゃない。明日死ぬかもわからないし。アナログレコードできて死ぬとか、できる直前に死ぬとかっていうのも、それはそれで私は美しいなと思うのよ。だから、何も間違わなければ病気せず80、90まで生きて、それで死ぬのが正解だみたいなのも、変な刷り込まれた正しさだなと思っていて。50で死ぬってのも素敵じゃない。私も同級生がこの間亡くなったりしたんだけど、みんな早すぎる、早すぎるって言うんだけど、早すぎるかどうかは本人しか分からないことだよねって。

篠原 まあ本人が決めたことだよね。

星園 平均寿命とかっていう概念があるからそう言うだけで、彼は50年の人生を描いてきて生きたんだとしたら、早すぎるということはないんじゃないって思っちゃうんだよね。だから、私がもし50で死んでも、早すぎたとはみんな言うなよっていう(笑)。星園はそれがやりたかったんだと思って頂けたらうれしいです。

篠原 そうね。やりたかったんだよ、それを。やりたいことしかしないんだよ、人って。

星園 遺作のアルバムを仕上げて、アナログもつくって、もうリリース直前でああ〜・・(倒れるポーズ)っていう、美しい遺体写真も残して逝きましたって、すてきじゃない?

篠原 やっぱり生死をさまよった人だから表現できるリアリティがあると思うよ。

星園 うん、そうだ。やっぱり経験してないと駄目だよ。死んだことないやつに死を語る資格はないぜ(笑)

篠原 いや、ないと思うよ。本当に。

星園 まあ今まで語ってたけどね、散々ね(笑)

篠原 いやあ。でもそれっていうのは、近親の死を通して感じてたことだから。今は自分の仮死体験というものを通しての死生観だし、生命感だろうしね。僕も経験してないことは、結局リアリティがないので言わないし、情報の一つとして、断片として扱うだけなので。結局そういう、血肉を通した生き様的なところから、いろいろな何かが飛ぶんだろうからね。飛ぶ、発散するんだろうから、それ以外のものは伝わらないし、人の考え方なんて変えようがないから。だから、アートのようなものでね、飛ばすみたいな。あとは勝手にやってくれ、受け取ってくれという。まあ受け取っても受け取らなくてもいいかなということまでしかできないというふうに思ってるからね。

星園 なるほど。伝えるというより勝手に飛んでくから受け取りたい人は受け取ってみたいな。いいなその感じ。

篠原 そういう意味で『Oh Baby Blue』というアルバムは、そういう深い死生観というか、哲学じゃなくて、リアルな体験をもってそういうふうに表現されたものだということは、表現していったほうがいいね。病気で同情してくださいとか、復活してよかったねみたいなことじゃないじゃない。これってやっぱり表現していきたいからその経験をしたということだと思うんで。これからどんどん飛ばしていきましょうというところがオチでいいんじゃないでしょうか。

星園 なんかすごいアルバムが誕生するような気がしてきたな。ますます楽しみです。

<<<対談 終わり >>>


◎アルバム試聴・詳細・購入方法

2022.11.30リリースのNEWアルバム「Oh, Baby Blue」のサウンドを聴いてみて下さい。(アルバムダイジェストムービー)


NEWアルバム「Oh, Baby Blue」/星園祐子

01.TOKYO ROMANTIC
02.タイムライン
03.アサガオ白書
04.どれくらいの思いなら
05.真夏のパンデミック
06.Dancing with Midnight Butterflies
07.Dress in a Kaleidoscope
08.Oh, Baby Blue
09.TOKYO ROMANTIC Part.2

価格 3,000円(税込) 販売元 星園スタジオ
品番/HS10002 発売日2022.11.30

All songs by 篠原雅弥 & 星園祐子
Arranged by 長岡成貢(M1,M2,M3,M4,M9)furani (M6,M7)加藤叙和(M5)

総合サウンドプロデュース
長岡成貢
ジャケット撮影・アートディレクション 長岡成貢


🔵アルバムご購入はこちらから


🔵星園祐子オフィシャルホームページ


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