バレエ〜蘇った15年前の記憶

鷹揚(おうよう)の精

昨日のバレエレッスンにて。

先生「えーと、今日はみなさんに"妖精"になってもらおうと思いまして…どうですか?妖精」

こんな中年のオバさんが妖精??

そんなことを思っているうちに曲が流れてきた。

それは、「眠りの森の美女」の"鷹揚(おうよう)の精"のバリエーションの曲だった。

「鷹揚の精」とは、バレエ『眠れる森の美女』に出てくる妖精の一人。他には、優しさの精・元気の精・呑気の精・勇気の精などが登場する。

「鷹揚の精」はゆったり落ち着いている妖精だ。

妖精はそれぞれ、誕生したオーロラ姫に相応しい気質をプレゼントするのだが、「鷹揚の精」は「優雅で穏やかに大きく育つように」とオーロラ姫に魔法をかける。

懐かしい!
私は思わず頬が緩んだ。

これは、娘が小6の時に、たった一度だけ出たコンクールで踊った曲。
約15年ぶりに、またこの踊りに出会えるとは!

たちまち、私の得意な回想が始まった。

コンクールのレッスン

あれはたしか、15年前の真冬…2月のことだったと思う。

当時、コンクールの練習が終わるのは23時ごろだった。
なぜそんなに遅いのかというと、コンクールの練習は通常レッスンの後に行われていたからである。

当時は、苫小牧から札幌のバレエ教室へ通っていたため、23時を過ぎてから約2時間かけて苫小牧の自宅へ帰ることは現実的ではない。

娘には、せめて一度だけでもコンクールを経験させてあげたくて、コンクールまでの1ヶ月間だけ週に1度札幌の実家に泊まらせてもらうことにした。もちろん当時小3の息子も一緒に。

コンクールの練習のある日は、実家で夕飯をすませたあと息子を2階の部屋で寝かせた。23時近くになると娘を迎えに行くために、息子の横で寝たふりをしていた私は、こっそり布団から抜け出す。

すると、今まで寝ていたはずの息子がムクリと起きあがり、一緒に迎えに行くといってきかないのだ。仕方なく、厚着をさせて冷えた車に一緒に乗り込むことに。

バレエ教室の前に車を停めると、エンジンを切って娘の帰りを待っていた。(住宅街の中にあるお教室のためご近所迷惑にならないように)

辺りは真っ暗。雪も積もっている。

エンジンを切ると、そこはまったくの見事なほどの無音の世界。「シーン」「キーン」というような”無音の音”というべき音が耳にへばりつく。へばりつくだけではない。その文字までもが暗闇の中に浮かび上がってくるようだった。そして、レッスンを終えた娘を車に乗せ、再び実家へ戻る。

そういう生活が約1ヶ月続いた。
その時の「シーン」「キーン」という音は、不思議と今でもまだ耳に残っている。

温かい布団の中で待っていればいいものを、どうしても私と一緒に付いてきたいと言っていた息子。そう、当時はまだお母さんがそばにいなくてはダメな甘えっ子だった。

申し訳なさの塊(かたまり)だったあの時の自分

あの頃…苫小牧から札幌のバレエ教室に通うと決めた時からの約5年間、私は「申し訳なさ」の塊(かたまり)として存在していた。(舞台の前などは週5で通っていた)

お父さん、バレエにお金と時間をかけてしまってごめんなさい。1人ぼっちでご飯を食べてもらってごめんなさい。運転の心配をさせてごめんなさい。

息子よ、お友達と遊ぶ時間を奪ってごめんなさい。家でゆっくり過ごすことができなくてごめんね。

実家の両親、週一でご飯からお風呂までお世話になってごめんなさい。

私は何でも我慢します。だからみんな…もう少しの間、迷惑かけるけど許してね。

私は、ずっとそんな気持ちで過ごしていた。

溢れてきたあの時の気持ち

そして、このたった一度のコンクールの曲「鷹揚の精」。昨日、久しぶりにこの曲を聴いて、当時踊っていた娘の姿を思い出していた。

その踊りを、思いがけず昨日私は初めて踊っていた。当時の娘の姿と鏡に写る自分の姿を重ねながら。
簡単そうな振付だと思っていたけれど、実際に踊ってみると難しい。これを、娘はトゥシューズで踊っていたなんて!

でもね

約15年ぶりにこの踊りと再会できて、私はとても嬉しかった。コンクールに向けて頑張っている娘の姿や、みんなに心配や我慢をさせて申し訳なく思っていた自分の姿。辛い、苦しい、でも頑張りたい、でも、ごめんなさい…なんとも言えない気持ちまでもが、この曲とともに溢れてきた。

みんな、協力してくれてありがとうね。
これはきっと、お母さんのわがままだったんだ。
ごめん。

娘のコンクールの時の写真が出てきた。
華やかなチュチュを身にまとい、ティアラを付け、堂々とした笑顔を見せる小6の娘の姿が、そこにはあった。

娘は今、どう思っているかな。
コンクールに出てよかった、と思ってくれてたらいいんだけど。

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