脱助っ人
自己紹介させていただきます。神奈川県私立横浜女学院高等学校出身、法学部2年波田野優子です。ポジションは後衛です。今回初めての部員日記の担当を務めさせていただきます。拙い文章ではありますが、ご一読いただければ幸いです。
大学2年生になり、体育会に入って早くも2ヶ月が経過しました。女子部の助っ人として活動していたのが、遠い昔のことのように思えます。あの頃の私はまさか体育会に入ってテニスをするとは思ってもいませんでした。人生何が起こるか、本当にわからないものですね。
さて、今回はそんな私の軽い自己紹介をしたいと思います。
突然ですが、皆さんはご家庭では何語を話して生活をしていらっしゃいますか?ほとんどの方は日本語と答えることでしょう。
しかし、私の家では英語や中国語、アラビア語が飛び交っています。ごく一般の家庭なのですが、言語をこよなく愛す両親に育て上げられたため、このようなことになってしましました。
私は中国の上海に6年ほど住んでいたことがあります。中国に行ったのが1歳のときであったため、中国語で育てられました。また、当時の中国の幼稚園では英語の授業があったため、そこで英語を学びました。先生がクイズに答えるとくれる、今となっては得体のしれない緑色のアメをゲットすべく、沢山勉強していたらしいです。中国の現地の学校に私をぶちこんだ母の教育に感謝しています。
このような生活を送って日本に来た8歳の私は、日本人でありながら日本語がほとんど話せないような状態になっていました。中国語の漢字と日本語の漢字は似ているようで似ていない部分が多くあります。そのため、日本の空港に着いた時、看板の文字を何一つ読めなかったのがショックでした。カタカナは特に面白い文字で、まるでヒエログリフのようで、勉強に苦労したのを覚えています。
公立の小学校では学校生活に支障が出ると考えた母は、私を2年間インターナショナルスクールに入れてくれ、そこで日本語教室に通い、日本語が話せるようになりました。
その後、高校生の時にはアメリカに留学をし、カルフォルニアの大学に通って政治理論を学んだり、模擬国連に参加したりなど、様々な経験をしました。英語は偉大なコミュニケーションツールだなと感じる今日この頃です。
最近は中国語を昔のように話すことはできませんが、絶賛勉強中です!練習中にぽろっと英語がでてきてしまったり、本当に疲れると日本語が出て来なかったりするときがあります。そんなときは、温かい目で見ていただいて、日本語を教えて頂けると幸いです。
拙い文章でしたが、最後までお読みいただきありがとうございました。
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