見出し画像

どうやって「スポーツ看護師」になったのか?

最初の記事をまだ読んでおられない方は、ぜひ先にこちらをお読みください!

さて、この記事では、誰もが手探りで"自分なりのスポーツ看護師"像を築いていくなかで、私の場合はどのような道のりを辿ってきたか?についてお話します。

先に読んでいただいた「CASEマガジンについて」という記事の中で、「わかりやすくこういう言葉を作ってみただけで、"スポーツ看護師"という資格があるわけではないですよ」と説明しました。

世の中には、国家資格のように法律で定められた公的なものから民間の団体が発行するものまで、様々な資格があります。そしてどんな勉強をしてどんな資格を取ったとしても、それを仕事にどう生かすかはその人次第です。

そのため、この記事でテーマとして強調したいことは「どんな資格を取ったか」などというよりも、もっと広く「何を考えた結果、どんな道のりを歩んだか」ということです。

学生時代は看護師になりたいと思っていたわけではなかった

私は大学を卒業後、大阪市内の二次救急の総合病院に新卒で就職しました。

大学で看護学を専攻した理由は、ひとことで言えば「受験のなりゆき」で、そこに大した想いや夢は全くありませんでした笑。

身近に医療従事者がいたわけでもなければ、自分自身が入院したりした経験もなく、正直に言えば、大学入学時は看護師になりたいとは別に思っていなかったです。

保健師の国家試験も受けられるカリキュラムだったので、まぁ、将来は保健師になるのかな〜なんて、ゆる〜く考えている18歳でした。

結局、3年生になって病院実習が本格的に始まり、家族が入院したり、ゼミで卒論に向けて教授の話を聞いたりしているうちに、「"看護学"って、奥深くて面白いな。精神的にフレッシュで、もし先輩や仕事が超厳しくても若さで乗り切れそうな(笑)新社会人のうちに、看護師を経験しておくのもいいな」と考えるようになり、同級生の大半と同じように病院の新卒採用で就活することにしました。

画像1

幅広く、色々な症例に対応させてもらった新人看護師時代

そんな感じで看護師になることを決めたくらいなので、私は特に希望したい科もなく、ただなんとなく外科はキビシそうだから内科がいいかなぁ・・・というすごく消極的な理由で採用試験のアンケートに「内科希望」と書きました。

そして、私が配属されたのは「耳鼻科・眼科・内科」の混合病棟でした。

配属先の病棟では、悪性腫瘍の手術、放射線療法、化学療法、内科の検査入院や教育入院、社会的入院からターミナル期の患者さんまで実に様々な患者さんが入院されており、幅広い症例に対する看護を学びました。

日勤も夜勤もとても忙しく毎日残業があり、怖くてちょっと苦手な先輩もいましたが、同期と励ましあいながら頑張っていました。

2年目の後半になる頃には、自分の所属する病棟や病院全体のこともだいぶわかってきて、このままここにいたら5年後、7年後はどうなるだろう?ということがなんとなく想像できるようになってきました。

なんだかんだ年々できることが増えてきたし、仲の良い先輩や同僚もいて人間関係も悪くないし、看護師の仕事自体には充実感もあり、今すぐ辞めたい!というほど追い詰められているわけではありませんでしたが、日々の仕事は普通にストレスフルでした。

①1ヶ月の2/3以上を費やす「仕事をしている時間」がとてもストレスで、そのストレスを発散するためにあるのが休日、という人生でいいのだろうか?
②循環器やICUなどに配属され着々と専門性を高めていっている同期と比べ、自分はとくにこれといった専門性もなく、浅く広く「なんでも屋」みたいな看護師になっていくのだろうか?

ざっくりいうとこの2点の疑問が強い動機となり、「何かを変えなければいけない」と一歩を踏み出すきっかけとなりました。

画像2

「スポーツ医学」を本気で勉強してみよう!

悩んだ結果、色々調べているうちに図書館で読んだ本に書かれていた「アスレティックトレーナー」という職業にとても興味をひかれました。

ここから先は

3,543字 / 3画像
この記事のみ ¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?